みんな、元気ですか?
特に、地元のみんなや、東京で音楽を通じて出会った友人、たくさんお世話になった方々。
ここ2年半くらい、私が何をしてるのか、生きてるのか、なんで連絡とれないのか、そう思いながら連絡くれていた方もたくさんいたのに、それすらも返さずに、音信不通にしてしまったこと……この場を借りて謝りたいと思います。
と同時に私のこの2年半を赤裸々にブログにします。
18歳で歌手を目指して東京に出てきた私。
2年間専門学校に通い、在学中も色んな経験をさせてもらった。
卒業後、恩師の元でレッスンをしながらお仕事もライブもたくさんさせていただきながら音楽活動。
2010年、第一興商さん主催の全日本カラオケグランプリで、関東を突破し、全国35000人のトップ、日本一になれた。
そこから世界が変わった。
いきなりデビューとかはなかったものの、テレビのオファーや、知名度もやっぱり増えて、声かけてもらうことも増えたし、自分自身が、うまさ技術だけでなく、歌心で一点差を勝ち取り、日本一になれた事もあって、歌を届ける楽しさ、喜びを知ったきっかけだった。
その2年後、世界各国の人が男女1人づつフィンランドに集まる大会、KWCカラオケワールドチャンピョンシップに日本初参戦の年、日本代表として呼んでいただきフィンランドへ行った。
結果は世界で6番。
この大会では、音楽は世界共通だって、音楽の持つ力や、愛をたくさん感じた。
その大会で得たたくさんの友達、仲間から、歌ってる時にステージで見せてた貴方の笑顔は世界一だった。と言われ、辛い時もこの笑顔を絶やさずやってきたことが報われ、勇気と強さをもらった、宝物の時間だった。
帰国後、世界大会に出たことからも、またテレビのオファーなども増え、波がやってきた。
地元でもあり、もともと熱狂的なサッカーファンだった私。
中学時代から応援していた、清水エスパルスの公式応援ソングを歌う。とゆう夢も叶った。
夢は叶うんだなって実感した出来事だった。
エスパルスのCDにも収録され、スタジアムでも、CMでも、番組でもいまだに流してもらってる『始まりの笛』。
自分にとって、一生の宝物の一曲。
そのタイミングで、自分が尊敬する歌心の持ち主である先輩2人と、3人組でデビューを目指すお話をもらい、本格的に活動を始めた。
たくさん模索してたくさん歌詞かいてたくさん歌ってたくさん話し合ってたくさんライブした。
まだまだこれからだった時に、一生の病を自分が患った事を知った。
それでも、治療しながら活動は出来なくない、デビューした後に、実はこんな病気と闘ってましたって、笑って言えるから、伏せてよう。
あんまり人に言わないほうがいい。
そう決めて暫くやってた。
でも、やっぱりこの辛さには勝てなかった自分がいた。
誰にも話せない。
話しても、わかってもらえないから。
医者ですら診断できずらいんだから、一般の人が分かるはずもなく。
どんな感覚なのかも、話したところで誰にもわからない。
そんな感覚のまま歌を続けるのも正直ストレスしかなくて、しんどかったし、楽しくなかった。
でも、歌をやめたら自分には何も残らない。
歌しか生きがいがなかったから。
『痙攣性発声障害
けいれんせいはっせいしょうがい
(SD=SpasmodicDysphonia)』サイトより。
は、声を出そうとすると自分の意志と無関係に声帯が異常な動き方をしてしまう病気です。そのため声が詰まったり震えたりして、苦しく絞り出すような声になってしまいます。息漏れ声、かすれ声になるケースもあります。
声帯には見た目の異常がなく、医師にもほとんど知られていないため、「精神的なもの」と言われたり、病名にたどり着くのに何年もかかるケースも珍しくありません。
正しい診断・治療のできる病院は全国に限られた数しかありません。
患者の多くが、仕事や人間関係、就職活動などに困難を覚えています。学校でいじめの原因になることもあります。また声が正常に出る時もあることがかえって周囲からの理解を得にくくしています。
ほんとうにこの通りだった。
なんか声が詰まって発声できないなー。
当たり前のように歌えてた歌が、高音だけコントロールできなくなったなー。
音感、音程(ピッチ)だけは、誰よりもの自信があったのに、自分でうまく音を当てられなくなったなー。
音が達してないのわかってるのに、当てようとすればするほど声がつまる。
しまいには、普段生活してる時の話し声すらうまく発声できない日々が訪れました。
耳鼻咽喉科に行っても、異常ありません。
最終的に病名探し当ててくれたボイスクリニックでさえ、最初は、私の声が出ないという感覚を他の病気(声帯が荒れて、声が掠れてるのでは、とか、発声の仕方の問題とか)って診断してた。
で、やっと病名がわかったものの、完治がない病気、一生付き合わなきゃならない病気だと知らされ、その瞬間から私の人生は大きく変わった。
まず、音楽しか、歌しか生きがいがなくて、人に胸はれるものが、歌しかなかったから……
歌で稼ぐとかでなくとも、一生歌を歌って生きて行きたかった自分は、『生きる』ことを奪われた気持ちしかなかった。
神様をほんとうに恨みました。
他の何を奪われても、1番奪われたくなかった、自分の歌声。
歌うこと。
なんで…と、死にたい……。
それしか日々考えてなかった。
でも最初のうちはその気持ちと、昔からポジティブな自分とが戦って、その中でも色んなことにチャレンジしてた。
もう一度世界を見たり、外へ出てみたり。
でも、やっぱり、ダメだった。
歌を思うように歌えない事がストレスになり、歌うことも辞めた。
歌うことを辞めたと同時に、今まで聞いて歌ってた大好きな音楽も聞かなくなった。
聞くと、歌えてた頃を思い出すから。
歌えない今を実感するから。
でも、生きがいも、発散も歌しかなかったから、もう人生全てに対して、どうでもいい。
どうなってもいい。
生きてても死んでるのと同然なくらい、昔ニコニコ歌ってた頃の自分はいなくなりました。
誰もこの気持ちはわかってくれない。
話したとこで何になる。
誰にも会いたくない。
応援してくれてた仲間も、一緒に頑張ってきた仲間も、友達も裏切ったり、傷つけたり。
たくさん失ったものがありました。
それでも声をかけ続けて、ちえこ、ちえこ、と昔の私を呼び続けてくれた友や家族さえも、わかってくれるはずない。って、粗末にしてたと思う。
仲間が友が家族が、自分を取り巻く全ての人が大好きで、笑顔に囲まれる事が好きで、孤独が1番嫌いな私が、誰とも触れたくなくなった。
全てどうでもよかった。
最初のうちは、少し外にでて人と触れてみたりしたけど、もう、無理して笑う事も苦痛で。
生きてる事が楽しくないのに、なんで笑わなきゃいけないの?
笑ってたら歌が歌えるようになるわけぢゃない。
ほんと悲観にしか走ってなかった。
で、歌と同時にたくさんのものを自らの手で失いました。ほんとうにたくさん。
それでも、一個づつ一歩づつ取り戻せてるものもあります。
昔から一緒にいた大切な人が、どんな事があって、どんなに変わった瞬間があっても、芯は、やっぱりちえこなんだよ。って言ってくれた。
歌を失って、自分自身は、鈴木千恵子はいなくなった。って思ってた。
だけど、違う。と教えてくれた。
たくさんの人が応援してくれて力を貸してくれて、誇りに思ってくれて、支えてくれてた、歌い手のちえこは、もういないから。
その現実を自分自信が受け入れたくないがために、打ちあけなかった。
打ちあけたら、周りから人がいなくなっちゃうんぢゃないかって。そんな気持ちもあった。
きっと自分自身へのプライドもあった。
病気だとは言え、ここまできて、歌辞めたって言いたくないって。微々たる可能性があるなら、また楽しく歌える日まで諦めたくないって、歌の上手いちえこ。をみんなの記憶から消したくなかったんだと思う。
親にもいわれた、長く付き合ってた彼にも別れるときいわれた。
『ちえこは、褒められて伸びるやつだから』
『すごい、すごいって褒められて育った、歌と音楽を失ってしまったから、歌を歌ってた頃の自分を知る人、周りを拒絶したんだと思う』
って。今思えばその通りかもって思う。
歌を昔みたいに歌えなくなった私でも、なんも昔と変わらず接してくれる人がいた。いる。
そんな人と少しづつ、1人づつ、接し直して、向かい合って日々をやり直していたら、生きる希望も湧いてきて。
それでも失ったもの全てを取り戻せるわけぢゃないと思う。そんなに人生甘くないと思う。
わかっています。
でも、大切にしてくれた人を失ったことを、後悔してる時間があったら、まだ取り戻せるものもあるんぢゃないかって思って、勇気をだしてブログを綴りました。
まだいまだに連絡取れてない人もいる。
傷つけて、裏切って、謝りたいのに謝れてない人もいる。
これを機に勇気出して一人一人にごめんなさい。を言っていきたい。
待っていてください。
こう動けたきっかけは、神様からのプレゼントでした。
私から歌を奪った神様。
一生許せないと思ってた神様。
そんな神様は、変わり始めた私を見ていてくれたんだと思う。
歌と同じくらい、生涯愛せるものを、私に贈ってくれました。
新たな命を授かり、11月に母親になります。
まだ安定期手前なので、たくさんの人への報告には少し早いかもしれませんが、同時に報告させてもらいます。
ほんとうに、嬉しかった。
わかったときは、生きがいが歌以外にあるって実感できた日だった。
たくさん失ったものもあった。
失うべきぢゃなかったんぢゃないかって思ったものもあった。感謝しても仕切れない程私を見守って支えてくれた人もたくさん自ら失いました。
でも、出会いもありました。
4月の頭に、こんな情緒不安定な私を守ってくれ、結婚したいと言ってくれていた、彼と入籍しました。
まだ一年も経ってないです。もうすぐ一年。
ですが、たくさんの事がありました。
乗り越えてきたものもあります。
まだ戦ってることもお互い在ります。
そんな2人に、神様がくれたプレゼント。
赤ちゃんができたのがわかった日、2人で泣いて喜びました。そんな2人で一歩一歩共にあゆんでいきます。
心の底から、おめでとう。と、みんなに祝福してもらえる日を1日でも早く迎えるために、赤ちゃんが生まれた後に挙げる結婚式で、たくさんの人に、おめでとうって言ってもらえる日まで、時間を巻き戻すために、赤ちゃんが出来たのがわかった日から一個一個頭の中で、人生がプラスに戻っていくようにと、生きています。
繰り返しになりますが、待っていてください。
ちえこは、ここにいます。
歌は歌えなくなったけど、私はここにまだいます。
やっぱり大切な人へ。みんなへ。
それだけ、先にこの場を借りて伝えさせてください……
長い日記、読んでくれた方、ありがとうございました。
色んな言葉があると思う。
色んなこと言いたい人もいると思う。
コメントは皆んなが見る場所なので、出来ない設定にしました。
一方的でごめんなさい。
同情がほしいわけでもなんでもないから……
今は素直な思いを届けたかった。
やり直し人生を、
新たな道を歩む自分自身のきっかけにしたかった自分の一方通行ブログです。