小説「世留 ヨドム」M.PP20 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

トラクターの古いオイルとか、
藁を燃やしている煙とか、
何処かの家で魚を煮ているのとか、
空き缶が溢れかえって「無かったことにされている」自販機横のゴミ箱の匂いがよってたかって
昔と一切変化していない。
僕は吐き気を感じるくらいで懐かしさは感覚の裏側でばらりらりに干からびてしまった。
なぜこうまで何も変っていないのか。
理由は簡単だ。
手を入れる必要がないから何も変らないのだ。手を入れて、もっとましなふうに作り変える必要が、何も無いから、だから手が入らないから、だから何も変らないのだ。僕がここを出て行くまえから何も変らない。
空間ごと寒天の中に居るみたいだ。
僕は登山口よりも手前でワンボックスから降ろしてもらった。
かろうじて水気を残しているように見える酒屋があったからだ。僕は本来の停留所の行くための金額を運転手に手渡し、礼の述べてその乗り物に道を引き返してもらったのだった。
酒屋のレジには白髪の薄くなったおばあさんがラジオをがんがんきかして麻痺したように座っていた。
僕がいりぐちをくぐった時にブザーがなって「来店」をしらせているはずなのだけど、
「来店者」など居ない、という態度を崩す様子が無い。
昔だったら「なんでもや」という範疇の店だ。米だの醤油だの野菜だの酒だの駄菓子だのなんでもかんでも売っていた。僕が子どものころはそういう店が頻繁にあった。コンビニが全国展開し出す少しまえの頃だった。
僕は山を登っていくための酒を調達しないといけないのである。予定は一日狂ってしまったけど今夜こそお小屋で夜を過ごさないといけない。そのためには絶対に必要なものが一升瓶だった。
一升瓶かかえて山道を登ることは散々に気持ちが萎える試みだ。
でも仕方が無い。今日、僕が始めて一人でお小屋に夜を明かそうというのなら、一升の酒はどうしても不可欠なものなのだった。少なくとも爺さんはいつもそうしていた。
毎月のお役の日が来ると、一升瓶風呂敷にくるんで山を登っていったのだった。
実家の近くから登っていったほうが、そこまでは車も通じているし近くて便利なのだけど、実家に近づいて祖母くらいに見つかるのが面倒なので、僕は反対側の登山口を使うことにした。
登山道。
大夫山は大した標高の山ではない。3、400メートルといったところだ。わざわざのぼりにくるような好楽スポットではましてない。登るのだとしたら近所の人間が枝を下ろしにたまにはいるくらいだ。
華やかな色をしたハイカーがここに居たとしたら、
明治の頃に、カラー写真が無い頃の、白黒写真に無理に紅入れをしたような、
陰気な違和感が周りから際立つことだろうな。
そんなことを思いながら僕は山道を登り始めた。どんなに荒れ果てていても、何百年と人が刻んだ道筋はさすがに消滅までおよんではいなかった。どれほど希釈されていても、道は確かにそこにあった。
僕はさっきの酒屋でたった一本だけあった日本酒一升を、このために買い求めた新しい風呂敷で包んで、バッグストラップで固定して、リュックと一緒に担いで登った。当然息が切れるのでしょっちゅう止まった。
脚を止めても嵩の張りすぎる荷物のせいで自分の飲み水を取り出すのが難儀でしかたない。
お役の夜は、その日に新しい一升酒を用意して、風呂敷に包んで持参する。
これがマナーだ。
コンプライアンスのためにいそいで僕が買った風呂敷は、雑貨屋にあったせいなのか女の子がデザインしているからなのか、兎の染め抜きがしてあるのだ。
でもこれが一番地味だったのだ。加えてもっとも低価格だったのだった。
爺さんが死んでからお小屋役は取りやめられた。
僕が村にいたとき既に、お小屋を省みた誰かが居たかどうか確認する方法なんてない。
きっと酷い有様になっているんだろうな、と僕は思った。
今夜そこで一晩明かさないといけない。
けっこうな覚悟を固めながら、僕はせええせええ言いながら山を登る。荷物がかさ張るせいかいくらかけてもちっとも上にあがっていかないように感じる。
大夫山は急勾配の山ではない。
しかし近所の人間が手っ取りばやく上を目指して開拓した山道だから、時には無茶な岩場を越えないといけなくもあった。
いつもこうだ。
僕はがりがりに薄ら剥げてどうにか張り付いているだけの、
いつとも知れない記憶と伴に山に脚をかける。
いつもこうだ。
そう思いながら。
ここに来た以上、もう逃げないという選択肢もあるのだ。僕は山に食われそうになった時いつもそう思う。そう思ってきた、と思う。
山に食われそうになったら、もうそこから逃げないという選択肢も在る。
だから僕はずっと逃げていることができた。
逃げていることが出来たから、今ここに戻ってきたのだ。
山頂から一間か下がったところにお小屋はある。
古い木造だが造りはしっかりしていて、金持ちの持仏堂くらいの広さがあるのだ。
その入り口の建具の前に(しっかりと閉ざされている)
しらないこが一人所在無く座っていた。