ハーパー・リー『アラバマ物語』 | 文学どうでしょう

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ハーパー・リー(菊池重三郎訳)『アラバマ物語』(暮しの手帖社)を読みました。

今でこそ話題になることはとても少ないですが、『アラバマ物語』は、ピューリッツァー賞を受賞している世界的なベストセラーです。

1962年にアメリカで公開された映画版もまた、主演のグレゴリー・ペックがアカデミー賞で主演男優賞を受賞するなど、高い評価を受けています。

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白黒映画ですが、心打たれるとてもいい作品なので、機会があればぜひ映画の方も観てみてください。そもそもぼくも初めは、映画の方に興味を持ちました。

そのきっかけが何だったかというと、グレゴリー・ペックが演じたアティカス・フィンチが、”アメリカ人が選ぶナンバーワンのヒーロー”だと、あるテレビ番組で紹介されていたから。

今ざっと調べたら、その番組の元になった情報は、2003年にアメリカン・フィルム・インスティチュートによって選ばれた「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」のようです。

アティカス・フィンチは、インディー・ジョーンズ、ジェイムズ・ボンド、ロッキー・バルボアどころか、スーパーマン、怪傑ゾロ、バッドマンなど、本物のヒーローまでもを押さえての、堂々の第1位。

それほど愛されてるヒーローであるアティカス・フィンチを、それまでは全く知らなかっただけに、ぼくはとても興味を引かれたのでした。おそらく、みなさんも気になってしまったのでは?

否が応にも期待の高まったであろうアティカス・フィンチについて紹介すると、実はごくごく平凡な人物です。50歳に近い年で、目が悪く、眼鏡をかけなければ、ほとんど何も見えません。

アティカスの幼い娘スカウトがこの物語の語り手なのですが、ダンプカーの運転など、何らかのスキルを持っている同級生の父親たちと違って、自慢できることが何もないと残念にさえ思っています。

 友だちのお父さんたちとちがって、彼はなにもやらなかった。猟には出かけない、ポーカーはやらない、釣もだめ、お酒もだめ、煙草もだめと、だめずくし。ただ、居間で、本ばかりをよんでいた。(131ページ)


とりたてて個性のない真面目な人柄のアティカスが、では一体何の仕事をしているかと言うと、弁護士なんですね。

物語の舞台となるのは、アラバマ州のメイコーム(架空の町ですが、作者の故郷モンローヴィルがモデルのようです)。

南北戦争が終わり、黒人奴隷は解放されましたが、まだまだ白人の黒人に対する偏見と根強い人種差別が残っている南部の町です。

一人の黒人青年が、若い白人女性に性的暴行を働いたとして捕まりました。その弁護をすることになったのが、そう、アティカスだったのです。

町の人々は、黒人の弁護をするアティカスを憎み、罵り、裁判を待たずにみんなで黒人青年を殺してしまおうとさえしますが、アティカスは自分の信じる正義をまっとうするため、一歩も引きません。

アティカスがしようとしたのは、誰かの考えを変えようとか、或いは何かを大きく変えようとか、そんな大それたことではないんですね。

ただ、公正に行われるべきことは、公正に行われるべきだと言うのです。偏見の目を捨て、感情で行動することを止めるべきだと。それは簡単なようでいて、実はすごく難しいことですよね。

誰から何と言われようと、自分の信念を貫き通そうとするアティカスの姿は、”アメリカ人が選ぶナンバーワンのヒーロー”と言われても、なるほどなあと思わされるぐらい、やはりかっこいいのです。

そして、この作品のもう一つの大きな魅力は、6歳のスカウトとその兄で10歳のジェム、夏になるとスカウトたちの隣の家の叔母さんの所に遊びに来る7歳のディルの物語でもあること。

お化け屋敷のような家を怖がったり、たわいない子供同士の喧嘩があったり、色んな経験をして成長していったりと、子供時代が生き生きと描かれている面白さもある作品です。

作品のあらすじ


アラバマ州メイコームで、父アティカスと兄ジェムと暮らしている〈私〉。何事にも厳しいですが、よく面倒を見てくれるのが、コックのカルパーニア(黒人女性)。

母親は〈私〉が2歳の時に心臓麻痺で亡くなってしまったので、〈私〉はほとんど覚えていませんが、ジェムは時折さびしそうな様子を見せることがあります。

その夏、〈私〉とジェムは隣の家でひと夏を過ごすことになったディルと友達になり、愉快に遊びました。

〈私〉たちが怖がっていたのは、幽霊が出るという近所のラッドリー荘。ラッドリー荘には15年間誰も見たことがないブーという子供がいて、幽霊のように恐れられているのです。

ラッドリー荘の扉をタッチして帰って来られるか、肝試しのようなことをしたりする〈私〉たち。

やがて学校に通うようになった〈私〉ですが、今までの自分の常識が通用せずに、先生や同級生とぶつかってしまいます。負けん気の強い、ちょっとおませな感じの子なんですね。

学校に行きたくないと言うようになりますが、アティカスになだめられ、渋々通い続ける〈私〉。

ある時〈私〉は、登下校で通る道、ラッドリー荘のすぐそばにあるかしわの木には穴があり、その中にチューインガムやコインなどが入っていることに気が付きました。

一体誰がそんな所に宝物をしまったのかは分かりませんが、このかしわの木の穴は、〈私〉とジェムにとって謎めいた秘密の場所になりました。

やがて、〈私〉とジェムは、同級生や町の人々から嫌がらせを受けるようになっていきます。黒人のことを大切にするとんでもない奴らだと言うのです。

どうやら、それは父アティカスがトム・ロビンソンという、白人女性に性的暴行を加えたとされる黒人青年の弁護を引き受けたからのようでした。

町の人々は、罪を犯した黒人はすぐ処刑すべきであって、それを助けようとする者は、黒人の仲間であるという、そういう風に思っているんですね。

アティカスは、トムが実際に罪を犯したのか疑問に思っているのです。被害者と加害者のが真っ向から対立しており、どうも腑に落ちない点があるから。

しかし、陪審員たちの黒人に対する偏見からしても、裁判で勝ちをおさめるのは、極めて難しいであろうことも分かっています。

それでも、どうして町の人々は黒人の問題になると感情的になるのだろうと思い、自分が正しいと思うことをしないで、どうして子供たちに顔向けが出来るだろうと、そんな風に思っているんですね。

ある時、デュボーズ婆さんに、アティカスのことを馬鹿にされたジェムは、デュボーズ婆さんが大切にしていた椿をめちゃくちゃにしてしまいました。

アティカスに叱られたジェムは、デュボーズ婆さんに謝りに行かされ、罰として一ヶ月もの間、毎日本を読みに通うことになります。

やがて、ジェムはデュボーズ婆さんに関する思わぬ事実をアティカスから聞かされ、衝撃を受けました。その時にアティカスは本当の勇気について話してくれたのです。

 ――銃を手にもっている人だから勇気がある、とお前はおもうかもしれないが、ほんとうの勇気というものは、そんなもんじゃない、それをお前にしってもらいたかったからなんだ。はじめる前に負けることをしっていてもだよ、しかしとにかくはじめてみて、いったんはじめたからには、とことんまでそれをやりとおす、それが真の勇気というものだ。勝利をおさめることはめったにないが、でもときには勝つものだよ。(163ページ)


この言葉はデュボーズ婆さんの勇気について語られたものですが、トムの裁判に対する、アティカスの思いとそのまま重なります。

ある夜、町の人々は、裁判になる前にトムを殺してしまおうと集まりました。しかし留置所の前ではアティカスが新聞を読んでいて、動こうとはしません。

まさに一触即発という場面で、〈私〉とジェムが飛び込んでいって、場の空気が変わり、何とか事なきを得ました。

翌朝、食卓を囲みながら〈私〉とジェムは、暴徒たちの中に、自分たちが親しいと思っていたカニンガムさんがいたことがショックだったと言います。

ところが、アティカスは動じない様子で、カニンガムさんは根はいい人で、「ただ自分でも気づかない弱点があるだけなんだ、これはわれわれにもあるんだ」(224ページ)と言うのです。

ジェムは、カニンガムさんはお父さんを殺そうとしたんだと反発しますが・・・。

「そりゃ少しは、ケガさせられたかもしれないな」アティカスは一歩ゆずった。「しかしね、お前がもっと大きくなったら、世間の人のことがもう少しよくわかるとおもうよ、暴徒ってものはね、いつだって一人一人は人間なのだ、それがより合ってできあがっているものだ。なるほどカニンガムさんは、昨夜は暴徒の一味ではあったさ、しかし、人間であることに変りないんだよ。小さな南部の町のいろんな暴徒にしたっても、その一人一人はいつだって人間なのだ。なにもさわぐほどのことはない、そうだろう?」
(225ページ)


ついに、トムの裁判が始まりました。傍聴に訪れたのは、アティカスが本気で黒人の弁護をすることが気に入らない人たちばかり。

どうしても裁判の行方が気になった〈私〉とジェムは、偶然会った知り合いの黒人の牧師に頼んで、黒人専用の座席に潜り込ませてもらって・・・。

はたして、トムの事件の真相は明らかになるのか? そして、陪審員たちの評決の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。『アラバマ物語』の小説と映画の原題は、"TO KILL A MOCKINGBIRD"で、これも非常に印象的なタイトルだと思います。

作中に、「だけど、おぼえておくんだよ、モッキングバード(ものまねどり)を殺すのは罪だということを、ね」(132ページ)というアティカスの言葉があります。

モッキングバードは、畑もあらさず、美しい歌を聴かせてくれる存在なのだから、いたずらに命を奪ってはいけないというのです。

罪なきものの命を奪ってはならないことを訴え、偏見や人種差別の問題と正面から向き合った物語。現代の社会でも変わらない重要なテーマを内包しているだけに、非常に心動かされる作品です。

本文が2段組みなのがやや読みづらいですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。映画もおすすめですよ。

明日は、ジェイムズ・フェニモア・クーパー『モヒカン族の最後』を紹介する予定です。