93歳アウシュビッツ収容所元看守を逮捕 独司法当局

ベルリン =松井健】ドイツ 司法当局は6日、第2次世界大戦 中にユダヤ人 大量虐殺(ホロコースト )の舞台となったアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所 で看守をしていたハンス・リプシス容疑者(93)を殺人幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕した。独当局は改めて戦争犯罪 の追及に力を入れており、今後も高齢化した戦犯の訴追が続く可能性がある。

 シュツットガルト地検などによると、リプシス容疑者は1941年から45年にかけて収容所で働き、ユダヤ人 らの大量虐殺を手助けした疑い。リプシス容疑者は逮捕前にウェルト紙に対し「自分は収容所でコックだった。大量虐殺のことを聞いてはいたが、見てはいない」と容疑を否定している。


http://www.asahi.com/international/update/0507/TKY201305070334.html


ホロコーストはあったんだということを偽造するために使われているのが、アンネの日記ですね。↓利用されているアンネが可哀そうです。

金融ユダちゃん達は、自分達は悲劇の民族なんだということを全世界に発信するために、ありとあらゆることをやってます。

差別を逆利用するのは、マイノリティー(少数民族)が裏側にまわり表社会を実効支配する方法です。人権を守るということは非常に大事なことですが、それを利用して逆手にとって裏側から支配している1%の人間の存在に早く気がつくべきです。

本当のホロコーストをやってるのは、実はあんた達ですよね。

スターリン、毛沢東による大量処刑でどれくらいの人間が命を奪われたのかご存知ですか?

そして広島長崎に原爆を落としたのは誰ですか?

すべて金融ユダちゃんの仕業ですよね。



スターリンの犯罪を忘れるな

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0825StalinDaiakunin.html



中国の虐殺史


http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/177.html

アンネ・フランクは、アンネの日記を書かなかった。

By richardkoshimizu

↑アンネが自分の写真に自筆で文章を書き、アンネ・フランクとサインしています。1942年10月10日付です。アメリカの友人に送った手紙でした。「お気に入りの写真です。いつかハリウッドに行ってみたい。」といった内容であるそうです。ちなみに、「アンネの日記」の格調高い筆跡とは、全く違う少女らしい、かわいらしい筆跡です。 しかし、筆記体ならば、アンネの日記のような大人びた達筆で書けたのでしょうか?

右側の写真が、アンネの日記の筆跡です。筆記体です。右に傾斜した直線的な達筆です。
アンネが、葉書とは別に、1942年4月27日と29日にアメリカのアイオワ州ダンビルの11歳のペンフレンドに送った直筆の手紙です。アンネの日記と同じ筆記体です。左に傾斜した丸っこい文字です。アンネの日記の筆跡と比べてみてください。

ユダヤとイスラエルに多大な貢献をしてきたアンネの日記

アンネ・フランクがナチのユダヤ人収容所で、発疹チフスに罹患して命を落としたのは事実です。彼女が死んだのは、1945年の3月だと言われています。あとほんの1,2ヶ月生き延びていれば、解放されたのに。悲劇のヒロイン、ユダヤ人弾圧の象徴でした。彼女の書いたとされる「アンネの日記」は、戦後60年間一貫して、世界中の人たちの涙腺を開け続けてきました。すばらしい日記文学でもありました。ユダヤ民族が不当な扱いを受けてきたことを知って、世界中の人々が怒りに震えました。ユダヤ人やイスラエルに対する共感を覚えました。アメリカから、イスラエルが毎年、莫大な援助を受け取っているのも、何割かはアンネの功績であるかもしれません。アンネは、死して後も、ユダヤ人とイスラエルに貢献し続けているのです。

本当にアンネが書いたのですか?


←アンネの日記です。筆跡がアンネのものとは全く異なります。クリックして拡大写真を見てください。素人でもわかります。

さて、彼女が書いたといわれる「アンネの日記」なんですが、本当に書いたのでしょうか?海外では、あまりに文章がたくみであること、筆致のすばらしさに疑問を感じる人たちがいます。13歳から書き始めたとされる日記が、あまりに大人じみていると。アンネの日記には、フランク家で唯一生き残ったアンネの父親、オットー・フランクが「手を加えている」とか、オットーがアメリカのユダヤ人作家、メイヤー・レビンに依頼して書かせたとか、偽作説があります。デービッド・アービング氏のサイトでは、注意深く、アンネの日記の真贋を論じています。

1980年ドイツでひとつの裁判
が行われました。(参考SP) ドイツの雑誌、デア・シュピーゲルによると、「アンネの日記は偽書である」と主張するエルンスト・ロエマーをアンネの父、オットーが訴えたのだそうです。ドイツの捜査当局、BKA(FBIに相当)は訴えを受けて、アンネの日記の科学的分析を行いました。その結果、第四章がボールペンで書かれていると判明したのです。ボールペンは、1951年に発明されたものであり、アンネの生きている間には存在しませんでした。この最後の部分が偽書であるのなら、アンネの日記全体の真贋が問題となります。なぜならば、この第四章の筆跡が、第三章までと同じだったからです。

真贋を論ずると、すぐに「ネオナチ」のレッテルを貼りに来るのがいる。
アンネの日記で恩恵を受けてきたユダヤ人団体やイスラエルにしてみれば、もし偽作であるとわかってしまえば、大変なことになります。「ホロコーストはなかった」と主張する人たちを勇気付けてしまいます。(ついでといっては何ですが、ホロコーストはありませんでした。ナチの収容所のガス室で殺されたユダヤ人の数は、600万人ではなく、0人でした。ガス室自体が戦後に捏造されたものです。アンネの日記も.....参考HU )そこで、見境なく猛然と逆襲しているようです。偽作説をとる人物は、即刻、有無を言わせず、「ネオ・ナチ」呼ばわりです。

(ネオ・ナチとは、ユダヤにとって実に都合のよい存在です。ユダヤにとって都合の悪いことは、ネオ・ナチに主張させることによってたちまち信憑性を失います。どんな正論も、ネオナチの主張だと決め付ければ封殺できます。ネオナチは、その意味でユダヤの最大の協力者です。当然、背後関係、資金源が気になります。ヒットラーのナチス幹部が隠れユダヤ人だらけであったのと同様に。ちなみに、ユダヤ人だらけの英国情報部がネオナチの背後にいるとする分析もあります。)
 

まだ発明されていなかったはずのボールペンで書かれたアンネの日記
アンネの日記の偽作説を潰そうと、あまり程度のよろしくない「嘘」をついている人もいるようです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アンネの日記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98
問題のボールペン・インクによる記述は、最初の文書鑑定(1960年 )の折りに紛れ込んだ小さな二枚の紙片に見られるに過ぎず、日記の内容に影響を与えるものでもなければ、当然アンネ・フランクが書いたものでも、ましてやメイヤー・レヴィンが書いたものでもない。この紙片の筆跡は、ドロテア・オッケルマンのものであったことが明らかになっている。..........と書いていますが、ドイツの裁判では、そんな小さな紙切れ二枚の鑑定などしていません。「第四章」全部が、ボールペンで書かれているとなっているのです。さらに、アンネの日記の初版は、1947年に出版されたものだから、ボールペンで書かれているわけがないと主張されていますが、アンネの日記は最初から第4章までの全篇が出版されたわけではありません。 そもそもこのウィキペディアの記述は出展が明らかではありません。ネット上で類似の情報を探しても何も引っ掛かってきません。「
81年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われ、結果、42年から44年の間に、本人が書いたものと結論付けられた。」というのも、出展不明です。つまり、便所の落書きと同じです。根拠がありません。
全く似ても似つかないアンネの自筆とアンネの日記の筆跡

この方、
1988年、アンネがアメリカの友人に送った手紙が新たに発見された。その筆跡が明らかに日記の大人びたそれと異なっていたことから、真贋論争が再燃している。筆跡の調査は、1960年と1981年の鑑定と同様に所定の手続きに基づき、政治的に中立な専門家によってなされるべき性質のものである。縮小写真を見比べて直感的に判断するのは鑑定とはいえない。」と語られていますが、筆跡が違うなら書いた人物が違うということです。単純なことです。なぜ、このように苦し紛れの偽作説否定をするのか、ユダヤとの関係を疑ってしまいます。
 

左:アンネの自筆の手紙の拡大写真、右:アンネの日記の筆跡。これが同じ筆跡に見えますか?ユダヤ勢力と懇意にされている創価学会さんか統一教会さんなら、そう見えるのでしょうけれど。

葉書の文字は、筆記体ではないので、アンネの日記とすぐさま対比できるものではないかもしれません。しかし、手紙のほうは、筆記体です。明らかに左に傾斜した丸っこい独特の文字です。アンネの日記の右に傾斜した達筆とは、似ても似つかない別物です。同じ人物が書いた文字であるわけがありません。アメリカの友人に送った手紙の子供っぽい筆跡がアンネのものであり、アンネの日記の大人びた筆跡、格調高い文章が他人のものだということです。ただ、それだけのことです。(本ページ冒頭の左の写真が、その手紙です。)この明らかな筆跡の違いを認めない人たちには、特別なユダヤとの提携関係を疑うべきでしょう。創価学会さん、統一教会さん、いかがですか?
(参考:極東のユダヤの手先は朝鮮人宗教 http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yudatesaki.htm

ちなみに、アンネの日記の日本における宣伝担当は、創価学会さんです。偽書説に猛然と抗議をしている創価学会員のサイトもあります。池田さんとユダヤ裏社会の提携関係の現われです。ホロコーストの嘘の上塗りも担当されています。アンネの日記が、戦後のユダヤ・イスラエルの特権獲得の道具にされてきたことを、われわれ人類は認識する必要があると思います。

アンネの日記が偽作であることを世に知らしめたフランスのロベール・フォーリソン教授は、不当にもホロコーストの嘘を追及する行為を禁じられ、罰金まで科せられたそうです。(参考RF) 馬鹿な話です。ヨーロッパでは、真実を追究すると罪に問われるそうです。法律はユダヤ人の嘘を擁護するためにあるのでしょうか?ヨーロッパがユダヤに組み伏せられ、口にぼろきれを詰め込まれて沈黙させられている光景が浮かんできます。ヨーロッパはもう、ユダヤに支配から逃れられそうにありません。

参考SP
アンネの日記は小説(フィクション), 2004/08/07
レビュアー: おぐりきゃっぷ   兵庫県 Japan
このエルンスト・ロエマーの申出に対する独逸連邦犯罪調査事務局(BKA)の調査結果を西独逸の週刊誌「シュピゲール」が暴露した事があった。 それによると、『アンネの日記』の原本恥、長期に亙って全巻が発表されていなかった。しかし裁判の結果遂に第4冊目が調査される事になったのである。その4冊目はボールペンで書かれていたと云う。よく考えれば、ボールペンが世に出て一般に使われている様になったのは1951年以降である。アンネはそれよりも遥か以前に死んでいた。第4冊目に書かれているボールペンの筆跡は第一冊目、第二冊目、第三冊目に書かれている筆跡と全く同じ物である。と云う事は、この日記はアンネ自身の手に依って書かれた物ではないと云う事の動かし難い証拠となったのである。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167651335/249-8985458-6293940

参考RF
アンネの手紙 1940年4月29日

http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/179.html
ロベール・フォーリソン教授の"Anne Frank's Handwriting"から引用
http://www.vho.org/GB/Journals/JHR/9/1/Faurisson97-101.html
The discovery in the USA of some more samples of Anne's handwriting was announced in July 1988. This includes two letters dated 27 and 29 April 1940 and a postcard that was sent with one of the letters, all written to an ll-year-old penpal in Danville, Iowa. These letters create a new problem for the State Institute for War Documentation because the handwriting on them is quite different than the "adult" handwriting of her letter of 30 July 1941 as well as most of the purported diary manuscript.  [http://www.vho.org]
アンネがアメリカの少女に送った1940年4月29日付の手紙です。

参考HU
ホロコーストは戦後のユダヤ特権を享受するための捏造神話
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/horouso.htm

 

http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/afrank.htm

どんどんばれてきますね。↓

ヒトラーの祖先、ユダヤ人の可能性も-DNA検査で発覚

2010年08月25日 04:30更新


ユダヤ人迫害を行ったドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーは、DNA検査の結果、祖先にユダヤ人とアフリカ人を持つ可能性があるという。

 英紙デイリー・メールなどの報道によると、ヒトラーの親族39人の唾液サンプルから採られたDNAを検査したところ、そのDNAはヒトラーが「非人間」とみなしたユダヤ民族に生物学的に関連するものだったという。

 ジャーナリストのジーン・ポール・マルダーズ氏と歴史学者のマルク・フェルメレン氏が今年、ヒトラーの甥の息子に当たるアレクサンダー・スチュアート・ヒューストン氏(61)や、ヒトラーの従兄弟であるオーストリア人農民、ノルベルトH.らの唾液サンプルを採取し、DNA検査を行った。

 そのDNAにはY染色体ハプログループのE1b1b系統が含まれることが明らかにされた。この染色体は、オーストリアやドイツなど西ヨーロッパには珍しいもので、ユダヤ人や北アフリカによく見られるものだという。

 ベルギーのニュース雑誌「Knack」でフェルメレン氏は「(この染色体は)通常、モロッコのベルベル人やアルジェリア、リビア、チュニジアなどに暮らす人種に見られるもので、ユダヤ人にも見られるものだ」と述べている。


http://jp.ibtimes.com/article/biznews/100825/59574.html



ヒットラーはロスチャイルドの孫、スターリンはロスチャイルドの息子

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アメノウズメ塾中級編⑬ ヒットラーのホロコーストと自決

http://youtu.be/6IR5ZPTHnsU


リチャード・コシミズ著【911自作自演テロとオウム事件の真相】より転載

P74■アドルフ・ロスチャイルド・ヒットラー男爵さて、1940年代の世界の指導者のうち、残った一人はあのちょび髭を生やした独裁者である。アドルフ・ヒットラーは、ユダヤ人600万人をガス室で虐殺した、ユダヤの大敵である。ユダヤ人であるわけがないと誰もが思う。アドルフ・ヒットラーは、ウィーンのロスチャイルド男爵の孫である。つまり、ユダヤ大富豪の直系のユダヤ人である。

 ユダヤ人裏組織高官からのメールの中にある文節に注目いただきたい。「あなたはもうご承知のことと思うが、アドルフ・ヒットラーは、隠れユダヤ人であり、Uボートで南米に逃亡し、2人の子供を作った。フィードリッヒとオルガは、現在、CJAの高官である」こう書いてある。

 噴飯モノの与太話であろうか?だが、彼は何一つ嘘は言っていない。ヒットラーはただの一人もユダヤ人をガス室で殺害していない。そもそも当時ガス室はなく、戦後、ユダヤ独裁国家ソ連がねつ造したものである。600万の犠牲者というのは、イランの大統領の言うとおり、伝説に過ぎない。

 旧約聖書の原典になったと思われるセム族の史書に、イスラエル建国の際には、ユダヤ人口の3分の1が犠牲になると解釈できる記述があるという。その予言が的中したと強弁したいシオニスト・ユダヤ人が600万人説をでっちあげたに過ぎない。

 世界のユダヤ人口は、戦前戦後でほとんど変っていない。アウシュビッツで死んだユダヤ人は6万人であり、当時収容所の内外で流行していた発疹チフスによる死者である。アンネ・フランクもそのひとりだ。ナチス・ドイツは殺虫剤、チクロンBを用いて、伝染病を予防しようと努めたが、防疫に失敗した模様だ。戦後、この殺虫剤がユダヤ人虐殺のための毒ガスだったことにされてしまったようだが。収容所開放当時に撮影された捕虜の死体の山は実は連合軍の爆撃によって、ドイツ軍の補給路が寸断された結果の餓死者であったと思われる。

 その爆撃を指揮したのは、隠れユダヤ人、アイゼンハワー将軍であった。(アイゼンハワーは、戦争末期、投降してきたドイツ軍やドイツの民間人にまともな食糧を与えず、100万人を餓死させたと言われている。これが本当の意味のホロコーストである。)

 ヒットラーの役割は2つあった。欧州のユダヤ人を追い出し、パレスチナに作るユダヤ人国家、イスラエルの国民として送り込んだ。戦後、イスラエルが建国できたのは、ヒットラーのおかげであり、その意味で、ヒットラーはイスラエル建国の父である。ホロコーストの嘘は、戦後、イスラエルの建国自体を可能にし、イスラエルが世界から莫大な援助を受け、特権を享受するのに大いに役立った。

 戦後、米国のユダヤ人男性作家が書いたとされる『アンネの日記』は、世界中の人々の涙腺を刺激し、結果、イスラエルに巨額の援助が届けられる一因となった。だが、『アンネの日記』による壮大な、民族ぐるみの詐欺行為は最近になって終焉を迎えている。アンネが米国のペンパルに送った手紙の筆跡が、アンネの日記の筆跡と全く異なるものであったことが判明して、偽書であることが再確認された。

 もっとも、ユダヤ権力と癒着した朝鮮半島宗教である創価学会は、いまだにホロコースト展なる詐欺行為を全国で開催してユダヤ権力の尻ぬぐいに必死になっているが。一方で、ユダヤ財閥はドイツの台頭の可能性を喜んでいなかったようだ。ドイツ民族を叩いて、将来のユダヤの世界支配の妨げとなる要素を払拭しておきたかったようだ。ヒットラーがゲルマン民族の悪人を演じることで、ドイツは欧米諸国より叩かれ、疲弊して戦後を迎え、東西に分断されて国力を削がれた。

 ユダヤ権力は、未来の手強い競合者、ドイツ民族の戦力を奪い去ることに成功した。(日本が、ユダヤ人ルーズベルトとユダヤ人チャーチルの手で、戦争に巻き込まれたのも、同じ理由かも知れない。日本民族の将来性に気づいたユダヤ権力の謀略であったのか?)ちなみに、ユダヤ人疑惑のあるナチスの幹部はヒットラーだけではない。ヒムラーもボルマンもアイヒマンもハイドリヒもローゼンベルグも実はみなユダヤ人ではなかったのか?アイヒマンにいたっては、ユダヤのイーディッシュ語が堪能な、正真正銘のユダヤ人であったと言われている。(アイヒマンは戦後アルゼンチンで捕まったが、ナチスとシオニストの関係を暴露しようとしてモサドに捕らえられたと言われている。)

 また、ローゼンベルグとは、ユダヤの名家の苗字である。ナチスは、隠れユダヤ人によって構成されるシオニスト別働隊だったと考えるべきだ。

 2006年11月に受領したユダヤ犯罪組織高官からのメールにも『ホロコーストはユダヤ人の仕業だ』とハッキリ書いてある。ご紹介しておこう。> シャローム コシミズさん> 私の部下の一人が、貴殿が私のメールをホームページで公開していると教えてくれた。> これは受け入れがたい事実であり、貴殿に対して行動を起こすことになる。> これには因果関係がある。貴殿はこのメールを貴殿のサイトに掲載することを許されない。> 今回が、貴殿に行為を取りやめる最後の機会だ。> このメッセージに解答してくれ。> 貴殿がユダヤ人に対する名誉毀損を止め、我々のドリーデル・ヤムルケ作戦の継続を可能にするのであれば、我々は貴殿が生存することを許す。> もし貴殿が我々の大儀の毀損をやめないのであれば、貴殿は生涯、自分の命を心配することになる。> 貴殿が知っているかどうかはわからないが、ホロコーストは、われわれにとっての敵を世界から一掃するために、ユダヤ人が実行したものだ。> そして、同時に、我々に対する共感を得るためのものだった。> 私は、この事実を貴殿に伝えることによって、貴殿が我々のすることに対して誤解を持たないようにしておきたいのだ。>> コシミズ、覚えておけ。> 我々は数百万人を殺した。> 我々が、さらにもう一人殺したところで、誰も気付きはしない。>> 私の警告に注意しろ。貴殿のような知的なゴイム(非ユダヤ人)を処分しなくてはならなくなるのは不名誉なことだ。『ホロコーストは、われわれにとっての敵を世界から一掃するために、ユダヤ人が実行したものだ。そして、同時に、我々に対する共感を得るためのものだった。』とユダヤ大臣閣下、平易に説明してくれている。

 この事実を世界が知れば、ユダヤ権力の謀略は、もはや行使出来なくなる。欧州では、ホロコーストの否定論を述べるだけで、時として罪となり投獄される。ユダヤ人は、ホロコーストの多くの部分が作り事であり、実態はユダヤ人によるユダヤ迫害であったことが発覚するのを恐れている。だから、闇雲に口を封じるために欧州各国で馬鹿げた法律を作らせた。

 ちなみにイスラエル建国の父、アドルフ・ロスチャイルド・ヒットラー男爵は1945年4月30日ベルリンの地か宮殿で自殺などしなかった。他のナチ高官と一緒にUボートで、ノルウェーのベルゲンから南米アルゼンチンに逃れ、チリとの国境近くの山間部に隠遁して、1980年代まで生きていたと思われる。アイヒマンも当時は行動をともにしていたし、副総統、ボルマンもいたと思われる。

 誰もが馬鹿げた話だと思うだろう。ヒットラーが戦後も生きていたはずがない、と思うだろう。だが、イスラエル建国を助けたシオニズムの英雄で、ロスチャイルド直系のヒットラーを、戦前戦後の世界支配者であるロスチャイルドが殺すわけがない。身内の血縁者である。可愛い甥っ子であるネット上で誰が書いたかわからない怪文書が出回っている。それにはこう書いてある。

 ヒトラーは1985年12月、南米アルゼンチンのメンドーサの地で亡くなった。 4:14pm April 30 、1945 エバ・ブラウンと共に飛行機でノルウェーに飛び、最終地の南米アルゼンチンに到着し、隠棲した。(出番が終わったので)チリの東200マイルに位置する、アルゼンチンの北西のメンドーサ(Mendoza)の町でナチスのSSとスファラジー・ユダヤのコミュニティに守られて極秘に余生を送った。 遺体はメンドーサの南東30マイルに位置するパルメロの共同墓地に埋葬された。 その後のヒトラーは絵画が唯一の趣味で、多くの遺作が残されている。 最近、東京で展示されている(急きょ中止されたが)のは、ドイツ時代に描かれたもの。 ヒトラーはバロン・ロスチャイルドが家政婦に生ませた男児(アイロス)の子。

 事前知識のない人物には、この文章は、狂人の戯言にしか思えないであろう。だが、ヒットラーという人物の正体を知るものにとっては、隅から隅まで納得できる、信頼できるに足る文書である。

 そして、ご紹介したユダヤ裏組織の人物からのメールの記述に見事に合致する内容である。>アドルフ・ヒットラーは、隠れユダヤ人であり、Uボートで南米に逃亡し、二人の子供を作った。のである。ロスチャイルドの孫のヒットラーとロスチャイルドの息子のスターリンが、戦争ごっこをやった。それに、ロスチャイルド家のの老中、チャーチルとロックフェラー家の執事、ルーズベルトが加わった。ロックフェラーにいいように使われた日本が敗戦で疲弊した。それが第二次世界大戦だったと証明される日が来ることを私は待ち望んでいる。リチャード・コシミズ

http://blogs.yahoo.co.jp/ekono2000/30937683.html