同じ会社、同じコミュニティにいる人の中で、目を合わせようとしない人、挨拶しても返さない人、

 

自分が何かしたかもしれない、なんて思い、関わろうとするのはエネルギーの無駄です。

 

相手が関りたくないと態度で示すなら、こちらも関わらない。

 

それだけで生きる事が楽になります。

本当にこちらが何かした可能性もありますが、単純に好きになれない、人間的に合わないという理由の時もあります。

 

わからないなら放っておきましょう。

 

一生付き合っていくわけではないならなおさです。

 

こちらが気にすればするだけ、消耗するのは自分です。

 

気を使う事がやめられないなら、気を使う必要がないと相手がアピールしてくれるなら、やめましょう。

 

まず、気に掛けるべきは自分なのですから。

人間、どうしようもない時、追い詰められた心境になった事はないでしょうか。

 

私は何度もあります。

 

他人に振り回され、お金に困窮し、絶望した事も一度や二度ではありません。

一時期は働くどころか、他人に関わる事もできないくらいになりました。

 

その度に周囲に「あるはずのない」救いを必死に探していました。

引き寄せにも縋りました。

 

けれどどうにかなったのは自分でなんとかしたからです。

そして最終的に「自分を救えるのは自分だけ」という結論に至りました。

 

だから、困った事があっても周囲に期待せず、自身で行動を起こし、対処してきました。

 

そうやって生きてきました。

 

今もその考えは私の根底に強く根付いています。

けれど、最近、その意味合い、というか、その言葉に対する感じ方が変わってきました。

 

昔の自分は極端な言い方をすると、「他人を頼るのは無駄な事、信じられるのは自分だけ」といった感じの、ニュアンス的には周囲への拒絶の色が濃かったのですが、最近は「自分の中にこそ救いがある」と感じます。

 

そして、自分の中の救いを見つけると周囲が動き出します。

現状打破のきっかけであったり、第三者からの手助けであったり色々です。

 

その時は現状の打開に必死で他の事を考えている余裕がありません。救いが何なのかもわかりません。

それでも救いは自分の中に確かにあるのです、

 

どうにかなってほっと息をつき、思い返してみても思い当たらないくらいのほんの些細な事がきっかけで現状が良い方向に向かった。

ひょっとしたら潜在意識の中からひょっこり顔を出したものかもしれません。

 

もし、それを漠然とでも感じる事ができたら感謝してください。

誰に、何に、世界に、自分に、なんでもよいです。

感謝をした分だけ、あなたを取巻く世界が少しずつ優しくなります。

 

その世界の優しさも後になって、「そういえば」と思い返した時に分かるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

今、現時点で実感したのがこれです。

同時にいい意味でも悪い意味でも期待しない事です。

 

入ってくるのが当たり前なものには期待しません。

今、無くてもいずれ入ってくるのが分かっていたらただ待てば良い。

 

例えば、巷で評判の高級なお菓子が欲しかったとします。

それが数日後には手に入る事になったらどうでしょうか。

 

そんな時、集中するのは「高級なお菓子」です。どんな美味しいお菓子なのか、折角だから誰か家族や、友達、恋人と一緒にお菓子を食べようか。

そんな事を想像し、期待を込めて待つ事でしょう。

そこに手に入った「お菓子」の味や見た目、誰かとそれを共有する喜びはあっても不安はありません。

 

けれど、「高級なお菓子」ではなく、「手に入る」事に対して集中している人はどうでしょうか。

いつ手に入るのか、どうやって手に入るのか、

 

自分自身にとっての喜びの度合いはどちらが上でしょうか。

 

「お菓子」が「欲しい」

大事なのは「お菓子」であって「欲しい」ことではありません。

 

手に入らなかったらどうしよう。

 

このとき、意識を占めるのは「お菓子」ではなく「手に入る(入らない)」事です。

 

引き寄せを上手く活用している人の言う、手に入れた時のワクワクや喜びを先取りしろ、というのはこういう事なのかと。

 

そして自分にとっての当たり前な状態を作る。

 

お菓子が手に入ると決まった以上、それが当然なのだから、後はそのお菓子の楽しみ方を色々と妄想すれば良いのです。

 

それがアファメーションであったり、瞑想であったりだと思います。

 

当たり前な状態というのは自然体であり、リラックスした状態。

そこに疑問も心配もありません。

 

お金がある自分が自然、幸せな自分が自然、無理をしないのが自然、

安心が欲しいなら、安心した時の自分を感じ、または思いだし、妄想してみてください。