メンバーが高齢になってきたので今のうちにみんなで会おう

となって初開催したのが2年前だから今回が2回目の開催

ちなみに私は最年少のグループに入ります 

 

私が入った頃はモータースポーツと言えばラリーとダートトライアル

サーキットに行くにもフェリーを乗り継がないといけないので

どうしても腕自慢は曲がりくねった山道を走るラリーか

WRCのグループBカーのように爆音でマシンを改造出来る

ダートラ車の改造クラスに人気があった

 

先輩方がラリーに出たいけれど無所属だったから断られたらしくて

モータースポーツに出場するために発足させたのが

RMCSというJAFのクラブだった

  

その頃の事務局をしていたラリーショップペガサスのオーナー

中さんの挨拶で開始

まだまだ元気でミニであちこちのレースに出たりしつつ

MINIや有名キャンピングメーカーの車両を販売する仕事をしていて

車好きは一生続くものなのだなと眺めていた

  

  

  

一番奥の林さん、全日本ラリーで4番だったか5番だったか?

好成績を上げたときプレイドライブというモータースポーツ雑誌に

載ったコーナーリング中のTE71の画像をまだ私は覚えている

  

林さんの助手席で大川原高原の山頂からの下り道

全部がダートだった時だけど、どんな姿勢になろうと

常にアクセル全開でエンジンは高回転をキープ

でも不安定な恐怖感は無く上手い人は違うなと思ったドライバー

  

奥から3番目の森電装の森さん

フェリーで本州に渡り鈴鹿サーキットモトクロス場での

第一回オールスターダートトライアルでDクラス10位と

地理的に不利な四国から最初の大きな壁に

よじ登ってみせた男の一人です

 

その森さんは運転に関してはとても厳しくて、最初の頃は

ダートラ会場であろうと他の人がいようと

車に走らされてるだけじゃお前はーって感じでよく怒られたものだ

  

今思い出してもその時の自分はまだまだ甘く厳しく言われて良かった

何でも覚え始めた時が一番勘違いをするし危険なころ

  

そんな先輩方と一緒に記念撮影

 

   

  

こちら側の先輩達も個性豊かで

中央の方は車の原型が変わってしまうまで

飛んで行くのを何度も見た過激な走りで有名

  

  

  

左端に半分写っている田中さんは

オールスターダートラの鈴鹿大会で

外周がモンスター田嶋選手に次ぐ2位で帰ってきて

内周は10位にも入ってなかったのにDクラス4位に入賞

計測タイムはオートテクニック誌に各クラスそれぞれ詳しく表示されていた 

 

このころから全国レベルでの次の壁をこじ開けられるように

変わっていったのだと思う

  

また、その少し前ぐらいから創設期の年上メンバーが出場する機会が減り

メンバーも少なくなってきたので他のチームと合流して

クラブ名称がTECと変わっていく

RMCSの時代に入会していた人のみの会だから

ほぼ先輩ばかりと言うこともあり、今回私は若い順番で2番目でした

  

途中で名前が変わったTECは今でも存在しており

全日本チャンピオンの実績もある

後輩の天満選手のショップが事務局となっている

  

おそらくこれが私の知る限りの大まかなクラブと

その中でも一部の人たちの流れですが

忘れる前に記事にしておくことにしました