小説「君とともだちになりたい」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

喧嘩する程仲がよい、小学生じゃないのだが、しかし大人に成ればなるほど喧嘩しなければ友達にはなれないと、痛感する。

だから私はあの人とは友達に成れないだろうなあと思うのだ。
その事が、哀しくてならない。

大人になると当たり障りなく
付き合わなくてはならないものだ。
そこにイサカイの種を持ち込んではならない。
心から糞みたいな奴でも丁寧な言葉で挨拶して大切に扱わなくてはならない。何故だろう。何故波風を立てては成らないのだろうか。誰も収終してくれないからだろうか。

私は仕事をしながら週末は、不登校や引きこもりになっちゃったり、情緒的な障害があってなかなか学校に行けない子供たちを、支援する団体のボランティアをしている。

活動内容は、公園だの山だのに連れていって外気に触れさせて遊ばせる事だ。
結構体力が要る。
引きこもっていても彼らは若いのだ。彼らの方は体力に溢れている。それについて山を登ったりするんだから大変だ。

学校にはなかなか行けないんだけど、この集団には親しみやすい、と言う子供は多くて週末はなかなかの盛況なのである。

ところで私は一緒に活動をしている人と友達になりたい。
でも成れない。その人は手作業が器用で小刀なんかの使い方が上手くていろんな知識を持っていて、子供たちに竹とんぼや針金細工をつくってあげている、いつも。

私はその人と友達になりたい、と思うんだけど、これはなかなか難しい問題だ。

例えば恋人になるとか家族になることに比べて友達になることはメリットが少ない。
友達になったからって何か良いことがある訳じゃない。日常が何か劇的に変化する訳じゃない。連絡先を交換したからって友達に成れる訳じゃない。
だから大人になるとあえて友達には成ろうとしないのだ。

それに何よりも友達に成るためには私はその人と喧嘩をしなくてはならないのだ。これが一番の問題である。

それほど親しくなく、
当たり障りなく付き合っている人と、
喧嘩するほど難しいことはないと思っている。喧嘩して、仲直りしてもいいと思ってもらえないと友達にはなれない。

だから私は非常に残念に思っている。私はその人と喧嘩がしたい。

子供の頃そうしたみたいに、癇癪を起こしてののしりあって、取っ組みあいになって一緒に行こう泣きたい。
そう言うことをその人としたい。

でも出来ない。
だからその人と友達に成ることは、まずもって無理だろうなと思っている。