アウトゥオリ監督の1年での退団を受け、2007年にやってきたのがオズワルド・オリベイラ監督です。言うまでもありませんが、史上初の3連覇を成し遂げた、文句なしの名将でしょう。

2007年、私はプロ4年目の25歳。鹿島の中心、いわゆるゴールデンエイジの面々は27歳から28歳になる年でした。2003年から4年間タイトルに見放されていた鹿島は、そこから数年間を勝負と捉えていました。

オリベイラ監督の1番の長所はマネージメント力だと思います。選手はもちろんのこと、スタッフ一人一人を信頼し、責任を与え、クラブ全体に仕事のしやすい空気が流れていました。

また、バランス感覚が優れていました。戦術面ではいくつかの約束事に口うるさく指導するかわりに、細かい判断や臨機応変な対応は選手に任されていました。基本的には我慢してあまりメンバーをいじりませんでしたが、変えるときにはスパッとまさかの思い切りで変えるときもありました。

信頼感と危機感、攻撃と守備、速攻と遅攻、ハイプレスとリトリート、ボールポゼッションとロングボール。あらゆる面でチームはちょうどいいバランスを見つけていきました。

3連覇を飾るころ、オリベイラ監督のミーティングが話題になったことがありました。2008年の大分戦の試合前のミーティングで、全員の家族のビデオメッセージが流れたときは驚きました。家族の思いと共に、全ての家族を回ったスタッフの思いも感じて、気持ちが奮い立たない選手はいませんでした。

オリベイラ監督の言葉は熱く、心に響きました。私がよく覚えているのが、彼が両手を広げて語り始める話です。彼は「自分の人生を選べ。」と始め、右手を差しながら「一つはこの試合に勝ち、優勝して勝者として生きていく人生。」、左手を差して「もう一つは惜しくも負けて、敗者として生きていく人生。」そして、「今、自分で決めることができる。」と結びます。

優勝を争うような試合の前には、結果に対して怖さを覚え、どこかで運命みたいなものに委ねたくなる気持ちがあります。「なるようになる。」と。しかし、オリベイラ監督のその言葉は、待ちの姿勢ではなく、自ら掴みにいく覚悟を思い起こさせてくれました。

監督と選手は難しい関係で、全ての選手が一人の監督を好きでいるなんてことはありえません。しかし、あの頃のチームがとてもいい雰囲気であったことは全ての選手が認めることでしょう。

オズの魔法にかかった私たちは、5年間で3連覇を含む6冠を成し遂げ、一つの時代を作りました。