リアリズムな夢

リアリズムな夢

リアリズムと申します。
基本的にブログのような散文のようなものを書きます。
特にタイトルや末尾に言及のない短歌などはオリジナルの物となりますので、許可のない引用はご遠慮ください。

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仕事のことを考えると眠れない。

 

いつからだろう。

 

多分責任者になって、小さな事業所を任されて、

 

なまじ少しだけ成果を出してしまってからだ。

 

2年後が怖い。

 

今と同じくらい成果を出していられているかがわからない。

 

来年が怖い。

 

あの新人が一発屋だったと言われるのが怖い。

 

明日が怖い。

 

私なんかが責任者なせいで顧客が離れるのではないかと怖い。

 

仕事を変えようか。

 

昔から、皆勤賞とか、長く続けていることが美徳だと思っていた。

 

だから、決断することが怖い。

 

裏切り者だと思われる。

 

これ以上人間関係が悪いところに行くかもしれない。

 

昔は自分の力を過信して、

 

ろくに手に職をつけてこなかった自分が恨めしい。

 

ちゃんと、自分で自分を支えていけるほど働いていける自信がない。

 

何も決断できない私は、

 

明日も笑顔を貼り付けて仕事に行く

 

 

私には帰る場所がない。

 

昨年母を亡くした。

 

母を失って初めて、親の存在が自分の存在を裏付けていたのだと気がついた。

 

ドーナツの穴は、何もないけれど、

 

ドーナツの存在に裏付けられている。

 

それと同じで、私は母の存在に自分を裏付けていた。

 

依存しているつもりはなかった。

 

一人前に反抗期があったし、

 

厳しい母親だったと思うし、毎日喧嘩しているような親娘だった。

 

でも母を亡くして帰る場所がなくなった。

 

父親はいる。

 

帰る実家もある。

 

だから、「場所」がないわけではない。

 

でも、でも。

 

私が全てを失った時に、全てを捨ててしまった時に、

 

わたしが人に何も価値を与えられなくなった時に、

 

生きているだけでわたしを肯定してくれるのは母だけだった。

 

わたしの持つ性格や、容姿や、提供する価値ではなく、

 

わたしの「生」を肯定してくれる母がもういない。

 

ふとした瞬間に軽率に全部ダメだったらもう死んでしまおうか、

 

とぼんやり考えるようになったのは、去年の夏を超えてからだ。

 

 

母ときちんと会話ができた最後の連休に、高熱を出した。

 

蓋を開けたらウイルス性の扁桃炎だったけれど、

 

明日から仕事という日まで、熱が下がらなくていよいよ焦っていた。

 

実家から自宅までの3時間の運転の道のりを、

 

解熱剤を何度も飲みながら乗り越えた。

 

母は「会社休んだら?」と言った。

 

会社の事情を考えれば無理だ。

 

半ブラックだけど、

 

サービスの値段と、人件費と、そういうことを考えると、

 

ギリギリの人数で回すべきなのはわかる。

 

だから、そういう諸々のことを考えたら休めない。

 

それでも、それでも。

 

わたしのことだけを考えて「休んだら?」と言える母は、

 

ひたすらに他人の事情を無視してわたしのことだけを考えてくれていた。

 

会社は点滴を打って行った。

 

休む、ということをわたしは実行に移さなかった。

 

でも、それを簡単にわたしに提案してくれる人がいるということが、

 

それが大切だった。

 

 

その母がもういない。

 

全部失ったらどうしよう。

 

価値が提供できなくなって、

 

お金が稼げなくなって、

 

1人になったらどうしよう。

 

 

わたしは何一つ乗り越えられていないのだ。