こんにちは、幼児教育コンサルタントの柴田です。
日本海側では大雪の被害が出ているようです。天気予報によると今週末は東京でも氷点下に冷え込むということです。
週間天気
2017年1月13日 7時00分発表
日付 | 1月14日 (土) | 1月15日 (日) | 1月16日 (月) | 1月17日 (火) | 1月18日 (水) | 1月19日 (木) | 1月20日 (金) |
北海道 (札幌) | 晴後雪 -2/-9 50% | 曇時々雪 0/-8 60% | 曇時々晴 1/-4 30% | 晴時々曇 1/-5 20% | 晴時々曇 0/-6 30% | 曇時々晴 1/-7 30% | --- --- ---/--- ---% |
東北 (仙台) | 曇時々晴 1/-5 20% | 曇時々晴 2/-5 40% | 曇時々晴 6/-4 30% | 晴時々曇 7/-1 10% | 曇り 6/-1 40% | 曇時々晴 6/0 40% | --- --- ---/--- ---% |
関東 (東京) | 曇時々晴 6/1 30% | 晴時々曇 7/-3 20% | 晴時々曇 9/-1 10% | 晴時々曇 10/0 20% | 晴時々曇 11/2 20% | 晴時々曇 11/2 20% | --- --- ---/--- ---% |
信越 (新潟) | 暴風雪 1/-1 90% | 暴風雪 4/-1 90% | 曇時々雪 5/0 80% | 曇時々雪 6/1 60% | 曇時々雪 7/1 60% | 曇時々雪 7/1 60% | --- --- ---/--- ---% |
北陸 (金沢) | 雪 2/-1 90% | 雪時々曇 4/-2 90% | 曇時々雪 5/0 80% | 曇時々雪 8/0 50% | 曇時々雪 7/1 60% | 曇時々雪 7/1 60% | --- --- ---/--- ---% |
明日からはセンター試験が開催されます。頑張ってきた受験生にとっては試練ですね。大雪にならないことを祈っています。
では、今日も始めましょう。このブログは、育児や子育ての悩みの解消に役立つような情報や、楽々育児のヒントをお話ししています。
ちょっと前のお話になりますが、2013年、当時の谷垣法務大臣が、こんなコメントを発表していました。
谷垣法相:死刑執行の心境吐露「慎重に記録精査し判断」
谷垣禎一法相は26日、年内最後の閣議後の記者会見で、今年8人に対して死刑執行を命じたことに関し、
「罪はもちろん憎むべきだが、非常にかわいそうな子供時代を送った者(死刑囚)がほとんど。こういう生き方しかできなかったのではないかと感じさせる面もあった」
と述べ、複雑な心境を吐露した。
谷垣法相は「裁判所が判断したことを行政府の私どもが尊重するのは大事」としたうえで、
「私が今まで(裁判)記録を調べてきた限りでは、こんなに幸せな子供時代を送ってきたのにこんなに凶悪な犯罪を犯したのかという者はほとんどいなかった」
と発言した。
…後略…
毎日新聞 2013年12月26日
"罪を憎んで人を憎まず"という言葉があります。
犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教えです。
今日は、永山則夫事件をご紹介します。
1949年6月27日、北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。
父親は腕のよいリンゴの枝の剪定師だったが、稼ぎの大半を博打につぎ込み、家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。
母親代わりの長女は婚約破棄や堕胎から心を病み地元の精神科病院に4年間入院。
1954年(当時5歳)に、母親が青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。
兄弟全ての汽車賃が出せないため、則夫を含む4人を網走に残したままの家出だった(後に書いたノートで母は悔いている)。
残された則夫を含む4人兄弟は、漁港で魚を拾ったり、ゴミ箱を漁ったりして極貧の生計を立てていたものの、年少の則夫は始終兄や姉たちから虐待を受けていた。
愛情を受けずに育った永山は極度の人間不信と被害妄想を抱えて思春期を過ごし青年期に入り、
自分は生まれてこなければよかったと思ったり、自殺未遂をくり返すようになり、せっかく始めた仕事も長く続かず逃避をくり返します。
そして米軍基地に潜り込んだ永山はピストルを手にし、各地で連続殺人事件を起こし4人を犠牲にして捕まります。19歳でした。
精神科医の石川医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
彼は見事に人間性を回復し、自分のしたことを心から謝罪し、悔い改め、小説を書き、結婚(獄中結婚)もして、
遺族の方たちに印税から得たお金を送っていたのです。
そして1997年、48歳で処刑。
引用:ウィキペディア・その他
子供は、母親の愛情を受けて初めて育ちます。
歩けるようになったころ、初めて母親から離れて、外の社会に出ていく時、こわごわ一歩二歩と進み出ていきます。
そして、振り返って母親の顔を見る、そこで母親の笑顔を見て安心して、また一歩外へ歩みだします。
ありのままの自分を守ってくれる「安全基地」としての母親の存在が心の糧となって、外の世界に勇気をもって歩みだすことが出来るのです。
あなたの愛するお子様に、無償の愛をシャワーのように浴びせてあげて下さい。そして、自立できるようにサポートしてあげて下さい。
あなたの存在は、一人の人間の将来を変える力を持っているのです。