A Day in the Life

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気ままな絵筆

Amebaでブログを始めよう!

 

わたしがブログを始めた2010年、最初に声をかけていただいた

日々を自分にどう意味づけるか学ばしてくれ、

喪失を見越し、可塑性や獲得的な側面も見せてくれた

ありがとうございました

ご冥福をお祈りします

このひと月前までは暖房を入れる時もあったのですが、早いものでもう”立夏”を過ぎてしまいました。今年度は実習課程を取るつもりで専攻の科目をいつもの半分にしていたのですが、実習課程の選考に漏れてしまってすっかり時間に余裕ができ、いろいろと余暇の使い方を考えていましたら、今度はコロナの第4派の到来、予測不能なループから抜け出せるのはまだまだ先のようです。

 

 

 

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すこし暦を巻き戻して、まだ先行きが明るかった4月下旬、九博の企画展が始まったので、GWの密を避けてオープニング翌日に出かけました。100点を超える正倉院宝物のレプリカは技巧本位でも価値のあるものですが、制作の過程の新たな発見や学説の検証、リプロダクションと形式知などによる人的な広がりを考えれば、素晴らしい未来への投資とも云えそうです。勿論、オリジナルへの興味関心は特別なもので、いつかは正倉院展へとの思いも募ります。

 

 

 

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菅原道真も聴いた梵鐘の音は「こちら」。

 

 

 

常設展も模様替えをしていて、ハンズフリーはまだ無理でしたが、撮影はかなり緩和されて、昨年の特集展示ではNGだった国内最古の「観音寺梵鐘」が撮影OKになっていました。まだ展示されていることにも驚き。

 

 

 

 

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天平勝宝5年(753年)12月26日、太宰府を訪れた鑑真が観世音寺の境内地で初の授戒。

 

 

 

博物館の帰りに寄った「観音寺」は、源氏物語の玉鬘(たまかずら)の巻にも登場しますが、その隣の「戒壇院」は、奈良東大寺、下野(栃木)薬師寺と並ぶ日本三戒壇。

 

 

 

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大宰府政庁跡のとなりに佇む坂本八幡宮には大伴旅人の歌碑も。

 

 

 

大宰府政庁跡を挟んだ西側には”令和”の由緒となった坂本八幡宮があり、梅の歌の碑がありました。個人的な感想ですが、「万葉集」が勅選でないだけに大伴旅人や山上憶良の歌の心が素直に響いてくるようで、「本当にいいなぁ」と思います。

 

 

 

 

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万葉の歌心を現代に引き寄せた”令和”

 

 

 

そして、明治の岡倉天心が、「大宰府の地に国立博物館が必要だ」と、説いた意義もよく理解できます。

 

 

 

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一番新しい国立博物館のデザインは、野鳥にとっては受難になったり。

 

 

 

GWは、専攻の中間レポートやらWeb指導に費やして、後半の面接授業の準備をしていたら「コロナの第4波」が宣言されて、間を置かず「面接」から「Zoom」へ振り替えの通知があり、感染者数は指数関数的に上昇、「緊急事態宣言」を国に要請するとのこと。

 

 

 

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引き籠りの憂さ晴らしは自家製面。

 

 

 

当分は引きこもりの生活が続きそうなので、悪しき考えなのですが、来月予定していたレポート作成用のフィールドワークを「宣言発動」までの間に前倒し、GW後なので密は避けられそうとの期待もあったのですが、果たして期待どおりでした。

 

 

 

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山形のそば粉は手強くて、細打ちを許してくれませんでしたが味わいはGood!

 

 

 

博物館講座を受講して「企業博物館」の設置の目的や期待される効果などが未整理で、これをテーマにした博物館実習の応募レポートを考えていましたが、その教科書のようなミュージアムが北九州市にありました。

 

 

 

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ユニバーサルデザインのとなりはユーザビリティのアピール。

 

 

 

国内の衛生陶器のシェアは三社で占めているそうですが、その最大手のTOTO株式会社が運営する「TOTOミュージアム」で、コロナ過の対策で管内ガイドは利用できませんでしたが、運よくスタッフの方と話す機会があり、このフィールドワークで国公立・大学・民営博物館とのデマケやメセナ活動とのバウンダリーの整理ができそうです。

 

 

 

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建築の意匠としても見るべきものがあり、日本展示学会の学会賞・作品賞を受賞。

 

 

 

一昨年の暮れ、武漢の感染症流行と同時期に始めたスコッチトレイルも3年目に入って、100ヶ所近い蒸留所の役半分を巡りました。

 

 

 

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Caledoniaのラベルはスコットランド旗のデザイン。やはり独立の気概が表れています。

 

 

 

その日の体調や気分でも味わいは変わりますが、樽の種類・容量、フェノール、麦芽・モルティング、蒸留、熟成、バッティング、濾過など幾つかの特徴をイメージする楽しさも覚えましたが、この二本はアイラとは異なる優しいピート感、ブランド名に使われたフォークソング「カレドニア」の素朴なイメージが相まって、ハイランドの個性として長く記憶に残りそうです。


 

 

カレドニアは英国北部の呼称で、独立問題で絶えず揺れていますが、この曲からも民衆の気概や誇りのようなものを感じさせてくれます。

三月はテレビも番組編成の節目で、最終回や特集、アーカイブなどが放送され、記憶に残ったものをいくつか。一つはBSプレミアムの「黒部の太陽」で、これは高校の正課の授業で映画館に見学に行きましたがストーリはほとんど忘れていて、半世紀ぶりに映画を観て、今は亡き俳優たちを懐かしみました。
 
 
 
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この映画まで「俳優」は映画会社の専属で、会社間では共演ができなかったそうです。

 

 

 

石原裕次郎(日活)と三船敏郎(東宝)は、まさにプレーイングマネジャーで、五社協定の垣根を取り払い「オールジャパンの俳優が出演」する映画作りに挑んでいたことを初めて知りました。それにしても石原・三船ともに俳優としての意気込みも凄く、石原はテレビ界にも進出しましたが壮絶な闘病の甲斐なく早世、晩年の三船は妻もわからなくなるほどの認知症だったけど、台詞回しには何の問題も感じさせなかったとか。二人の俳優と昭和の時代が響きあう良い番組でした。
 
 
 
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平成3年の大河ドラマ。足利尊氏を真田広之、正室は沢口靖子、尊氏の盟友「道誉」は陣内孝則。
 
 
 
日曜朝の時計代わりに見ていたアーカイブ「太平記」。戦に明け暮れる軍記のタイトルが何故「太平?」と思ってみていましたが、最終回を見て、後の室町の世の「太平=平和」への希求が込められていることに気付きました。さておき、大伴(家持)氏時代の「海行かば、水漬く屍、山行かば・・・」から大岡昇平の「レイテ戦記」まで脈々と戦記文学の系譜が続いているということは、戦を以て平和の尊さを説いているのか、それとも、戦抜きに歴史は語れないということか。
 
 
 
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中尊寺の参道(月見坂)の途中、弁慶と義経が祀ってありました。
 
 
 
 前後してEテレの能楽「船弁慶」。一昨年、奥州平泉を訪ねた時の記憶もあり視聴しましたが、古典文学・古典芸能の集約力と継承力に気付かされました。「壇ノ浦の戦い」から4世紀の時を経て「平家物語」が成立して「船弁慶」の初演へと、歴史の意義や価値が受け入れられるには時間もかかる。明治の「戊辰戦争」や「日露戦争から太平洋戦争」がその様な日を迎える頃、日本はどうなっているだろうか。
 
 
 
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久留米のジャズクラブに向かう途中、そば打ちの先生の店で。ひさしぶりに「ふわふわ」の蕎麦がきを堪能。
 
 
 
関東赴任の最後の年は記憶に残るライフイベントに遭遇。一つは国の外郭で働く者の宿命である法律改正が閣議で決まり、組織に残るか転籍するかを迫られ、後者を選択して赴任が最後の年になったこと。もう一つは「3.11」を赴任先で経験したこと。神奈川の勤務地は「震度5」でしたが、幸いにも人への危害はなく、軽微な損壊とライフラインと交通インフラへの影響で済んだのは幸運でした。
 
 
 
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いつもアクティブな「コジノリさん」。関東でご縁ができて10年が過ぎました。
 
 
 
まだ肌寒さを感じるころで、ビルに収容した帰宅困難者とともに一夜を過ごして、その年の秋に赴任を解かれて福岡に戻ってから間もなく10年。九州でも地震に大雨など、決して平穏ではありませんでしたが、ウィズコロナのなか、関東で繋がったジャズプレイヤーが久しぶりの来福、地元のプレイヤーとのセッション。いろんな思い出とポストコロナへの想いとが響きあってアズ・タイム・ゴーズ・バイ。
 
 
 
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清少納言も森茉莉も「自由にして辛辣」。「好きならついておいで」と云ってるみたい。
 
 

早いもので新年度。今期に選択した科目には、単位試験の問題(課題)を自分で作り、答案の事前作成が可能という大学講座らしいものがあって、教材以外の文献調査が必要になるので、別の意味で大変ですが、春休みに下調べをした「枕草子」と「森茉莉」の関係について課題を作ってみようと思います。-春はあけぼの-、紫式部であれば前か後ろに(をかしきもの)と繋ぐはずですが、清少納言はどうしてそれをしなかったのか、そこには清原元輔の「父の娘」として、そして森茉莉には森鴎外の「父の娘」として、千年の歳月を超えて響きあうものがありそうです。前期はそれを探します。
 
 
 
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コロナは第4波だとか、今暫く家飲みが続きそうで、スコッチ蒸留所巡りは46ヶ所ほどに。
 
 
 
久しぶりにフランク・ウエス、柔らかい音色もスケールもいいな。

ふと思い立って書棚の断捨離をはじめましたが、いつもの如く捨てる資料に見入ってしまい、「回想用」にと、またファイルに戻したり、そしてもう何処に仕舞ったか忘れたり、探していた確定申告の「ID・Password」は結局見つからず、税務署で再発行してもらって、ファイルに仕舞おうとしたら、そこに同じものがあったり。頼山陽が江戸後期に『日本外史』に「老いて・・・恍惚として・・・」と書き記しているようで、歳を取り物忘れすることは自然で案外仕合せなことかもしれない。

 

 

 

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エリクソンの壮年期の世代には、いろんなことに創造的に関われたようだった

 

 

 

学童期から高度成長時期の真っただ中で、高校からは「理数や専門科目」の学習に明け暮れて、おかげで人文系のことなんかすっかり意識からなくなっていましたが、リタイアをきっかけに学びなおしをはじめたところ、覚える楽しみと達成度を測る欲も出てきて「実習講座」の選考面接にもトライ。

 

 

 

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理想とするキュレーションは、フォーラムとなる展示の創造。

 

 

 

現役時代も通じて面接らしきものは久しく経験してなかったので、いい歳をして高揚感や緊張感、事後の脱力感まで楽しみましたが、多くの応募者のなかで年長者は自分も含めて目立つ存在で、整理番号が定員の数を超えていたので、少し嫌な予感もしましたが見事に的中して選外(不合格)、来年度の募集に期待をつなぐことにしました。

 

 

 

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博物館実習の拠点となるキャンパスだったけど今回は絵餅に終わった。

 

 

 

一方、嬉しいこともすこしあって目標にしていた科目群の単位がクリアできて、博物館と異文化のエキスパートを申請できたこと、とりわけスペイン語はタイミングよく日本に留学経験のあるメキシコのセニョーラとSNSでつながることができて、彼女が日本向けに発信している動画は今後のスペイン語のメンテナンスを楽しくしてくれそうです。

 

 

 

岡山大学の教育学部仕込みのAna Carの日本語writingはローマ字打ちだが恐ろしく流暢。

 

 

 

エリクソンの発達段階の区分では最上位の世代になってしまい、もう今から獲得するのは「自己統合」だったり、「絶望」と戦うことしかないのかもしれませんが、エリクソンも「人生100年時代」を想定して発達課題を考えていなかっただろうし、いまから何をはじめてもよいのが人生なんだろうから。

 

 

 

My Wayは、”自己統合”を歌うが、Nina Simoneは人々に励ましと真実の自分らしさを啓示しているようだ。

一月は緊急事態宣言の発令に呼応したかのように、地域の施設でクラスターが発生、感染者数は前月までの累積を上回る状況で、カミさんが咳き込み始めたものですから、ついに、という思いでPCR検査を受けましたが結果は陰性。ほっと胸を撫でおろしましたが、考えてみると、これまでのウィズコロナの感染対策でもなんとか凌げるかな、との期待も持てるようになりましたので、災い転じて...と、思うことにしました。

 

 

 

古典文学から琳派、印象派への展開

伊勢物語(九世紀半ば成立 絵巻は平安時代末頃)

燕子花図屏風(1658〜1716)
睡蓮(1840- 1926)

 

 

 

二月に入ってもクラスターの影響は残っていますが、経路不明の感染は収まっている状況。このままワクチン接種などで集団免疫が行き渡り終息に向かってくれればと祈るばかりです。と、いうことでインドアの春休みが続いていますが、来年度の大学連携実習の書面審査の結果が届き、面接審査に進めることになりました。

 

 

 

浮世絵からインスパイアされたジャポニズム
富嶽三十六景・神奈川沖浪裏(1831-33年)
休息(1873年)
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アルジャントゥイユ(1875年)

 

 

 

すでにキュレーターに必要な単位は取得していますので、ようやく最後の関門にたどり着けましたが、これまでの専攻が自然史系に偏っていましたので、この春休みに文芸への関心を高めておこうと、関連講座のシラバスを調べていましたら、美術とその周辺から造形に注目する講座が目に留まりましたので、これで半年間、切磋琢磨してみようと思います。

 

 

 

印象派との「共鳴、うねり」の相互作用が生み出す妄想の世界

オランピア(1863年)

肖像<双子>(1988-90年)

 

 

 

少し馴染みがある印象派の作品との比較考証が取り上げられていますが、単位の認定は授業内容の記憶を問う選択式の試験ではなく、テーマ選択の論文形式となっており、かなり手強そうです。ただ、授業は著名な学者や芸術家との対談が豊富に盛り込まれており、モチベーションを維持しながら、テーマを選ぶことまでは楽しめそうで、文脈を「時代や文化圏を超えた芸術創造のインタラクション」として、日本と海外とのミッシングリンクを探してみることにしました。途中でつまづき別物になるかもしれませんが、とりあえず半年後の出口にしてみます。

 

 

 

ダリル・ホールとその作品の最大の魅力は、共演者の個性を引き出し響きあうこと