江戸時代、仙台藩に林子平という藩士がいた。

冒険家である彼は、蝦夷地や小笠原諸島を学術調査のために単身で乗り込み、詳しい地形調査を行い「三国通覧図説」という本を書き記した。

この本は国内では無視されたが、幸い海外に輸出する機会に恵まれ、さらにフランス語に訳されて欧米の知られる所となり、以降の極東地域の領海を線引きする典拠の一つとなった。

時は下って幕末、黒船に乗ってやってきたアメリカ合衆国は、日米修好通商条約を結ぶ際に「小笠原諸島はアメリカの領土である」と主張してきた。

強硬なアメリカは、小笠原諸島が日本の領土であるという、国際的に通用する資料の提出を求めた。

その時日本が提出したのがフランス語版「三国通覧図説」であった。ヨーロッパ列強は日本の主張の正当性を支持し、アメリカは訴えを取り下げた。

林子平がこの本を書き記していなければ、今頃小笠原諸島はボニン島という名でアメリカの領土となっており、日本の経済水域ははるかに小さなものになっていたはずである。

何が言いたいかというと、領土問題は当事者間だけで解決できるものではないという事だ。

尖閣諸島にしても竹島にしても、もしその領有権の正当性を主張するのなら、国際的に通用する資料を用意し、しかるべき決定権を持つ第三者、例えばハーグの国際司法裁判所に裁定を委ねるべきである。

その点については、贔屓目にみても日本の態度は筋が通っている。

韓国も中国も、近代国家を標榜するのならば、一方的に主張を繰り返すだけでなく、国際社会の一員としてルールに則った態度で臨むべきである。