長編お話「東尾言語」の32 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

8月すぐに私は帰省した。
必要なものなんて実家にいくらでもあるのに、何となく着回し出来るように服を選んだりなんかして、大荷物になった。
私は重いカバンをうんうん言って運びながら特急で京都駅まで出掛けて、そこから更に北にいく電車に乗り換えた。

夕方頃に家に着くと父が怒っていた。
こう言う時は朝一番の電車で帰ってくるものだと怒っていた。
おばあちゃんに言わせると、父は昼くらいからヤキモキしてなんども近くのバス停まで出ていったらしい。

何があると言う日でもない。
しかし夕飯は手巻き寿司とから揚げとエビマヨとざるうどんとざる蕎麦で、
私は訳も分からないうちにお腹いっぱい食べて、始めて父と一緒にビールを飲んだ。
移動の疲れもありアルコールも加勢したものだからお風呂に入ったらすぐに寝てしまった。

私は翌6時半に目を覚ました。
私の町では毎朝6時半に時報が鳴るのである。
「ふるさと」のメロディが家の近くの拡声器から流れてきて、おそらくラジオ体操に遅刻しそうな小学生の軽い足音が聞こえた。

私は起きて部屋を出て、家族を起こさないようになるべくそおっと顔を洗ってハーフパンツとパーカーに着替えると、ちょっと近所を歩きに出掛けた。
その前にコップに半分牛乳を飲んだ。

半年離れただけの町は余りにも今までで通りだった。

コンビニとそのとなりのコインランドリーも。
潰れかけのスーパーと老舗のパチンコ店も。
トマトが森のように繁った畑のある庭も、気難しいもて余しもののお爺さんが住んでいる古い家も。

私が進学する前と何も変わらなくて、私には却って違和感を生じるのだった。
早朝の風が漉きたての和紙みたいに顔にぺりぺり張り付いていく。


ただ待つだけの午前中は余りにも暇だった。
田舎はテレビを見るくらいしかすることがない。
情報番組が繰返し同じ話題を流して父が飽かずにそれを眺めていて、と何に言わずに母がチャンネルを変えた、韓国語のドラマに。
分かりもせんものを見るな、と父が怒った。字幕がありますっと母はチャンネルを戻さなかった。

10時10分前になると私は待ち待って、 もう一度顔を洗うと化粧してロングパンツに履き替えて、
矢筒と道具袋の入ったらナップザックを担いで自転車で弓道場に走ったのだった。
私はジリジリ待っていた。
弓道場は10時にならないと開かない。私は車通りが多くなった国道沿いを自転車でがむしゃらに走った。矢筒を担いで自転車を走らせると高校時代そのままだった。

「おはようございます、」
玄関を開けるなり私は言った。挨拶は礼儀の基本だ。
「あらあ可愛い人が来たねえ。」
と館長先生に言われた。突き出たお腹の下で袴の帯の結びめを作ったおじいちゃんの館長先生。懐かしかった。
「先生お久しぶりです。」
「大学はどうなの。弓、引いてるの。」
館長先生はにこにこと言った。
「もう大学生だから利用料払ってな。」
私が受付の前で財布を出そうとしていたら、館長先生は廊下を進んでいって、
「おおおい、有村くん。」
と呼んだ。
応えるように
ヒャン!
とした独特の弦音が私の耳を切りつける。