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ここみるのブログ

愛犬の心愛とみるく・・大好きな花・・毎日の小さな出来事をかいていきたいとおもっていますのでよろしくお願いします。

愛犬のみるくが4月30日の朝旅立ちました。

10歳と7ヶ月でした。

私の中では早すぎました。

もっともっと一緒にいたかった。

はじめは心愛だけだとペットロスに

なってはいけないからとみるくを

迎えましたが・・

心愛は心愛、みるくはみるくという

当たり前のことに今更ながら

気がつきました。 

2ワンは大事な家族です。

49日も終え2ヶ月も経とうとしている

のですがなかなか立ち直れそうに

ありません。

でも少しもずつですが前向きには

なっています。

みるくは昨年僧帽弁閉鎖不全症からの

肺水腫の為2月頃まで入退院を繰り返し

ていました。

3月には酸素ハウスをレンタルし自宅での

治療に変更していました。

最初は酸素ハウスに入れると出してと

キャンキャン泣いていたのですが出入りが

自由にできるように工夫すると4月に入って

からは自分から入いることが多くなり

ハウスから出て過ごすことは少なくて

なっていました。

でもすこし楽になったら家族のそばに来て

一緒に過ごし夜は私の隣で寝ていました。

そしてしんどくなると自分から入って

いました。


薬の大嫌いなみるく・・

散歩の大好きなみるく・・

おやつの大好きなみるく・・

寂しがりやのみるく・・

家族のことが大好きなみるく・・

私達はみるくに制限ばかりしてみるくの

嫌なことばかりしていました。

薬の種類も増え朝・夕に5種類飲ませて

いたのですがそれでも利尿が追いつかず

肺に水がたまり呼吸が荒くなると発作時の

ためにラシックスの皮下注射とニトロも

処方され使用していました。

4月に入り使用回数も増え1日に2,3回

した時もあります。

都度獣医と電話で状態を報告しながら

家でできることをしていました。

そして・・

もしもの時・・・と考えるようになり

寂しがりやのみるくを絶対一人で

はいかせたくないという思いでいっぱい

になりました。

4月に婿が転勤となり娘家族も中旬過ぎに

引っ越したため家を留守にすることもあり

ました。

それでは心配なので二人の娘と旦那と私で

相談して留守にならないように考えました。

そして誰かがいれるよう協力しました。



私は本当にみるくにとって嫌なことばかり

していました。

大嫌いな薬を無理矢理のませ、噛みつ

かれたこともあります。

薬を飲ませる時もできるだけ興奮させない

でと言われても私は少しでも楽になって

欲しいと必死でした。

そのうえに1週間に何度も注射までして・・

みるくは嫌だったと思います。

でもみるくは最後の日を選んでくれました。

私の休日の日を・・。

29日には娘家族が帰ってきて姉妹で一緒に

みてくれて、30日の朝は旦那が仕事に

行く前に自分から酸素ハウスから出て

きて見送りもしたそうです。

そして亡くなる直前酸素ハウスから

ゆっくりゆっくり私のところまで歩いて

きて私にもたれかかるような状態で

眠るように旅立ちました・・。



みるくは家族みんなに最後のお別れを

きちんとしてくれました。

みるく・・私の可愛い娘、家族

うちの娘になってくれてありがとう。

今頃虹の橋のところで他のワンコと一緒に

走りまわっているのかな~?

いつになるかわからないけど私達が行くまで
 
待っててね。

亡くなってしばらくの間は治療優先とした

ことを後悔しました。

「みるく、ごめんね許してね。

本当によく頑張ってくれたねありがとう。

でももう楽になってよかったね。」

と涙ばかり出てきて何もする気に

なれなかったのですが・・


今は毎日写真を見て思い出しては旦那と

色々話をしています。

みるくがわが家に来た頃です。




散歩の時に肉球を怪我することが多かったので
靴を履かせていた時期がありました。


ドッグランで走るの大好きでした。
嬉しそうに走っています。






娘家族が引っ越す前には二階の私たちの寝室に酸素ハウスを置いていました。




酸素ハウス
娘家族が引っ越しリビングに降ろしました。



この写真は年末のトリミングのあと
翌年の戌年にあわせて撮影してもらい
年賀状に使用しました。




2ワンでの干支のかぶりもののショットは

これが最後となりました。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

みるくのことは一生忘れないよ~🐶

大事な家族だよ~🐽

天国からみんなのことを見守っていてねラブラブ