まず豪雨発生後に私の親が帰省し、その後親と入れ替わりで私が親戚の家に行きました。
被災した日の前夜に大雨で警報が出た後、大丈夫かどうか連絡を叔母に入れたところ、家に水が入ってきたと叔母が焦って言っていました。
被災した叔母の家には(他にも親戚家族が何人か九州に別の地域ですが住んでいます)叔母一人で住んでいるので、さらに水位が上がってくるなら消防に連絡をしたらどうかと伝えて電話を切りました。
避難所は叔母の家から柵越えて目の前の小学校です😓
初めてのことで叔母もなかなか消防に連絡できず、また避難所にも行かず(;・ω・)
しかも叔母は病気がちで判断力も鈍り気味の様子・・消防に連絡してって言った時なんて、どげんしようどげんしようって言い出してたし😔😔
あっという間に水位は上がり、停電になり、朝方やっっと消防に叔母が連絡。携帯電話の電池も切れそうな中、そこから12時間後に消防が救助に来ましたボート?とバスに乗り、叔母宅の目の前の避難所ではなく、別の避難所で数日過ごしたようです。。人生初めての出来事だったらしいです。
水は2日間程で引いたようですが、1階にあった家具や家電はほとんど倒れて水でダメになってしまいました。
襖はカビだらけ😰
後でわかりましたが、浸水したことがはっきりとわかる証拠?がありました。1メートル位の浸水でした。
もうちょっと片付け風景を撮ろうとしましたが、重い気分になってきたし、親戚にもなぜか悪い気がしてきたので写真を撮るのをこれ以上やめてしまいました
叔母宅から目の前の避難所(小学校)のその後
ニュースでここの避難所が中継されていました。叔母も2回インタビューされたよ、と言っていました( ˙-˙ ; )
浸水した当時の写真は検索すると沢山ヒットしますが、写真を引用していいのかわからないので、浸水時の写真は省きます🙇♀️
周辺の住宅も被災し、修理をしていらっしゃるのか、業者の方々をよく見かけました。
また浸水被害を受けたお店もあちこちあって、コンビニなどが臨時休業していました。さらに自販機もあちらこちらと使用不可になっていました(T . T)
2週間経っても爪痕は深く残っているんだなぁ。。と感じました。
そして思いもよらないことが(>_<)
親戚家族間で意見がよく食い違って険悪になったこと
襖どうするかぐらいのことでも食い違う食い違う😓そして主張すごいし巻き込んでこようとする・・(・_・;
いとこと苦笑い・・
なんでそーなるかなー?どーすんのー!?なんて思って見ているうちにあることに気付きました。
・・忘れていた、そうだったこれが私の親、そして親戚だった
あたしも血は争えなかった😅若干認めたくはないけど、この親(と親戚家族)にしてこの子(つまり私)ありつまり、あたしも親たちと同じく強情で融通きかない人だった笑笑
違う人種みたいにふるまう程の人間じゃなかった😅
納得した後にはさらに自分で苦笑いしてました笑
意見は食い違ったままなので、それとは別で自分がやれることをやり、帰ってきました🏠
渡る世間のドラマのような展開になってました🙄
家が被災した叔母はかなりナーバスになっていたので、外出し昼ごはんを食べに出かけました
その時の写真です。
実はこの日も朝ナイアガラの滝のような雨が降って警報が2回鳴りました通り雨でしたが、、不安になる叔母の気持ちがわかります
後ろ髪を引かれる思いで戻ってきましたが、また仕事の状況を見て、九州に手伝いに行こうと思います。
コロナも終息して欲しいですし、被災に遭われた方々が一日も早く通常の毎日が戻るよう、心から祈っております🍀🍀
文章を作るのが不得意で、文章がおかしかったらごめんなさい🙇♀️🙇♀️