長編お話「東尾言語」の47 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

帰る道々私は哀しくて哀しくて仕方なかった。

梶先輩に教えてもらったアドレスが入っている携帯を胸に抱えてただ、哀しくて仕方なかった。哀しいままに自分のアパートへと急いだ。

くまもおちず
おもいつつぞこし
このやまみちを


もう、すっかり暗記してしまった。あんまりだ。あんまりだわ、と私はずっと思っていた。ずっとずっと思っていた。

あの時。
東尾先輩のグシャグシャな顔を見たとき一緒に泣いてあげていたら良かったのだ。そうできなかったから私は今こんなにどうしようもなくて仕方ないのだ。

秋以降。ずっと考えないようにしようと思っていた。

思考の中に私の居場所が欲しい。
でも得られなかった時を考えるのが嫌でいやで仕方ない。だからずっと考えないでいようと思っていた。

でも本当は。
私はアパートに急ぎながらまた眦に涙が走った。

梶先輩の家でお茶を呑んだときも、一緒にサンドイッチ食べてるときも、レアン先輩と出掛けた時も、会えなくなってからも、ずっと、ずっとずっとずっと。


貴方の事を考えていました。


私はどうしようもなくて仕方なかった。
自分のアパート に戻ってコートも脱がずにまたしても玄関で私は東尾先輩に電話をかけた。
あの人が今何処にいて何をしているのか、不安で潰れそうになりながらコール音が止まるのを待っていた。

止まった。
そして不信な声が、はい、山口です。と言った。

「東尾先輩!」
私は言った。
「え? 何? 誰? もしかしてむい?」
「さくらさんと別れて下さい!! 」
「はい。」
と東尾先輩は言った。
「てか別れた。」
むいだよな、と東尾先輩は言う。おれのこと東尾先輩っていうのむいだけだよな。
「別れたんですか?!」
「…はい。」
「なんで!?」
「いや、なんでも何もこんなことしてる場合じゃないなと思って…。」
「じゃなんで戻ってきてくれないんですか!」
「え、何処に?」
「なんで大学に戻ってきてくれないんです。何処にいるんですか!」
岡山の実家に居ます。と東尾先輩は言った。
「岡山? なんで!」
「いや、おれ留学しようと思って。」
「何処に!!」
私はもう半分怒ってるんだと思う。
「モンゴル。」
「モンゴル!? 何でモンゴル!?」
「おれのお父さんが、いや山口の実の父な。が、モンゴルが好きで何年間にいっぺんは行くんだわ。
で、おれ今回の夏季休講にお父さんに一緒に連れてってくれって頼んでモンゴルに行ったのね。
そしたらさあ、面白いだわあの国。人はすげえし国は面白いしでさ。
だからおれウランバートルに語学留学しようと思って今書類書いてたとこ、なんだけど。」
と言って東尾先輩は一旦言葉を切った。
で、なんでむいは今電話くれたのかな? てかおれの番号しってたのかな、
「止めて下さい。」
私は言った。
「何を?」
「だからウランバートルになんか行かないでください…。」
私は最後の方本当に情けなくなって、またうえーんと泣いてみようかと思ったくらい。
送話口の向こうで東尾先輩が困惑している気配。
「むい、一回整理しようか、むい、」
と東尾先輩が言った。


「おれの事が、好きですか。」
「はい!」

こんなに元気に返事したのは保育園の卒園式以来かもしれない、
通話の向うとこっちで私たちは沈黙を共有する。

やがて東尾先輩が言った。
「…そういうことは言ってもらわないと。」
「言うような事じゃないですか?!」
私は何だか腹立ったので力強く否定する。ぶあ、とあっちで東尾先輩が笑った。

「無茶苦茶言うような事だろう!」
東尾先輩はものすごく笑っていた。笑いながら、
「むい。今何処にいるの?」
と訊く、私は慌てて
「いつものアパートに居ますけど。」
「大学のね。おれこれから行くわ。」
と言う。
「え、先輩、留学は?」
辞める。復学する。今からそっちに帰る。
「辞めるって、そんな簡単でいいんですか?」
「親父と東尾のお父さんに頭下げたら済むことだ。」
と東尾先輩は力強く言うのだった。
「でも、東尾先輩、もう9時近くですよ。今岡山なんでしょ。」
夜行の高速バスくらいまだある。と彼は言う。
「むい? おれが就くまで寝てるなよ? 起きて待ってろよ! 寝てたら凄い起こしかたするからな!」
と送話の向こうからなにやらごそごそする気配。
「でも、だって、先輩私の家知ってるんですか?」
私は困惑して訊ねた、
梶に聞けば大体分かる!
それを最後に電話が切れた。私は玄関に相変わらずへたりこんでいた。

これから東尾先輩がここに来る。私はどうしたらいいか分からなくなって、取り合えず、真っ赤になった、と思う。



おしまい。