六マリアと真の家庭(3) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文亨進世界会長が先日認めた(詳しくは「血統転換の奥義」(1)(4)を参照)「六マリア」(血分け)ですが真の家庭とどのような関連があるか具体的に考察したいと思います。

<血統転換の奥義シリーズ>
「血分けが統一教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯(1)~(5)」に詳細な内容がありますのでまず、読んでいただくと理解しやすいと思います。
<六マリアと真の家庭シリーズ>
(1)文先生と「血分け」した祝福家庭を優先的にメシアの血族とする・三位基台家庭同士で性も子供も共有・中には近親相姦婚の2世もいる?
(2)真の家庭内における近親相姦婚(兄妹婚)


《1969年撮影》
ちゃぬの韓国日記
文先生の右の式服を着ている女性が崔元福先生(カインのお母様)。777双の祝福まで一緒に聖酒を配られていた。(クリックで拡大)
$ちゃぬの韓国日記
文鮮明先生と崔元福先生と韓鶴子(真のお母様)が祭壇に敬礼している。
中央には豚の頭が置かれている。聖書では豚は汚れた動物とされており、統一教会がキリスト教と全く無縁の宗教であることを証明することとなった写真。(クリックで拡大)


《もう一人の「お母様」》
彼女はすでに統一協会に入信して大学を辞め、その後、家庭も捨てて文鮮明のもとへ走った。なぜか食口たちは、崔元福を「お母様」と呼ぱされていた。しかし、この「お母様」というのは、原理のどこに出てくるのだろうか。六人のマリアは、イエスがセックスをしなげれぱならなかったのに、それができなかったのでイエスは死んだ。そこで第三のアダムがこの世に来て、六人の人妻をマリアに復帰させるという口実で文鮮明がセックスをし、その肉体も財産も奪いとった。そして処女一人を選択し、「小羊の儀式」と称する結婚式を挙げた。そして、文鮮明と妻の鶴子を「真のお父様」「真のお母様」と呼ぱせている。真のお母様はすでにいるのに、「崔元福お母様」という名称は、原理のなかのどこから引っ張り出した存在なのだろうか。どうしても理解できない。文鮮明は六人のマリアを選択し、その他にも行き当たりぱったりのセックスをしていたが、そのなかの一人を特別に「お母様」と呼ばせる理由はない。ただ、文鮮明自身が好きで、熱を上げていた女だから、「お母様」と名付けたのだろう。ひどい話である。あとで聞いた話では、真のお母様のお母様、つまり文鮮明の妻である韓鶴子の母親、洪順愛が、「アメリカに行っている崔元福は二号だ、妾だ」と騒ぎ立てたので、仙和芸術学校の校長として、崔元福を韓国に帰らせることになった。この学校は、朴普煕の弟、朴魯煕が理事長でいたが、校長という名称もただ上っ面だけの話で、文鮮明が慌ててつけた口実に過ぎないと思う。表に「原理」を降りかざし、裏へ回れぱおよそ宗教人らしからぬ文鮮明の言動は、あいも変わらぬ女の問題や不動産の不正購入、脱税事件、「人の金を盗んで来ても、神は許す」という教唆など、書きつくせないほどあるが、もう一つ私の体験を書いておきたい。
(「六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!! 朴 正華 P.251より)



《3人の性生活と重婚関係》
94 名前: 50代 投稿日: 02/11/05 12:23
・・・具体的な私の経験話を。777のときは祝福する主体は文先生と韓鶴子(真のお母様)と崔元福先生と3人おられた。私のレスをはじめから見ていた方はご存知でしょうが、この3人で1組の夫婦であった。ラケルとレアなどとも言われたが私たちはアベルのお母様、カインのお母様といっていた。とうぜん寝室は3人ご一緒でした。そのエピソードはレスを読んでね。祝福の弁舌的主導権は崔元福先生がおとりになって、「この聖酒は私たちの精液が入っています」とのご指摘。女性がのんで残りを男性に飲ませるようにと、韓鶴子(真のお母様)はなにも言わず(言えずかあ?)文先生はワインをニコニコしながら女性に渡していた。さて、女性たちはこの聖巾を各自1枚ずつとるようにとこれも手渡しこれも崔元福先生が主導権をとって、「この聖巾は私たちの性器を拭いたものです、ついているシミは汚れではありません、まことのご父母様たちの聖なるお勤めのしるしです。あなた方もこれを腰の下において性行為を行い跡はこれでていねいにぬぐいなさい」とのお言葉。みなさんありがたくいただいてましたね。よくみたら文センセーの性器をぬぐったようなシミがついていました。このような貴重な品をいただけたのも777までだそうです。

96 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/05 12:37
777の方々はすべて知っていらしたんですね。。。 私の身近にいらっしゃった777の御夫人も。。。

98 名前: 50代 投稿日: 02/11/05 12:47
>95
そのとおりです。当時は3人で性生活をしてました。始めて、日本にこられたとき、口紅、お化粧、イヤリング、派手な衣装と、統一のすっぴんのおんなどもに見慣れていた私たちは違和感を感じました。それが、世界巡回路程(旅行)出発のときこのとき聖地が世界に指定されていったのです。その旅行の間中3人で寝室共有していて、ホテルのボーイにベット3個は入れられないとかくどかれてたそうです。
(そのときの崔元福先生のお話)
鶴子(真のお母様)はまだ幼いから先に文先生とsexするのだが疲れて先に寝てしまって、そのあと私(崔元福)とsexしながら「幼い鶴子にはわるいことをしたよなあ」などとお話になるんですよ、などというお話をお聞きしました。
(統一教会の何が悪い!!!!!【Part 9】よりhttp://life.2ch.net/psy/kako/1036/10363/1036354775.html)



《文先生とカインのお母様(崔元福先生)と真のお母様との3人の性生活(重婚状態)とそれを見ていた真の子女の苦悩》
itiro - 2003/06/19(Thu) 21:47 No.9
(前の記事を受けて)崔元福先生との重婚状態について書いていない。1954年より1978年ごろまで文先生は基本的に崔元福先生との事実上の結婚状態の上にほかの女性との結婚をしている。韓鶴子(真のお母様)との結婚も事実上重婚状態。ここでラケルとレアが果たせなかった女性としてのヤコブの勝利を得るためであったとの事後説明がついている。

カインの末裔 - 2003/06/21(Sat) 16:56 No.49
上の記述は、私も事実だと複数の方々に確認していますが、年代は、1978年でなく、1983年ぐらいまでではないでしょうか?ヤコブの21年路程(1960年から1981年)とするには、長すぎると思った記憶があるのですが。それから、確か、崔元福先生が目の治療で、日本経由で韓国に帰られた時から重婚状態がなくなったと思います。その時に元福先生と直接話した方から聞いたところによると文師夫人が嫉妬で服を挟みで切ったり座布団を蹴飛ばしたり、お子さんたちが、元福先生の座る座布団を隠したりしてどうしようもない状況になったので返されたと言っており、文師夫人の相当な批判をしていたそうです。その当時は「真のお母様の勝利とは女の嫉妬でカイン型の妻を追い出したことか」
などと一緒にいた古参の幹部が説明していたのが、妙に印象に残りました。この辺の問題には、非常に関心がありますので、色々教えて下さい。西川先生に聞いた時には、西川先生も文師と元福先生との関係からメシア性を疑い始めたと語っていました。第一次世界巡回の時のお話だそうです。文師の最初の妻(崔先吉)、そして崔元福さん、さらに西川先生の本名などが、なぜ崔という名前であるかというと西川先生によれば文師は、韓国では崔という名前は、鳳凰に王冠がかぶさった名前で崔家に救世主が生まれるという言い伝えが長くあったため文師は自分のメシア性を示すために崔という名前の女性や側近にこだわったそうです。

itiro - 2003/06/21(Sat) 18:50 No.50
どこまで続いたかはこれは定かではありませんがはじまりは確定的だと思います。世界巡回路程のときまず日本に来られましたよね。そのとき私などすっぴんの色気なしの女性しかいない統一に、いきなり口紅アイシャドウ、イヤリングの、真っ赤なスーツの女性が来たのに戸惑っていたら、やっぱり恐る恐る「崔先生はなぜお化粧をなさるのですか」と聞く輩がいて、(崔元福先生)答えていわく「あるものは利用します、文先生が喜んでるのだからいいのでしょう」とあっけらかん。しかも韓鶴子(真のお母様)との3人性行為も隠さずにべらべらとまったく驚きでした。祝福のときの聖酒式ももっぱら一人で采配を振るってこのワインには私たちまことの語父母様たち(3人set)の精液が入っています。とこれまた堂々と。韓鶴子(真のお母様)などちいさくなって言われるまま文先生はそれでいいのだとにこにこしながらワインを女性に配っていました。そのころ韓国の若いシックと論争をしてあの崔先生とは一体いかなる立場のお人なのかを言い争いましたが彼はカインのお母様の一点張りでそれ以上論議がすすまなかった。まあ、韓鶴子(真のお母様)と崔元福先生ではお年が違いますし教養もおありですから文先生も夫婦としては崔先生を婦人格にしていましたね。いつぞや文先生が怒鳴っていたことがあって何いってんかなとシックに聞いたところ、やはり女の戦いで崔元福先生に分があったのでしょう。「鶴子おまえは子供を生んでればいいのだ」といっていたそうです。正直言って(頭のいい)崔教授とおばかの鶴子では勝ち目はなかったのでしょう。その崔先生もよる年波には勝てず、また文先生の性交がこれがまたしつこいそうで、体力がなくなり更年期を迎えたのでは満足させられるわけもなく、韓鶴子(真のお母様)も知恵もついてきて女の闘争は幕を引いたのではないでしょうか?

名も無き二世:2006/10/02(月) 15:19:59 ID:GX6NUOz20
韓夫人と崔元福さんの葛藤。韓夫人がはさみで崔元福さんの服を切った事件。お子さん達が崔さんの座布団を隠した事件。韓夫人が数千万円もする大理石のお風呂を気に入らないと作り変えさせた事件。特に上のお子さん達が、文師に対して葛藤したり直談判した最大の理由は、文師と会う機会が少なく、愛してもらえなかったからではなく、崔元福さんと庶子の存在なのです。
今でも女性のお子様達が全員、文氏に対して批判的なのは、母の苦労を目の当たりにして、女性の立場から「許せない」との思いがあるからです。
(二世掲示板議論用よりhttp://nisei.jp/discussion/)

カインの末裔 - 2002/02/20(Wed) 09:07 No.1277
世の中には、両親が、共働き、公職についているために、忙しくて子供の世話を直接は、見れない親は、たくさんいます。ましてや、片親や母子家庭で、働くのに忙しく、なかなか面倒を見きれない家庭も数知れないほどあります。子供を教育するのに、後姿で、教育することもできます。オリンピックの清水選手の家庭が、良い例です。長野オリンピックで、清水選手は、お母さんに金メダルを書けて上げました。このように、むしろ、両親が、そろっていて経済的に豊かな家庭でも両親が、いつもケンカしたり、父親が、不倫や浮気をしたりしている家庭の方が、子供は、不良化しやすいのです。
文家の問題、「文家の試練」は、この問題で、子供達が、悩み、苦しみ、不幸な結果になっていると私は、見ます(あくまでも私の見解)。文家は、上の兄弟姉妹から「積み木崩し」が、始まっています。なぜでしょう。これは、誉進さん、孝進さん、恩進さんが、文師と崔元福さん、韓夫人の三角関係だけでなく、四大聖人の奥さんとの複雑な関係に耐えられなかったからです。
韓夫人が、まだ若い時、崔元福さんに嫉妬して服を鋏で破いたり、座布団を蹴飛ばしたりした姿を誉進さん、孝進さん、仁進さん、恩進さんが、見ていてショックを受けたり、夜中に文師の寝室に崔元福さんが、入る姿を見てショックを受けたりしたのです。これで、子供が、おかしくならない方が、不思議ぐらいの試錬(?)を受けました。仁進さんは、悩みながらも文師の複雑な女性関係を「原罪問題、過去の蕩減」と思いこむことができました。しかし、孝進さんは、ナンスクさんの本にもあるように、文師だけでなく、自分も複数の女性と関係する権利が、あると間違った方向に行き、10人以上の女性と婚外の関係を持ってしまったのです。さらに、恩進さんは、庶子の朴サムエルさんが、いることや文師の言動不一致に耐えられず、さらに、夫と気が合わずに離婚して、馬のコーチと再婚して、子供を産んでしまったのです。
(過去ログ倉庫(1)よりhttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/8586/kakorogu1.html)
※投稿内容をわかりやすくするため呼称を修正して掲載しました。


にほんブログ村 統一教会