昨年11月、木曽の御嶽神社を巡った帰りに、同行者から岐阜県恵那市に血洗池という場所があることを教えていただきました。
そこで、血洗池に寄ってみることにしました。
まず、血洗池の200m程手前にある血洗神社に立ち寄りました。
周辺に民家は全くない場所に、古びた小さな神社がポツンと存在するだけです。
由緒板とも無く、祭神も全く分かりませんでした。
しかし、かなりの神氣を感じました。
元々は、この先にある血洗池のそばにあったようですが、土砂崩れ等により現在地に遷座されたようです。
次にお目当ての血洗池に向かいました。血洗神社の少し先にありました。
池となっていますが、水は全くありませんでした。枯れていました。
江戸時代の古文書によれば、当時は1ヘクタールくらいの大きな池だったようなのですが、土砂の流入等により昭和初期にはかなり小さな池になってしまったようです。
現在では、一部に湿地があるくらいで、その面影は見当たりません。
血洗池そばに案内板がありました。
血洗池という名は、なんと伊邪那美尊(いざなみのみこと)が天照大神を御産みになられた際、その胞衣(えな:胎児を包んでいる膜と胎盤のこと)をここの池の水で洗ったところ、池の水が血の色で赤くなったことが由来とのことです。
そこで、この地が胞衣と呼ばれるようになり、漢字が恵那(えな)に変化したようです。
伊邪那美尊は、この時の胞衣を、近くにそびえる山に納めたことから、この山が恵那山と呼ばれるようになったようです。恵那は天照大神が生まれた神聖な場所なのです。
また、血洗池にある岩は、当時、伊邪那美尊が腰かけた腰掛岩とされています。
天照大神は、太陽神の役職なので複数代に渡るのですが、それでも少なくとも数千万年以上前の話になるはずです。
数千万円以上前の腰掛岩が残っていること自体が信じられないかも知れませんが、このような神話の伝承はほぼ正しいと言ってよいのです。
古代、恵那山の頂上付近は、おそらく高天原に繋がっていたのでしょう。
これを伝えているのが、恵那山中腹に鎮座する恵那神社です。
恵那神社のHPには、恵那山のいわれが記載されています。
恵那の地名は伊邪那岐・伊邪那美の夫婦が峠を越されて美濃の地に入られた(神坂峠)時、天照大神をお産みになった際の胞衣(えな)を山に納めたと伝えられ胞衣山が恵那山になったと云われており、産湯につかわれた湯が「湯舟沢」、胞衣を洗ったとされる「血洗の池」「血洗神社」、出産を終え安らかな気分になり腰を掛けた岩「腰掛岩」、安らかな気・安気が「阿木村」等、言い伝えにまつわる地名が数多く残っております。
天照大神に関連する神社は、伊勢神宮を筆頭に日本全国各地にありますが、このことは日本が地球上で最も重要な神国である証です。
現在の日本の天皇は、天照大神以前の神代から繋がっています。
伊弉諾尊-天照大神-天忍穂耳尊-瓊瓊杵尊-火折尊-鸕鶿草葺不合尊-神武天皇
従って、日本列島全体が、高天原の名残りであり、世界の中心と考えてよいのです。
現代では、神代というのはフィクションと思われてしまっていますが、これから神国日本の片鱗が徐々に表に出てくるのではないかと考えています。
世界中の混迷が深まった時に、日本が輝き出す時期が来るでしょう。10年以内のことだと考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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