小説「きみの名をよぶ」M.PP12 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

亡くなったひとはみんな山にかえっていくのよ
とおばあちゃんが言ったことを、彼女はとりわけ印象深く覚えている。
おばあちゃんとは10年くらい会っていない。どうして会うことが無くなってしまったのかは忘れたけど、もう、ずっと彼女はおばあちゃんに会っていない。
亡くなったひとはみんな山に還っていくの。
おばあちゃんの話しはこんなものだった。
「川はね、お山から流れてくるでしょう。その水を使って田んぼを作って畑を作って食べ物を作ったのよ。
それからお山の木を切って薪にして煮焚きしてごはんを食べるでしょう。
着るものはお山から麻をとったり染付けにする草をとったりして作ったのよ。
それからお山の土をもらっておわんやお皿やお鍋を作ったでしょう。
お山の木を切って板や柱を作ってそれを家にして住んでいたでしょう。
昔から私たちが生きていくために、必要なものはみんなお山からもらっていたの。
みんなお山に作ってもらっていたのよ。」
おばあちゃんも?
と小さかった彼女は寝る前の繰言をするおばあちゃんに訊ねた。
「そう。
おばあちゃんもお山から命をもらって、それでお山に還っていくのよ。みんながそうよ。ずっとずっとそうだったのよ。」
こういう話をしてくれるときのおばあちゃんがとりわけ彼女の記憶に深く刻まれていた。死ぬことはどうしても上手く想像できなかった。
でも自分が死んだ後で戻っていく場所としての山という言葉が、生まれてからの時間の方が少ない彼女の心をすでに魅了していた。
私もいつかかえっていくところがあるのか。と。そう思っていることはどうにも不思議な感覚だった。
でもおばあちゃんがお山にかえってしまうのはさみしいなあ。
と眠りかけのちいさな彼女は言った。
そうねえ、皆が寂しかったのねえ。
「だから昔の人は、亡くなった人をお山に弔いに行った後、もう一度、そのひとの名前を呼びにお山に行ったの。」
おなまえを呼びに?
と彼女が聞くとおばあちゃんは
“きみがいき けながくなりぬ やまたずの むかえかいかむ まつにかまたむ”
とよく分からないことをいった。
「人を亡くすことが寂しいのは誰でも同じね。亡くなったひとが本当に亡くなってしまったのか、昔の人はなかなか思い切ることができなかったのよ。
もし、本当はいきているのかもしれないという思いが、とても強かったのよ。
だからお山に入ってそのひとの名前を呼んで歩くの。」
おへんじがあるの?
と彼女は訊いた。おばあちゃんは何故か嬉しそうに彼女の額をさすりながら応えた。
「お返事はしないのよ。
それでいいの。だってそのひとはもう亡くなっているのだからね。
どんなに呼んでもお返事はないのよ。だからそれでいいの。
お返事が聞こえないことで、亡くなったひとのことを思いきることができるから。ああ本当にお亡くなりになったのだと思えるから。それはとてもしあわせなことなのよ。」
どうしてもよくわからないなあと思いながら、ちいさな彼女は眠りについた。
亡くなった人を呼んで、さ迷い歩く。
そのシーンは彼女の中で、哀しいとか苦しいとかよりも、とても厳かで覚悟とある種の幸福に満ち足りた姿に形を結ばれた。
ちいさな頃に種を打たれたイメージは、言葉をおぼえて体が大きくなっていくに連れてよりはっきりと具体性を帯びながら、それ自体も成長していった。
居ないはずの誰かに呼びかけながら何処までも歩いて行くこと。そういうことが幸福のありかたなんだと思って彼女は大きくなった。
大きくなる途中の過程では深い幻滅が待っているのだけど。
6歳からの10年間、来る日も来る日も目に見えるものばっかりが取り囲んでいる。
それ以上のもの
を感じさせてくれるものが何処にもなかった。形の無い何かが姿の無い彼女に訴えてくることは無かったのだ。
今日は市立図書館でずっと本を読んでいる。高校生が制服を着て何時間も机を占領していても誰もなにも言わない。
そういうことはよくあるからだろう。
せっかくだから私も呼んでみようかな
とページを捲りながらしずかに思う。
私もそろそろ、“それ”を呼びにいく時が来ているのだろうか。
と彼女は思う。目に見える以上のものに呼びかけて歩いてみる時がきているのだろうかと彼女は思う。
うん、やってみる分には悪くないわ。今は特にすることもないんだから。
と彼女は思った。
彼女の心の中で実行への計画が始まった瞬間であった。