小説「あなたは御影を捨てちゃうの?」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

「あなたは御影を捨てちゃうの?」
と彼女が僕に訊いた。情けないことに僕は
はいとも否とも言えなかった。
まさにうんともすんとも言えなかった。
なのでいっそあからさまに不機嫌に黙っている僕を彼女がどう思っているか分からないが、たぶん、
僕にしても御影に対しても、
彼女が責めたり哀れんだりしていないことは顕かだった。
それは絶対に本当だった。
彼女は自分がカジュアルに投げたその問いが、分散してコーヒー屋の空調に紛れていくのを見ているみたいに、
起伏の無い視線を世界に泳がせているのだった。
いつまでもそれ以外のことをしなかった。
実は僕は非常に悲しい。
何が哀しいのか、それは御影と別れてしまうことによって
僕と彼女との今までどおりの人間関係が、どうしても終わってしまうことについてなのだった。
彼女は御影の永い間の友人だった。
御影と恋愛に陥った都合、僕も彼女と友人といえる関係を
今まで維持していたわけで。
そう、ここが問題。
僕と友人になるよりも先に彼女が御影と友人だったという、こと。
ということは僕と御影の恋愛が解消された後、
彼女が「友人」を維持する優先順位は御影に先を行かれるというのが道理なのだ、ややこしい言い方だ。
で、悪いことに僕が惜しんでいるのはまさにこれなんである。
「御影を捨てちゃうの?」
うん、僕と御影はこれ以上恋人としてやっていくのは無理みたいです。
無理、とは少し違うかな。
ただ今の状態を続けることに僕も見影も
楽しさや嬉しさを見つけることは出来ないだろう。
つまらない関係を続けるくらいならお互いもっと面白いことを探した方がいいじゃないか
僕と御影は先週そうやって話し合ったのだった。
でも御影との関係が終わってしまったら、
それは彼女との人間関係も、もう悲惨な形で終わりを迎えてしまう。
僕にはそれがとても哀しい。
御影が間に挟まっているということじゃなくて、
むしろ彼女が間に挟まっているような2年間の恋愛だったけど、
今この瞬間、
彼女は僕に対しても御影に対しても
怒りも同情も、持っている空気が全く無い。
僕は彼女のこの美点にどうしようもない切ない崇敬を持っていたのだ、
2年の間ずっと。
人とかものとかゴミとか命とかまとまりの無い風景の中に、
それらと一切関わらず、膿みも淀みもしない。
朝一番の絞りたての香気みたいなものを彼女はいつも持っていた。
何も影響しないし何からも影響されない。
そんな彼女が自分と友人で居てくれたことは
僕にとって困惑するくらいの幸福だった。
御影は捨てちゃう。
しかしそれを彼女に旨く伝えられない。
旨く伝えられない理由を、自分でよく分かっていない。
コーヒー屋の椅子に座って、
すでに思い出みたいな僕たちはいつまでも黙っていた。