得をした、損をした、というのは「人々によりなされる仕事」で量ることです。
アベノマスクの廃棄にかかる費用が6千万円とか言っていますね。確かにもったいない話ではあり、こういうことは無い方が良いに決まっています。しかしこれは『6千万円というカネがこの国から失われた』ことを意味しません。廃棄費用だというのなら、運搬・処分・人件費などに使われているはずです。
たとえば、日本に是非とも実現すべきインフラや科学技術、あるいは介護など身近な分野に関わる長期課題の設定があり、そちらにリソースが取られて「マスクの廃棄とかやってる場合じゃねえ」というのなら、これはもう大変な損失でした。長期計画が遅れることは国益の損失だからです。
しかし実態として「浮いている人や自動車などを動かして、一部の人々が所得を得る機会になった」というだけなのであれば…もちろん手放しでメデタイことだとは言いませんが…国としては特に打撃でも何でもありません。マスクを廃棄したいという需要があり、それを満たすために日本人が働いたというだけでしょう。それで、なにが悪いんですか?

いや、インフラや科学技術なんていう重い話でなくても構いません。
もし、マスク廃棄に関わる業界の人々が超カッツカツの状態でギリギリの仕事をしていて、時間に追われ、設備も人もフル回転で儲かりまくっていたとすれば、

「この上シゴト増やしてんじゃねえクソが!!」

ということになっても不思議ではありません。そのせいでアベノマスク廃棄以外の重要な仕事が後回しになり、誰かが困るのであれば、それは国家としての損失になります。
そうでないなら、国内の余力で需要を片付けたというだけのこと。片付けた人には代金を払いましょう。そんだけです。代金をもらった人はそれを使って、また別の人に別の仕事をさせる。こうして人々の労働は巡っていきます。

だからいつも言っているように、その余力の維持が重要なのです。
現在の日本には、6千万円を出せば「不要なマスクを正しく処分できる人達」が余力として存在していたのです。良かったねえ。
しかしいずれは、人は余ってるけど、マスクの廃棄ってどうすりゃいいんだっけ?…ということになりますよ。そこらの河原で火ィつけて燃やせばいいんじゃね、みたいな国になるのです。または正しい処分ができる業者がアソコしかない、とか。
これが「余力がない」状態です。国民が遊んでいる(=何もせずに寝ている)と、こうなるのです。カネを使わない(=何もせずに寝ている)と、こうなるのです。民間に需要がないときに政府までケチケチしている(=何もせずに寝ている)と、こうなるのです。6千万円は持っていたとしても、マスクが正しく処分できない国になるのです。

国民全体が一丸となって喫緊の課題に取り組むというのは国益上も経済的にも素晴らしいことですが、一定程度は余裕が必要です。しかしその余裕を、真の意味の余裕として維持するのが重要です。余裕は、ほったらかしておくと余裕ではなくなります。例えばまともな橋やトンネルを半世紀も造らないという超余裕をかましていれば、いきなりやれと言われても不可能でしょう。メンテの分野では現に似たようなことをしていますよね。多くの場合、危ない橋は補強や造り直しではなく「ぶっ壊せ」ですから。
しかし残念なことに、この余裕の維持こそが無駄遣い呼ばわりされる典型例なのだから、困ったものです。

人々の仕事が大切にされる世の中になるよう、これからも個人的にできることをしていきます。
みなさま、よいお年をお迎えください。


政府債務の圧縮進めよ=元大阪経済大学教授・熊倉修一(日経)

(略)わが国の財政は1990年代以降、税収入が伸び悩む一方で、社会保障費がかさみ、さらに金融危機や震災、コロナ禍などの対策で財政出動が重なったことから、巨額の国債発行を余儀なくされた。その結果、国の長期債務残高は1000兆円、名目GDP比200%を超える異様な水準に達し、他国ならばとうに信認が失われ債務不履行に追い込まれているところだ。(この後めっちゃ略


 私のようなアホが、IQ的には30も40も高い可能性のある大学教授より経済を理解しているというのは恐るべきことです。
まず税収減で懸念すべきは「経済がうまく回っていないと疑われる証拠の一つではないか」という点であって、何かの財源が減るから、ではない。コロナ対策に税収は必要ありません。
何度も 何度も 何度も 何度も 書いていますが、例えば、重機もあり燃料もあり技術者もいるとします。しかも目の前に。
それでも、

予算がないから

という理由で、地震の被災地を見殺しにして瓦礫の撤去は諦めろというんですね、熊倉さん。私はこの方のような人非人ではないので、もし自分に全ての決定権があれば苦笑い&即決で重機を動かし、業者さんにはふんだんに人件費含めた事業費を払います。人が嫌がる仕事してもらうんだから当然ですよ。財源は国債です。というか、被災地を見殺しにし続ける方がよほど「信認が失われ」るだろうし、あなた方が大好きな「次への備え」もできないでしょう。いやもう常識的に。なにかこう、

実は経済とはこうなっているのです!!
知らんかったやろ!!

とでもいうようなニュアンスはゼロでして、全く普通の、まっとうな感覚として簡単に理解できると思いますが。普通の人なら。


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18歳以下に10万円だかいう話が報じられていますが、お昼の番組など見ていると「もらうのが心苦しい」との反応が実に多いわけです。

「その精神が導く先にある現実世界の結果」と完全に切り離して考えれば、それは一見して確かに道徳的ではあります。しかし、繰り返してこの言葉を使いますが「その精神が導く先にある現実世界の結果」をひとたび直視すれば、最低最悪の不道徳です。だって、子々孫々に荒廃した国を遺すこと、そのものですから。


こういう人々は、お金をもらうことを「ウハウハ的」だと思っている。だからこそ非道徳的だとみなし、給付をもらうのが心苦しいと考えるわけです。違うんですよ。ウハウハではない。

そのお金って、今すぐではなくてもいつかは使うんでしょう。お金を使うってのは、誰かを働かせるということです。では「誰か」って、誰なんですか。それは自分自身も含まれているのではありませんか。

西村ひろゆきさん、堀江さんあたりと同じで、そこが分かってないのだと思います。コンビニのおにぎりは宙から湧いて出てくるのではありません。誰かの労働の結晶です。

誰かを働かせ、また自分も誰かに働かされるという構図が、給付金の持つ一面です。それって不道徳なの?一体何が悪いんですか?


 [状況A]

①誰かに働いてもらう

②その果実を自分が受け取る(ウハウハ的部分)

③自分が誰かに働かされる

④その果実を誰かが受け取る


という構図ですが、「もらうのが心苦しい」と言っている人々や、大阪の吉村知事など維新の会の人々は、なにゆえか知りませんが②しか見ていないのです。来る日も来る日も言及するのは②ばかり。私が何かをもらう。私が何か良い思いをする。私が甘い汁を吸う。いやいや違うって。①も③も④もあるんですが、なぜ無視するんですか、という話です。間接的に①③をまとめてざっくりと「経済を回す」などと言って触れることはありますが、ほとんど常に②ばかりを指摘するから、さもオノレが道徳的に上にあるかのように振舞うという最低の不道徳をやらかしてしまっています。

これは反対にした方が分かりやすいかもしれません。 


[状況B]

①'誰かに仕事をさせない

②'果実を自分が受け取れない(維新の会などが道徳的マウントを取る部分)

③'自分が仕事をしない

④'果実を誰も受け取れない


給付金を心苦しく思う人々、維新の会の人々は、ここでも 「な ぜ か」 ②'しか見ないのです。私は何ももらいません。私は良い思いはしなくて結構。私は甘い汁を吸いません。いやいや違うのよ。①'も③'も④'もあるんだって。

②'ばかりに注目していると実に「頑張ってる感」がありますが、経済的には何の意味もないどころか、デフレ下では害悪そのものです。状況Aと状況Bを比べて、どちらが後の世代に住みよい国を遺せるのかフツーに考えたらわかると思いますが、②と②'しか考えない人が国会議員になり、でかい自治体の長をやっています。

ましてやそれをパフォーマンスに利用して、しかもパフォーマンスとして成立してしまっているのです。 


そうなると、日本が落ちぶれるのは当然です。



 

「ばらまき合戦」、過熱の一途=各党財源論乏しく(時事通信) 

与野党は、衆院選で最大の争点となっている「分配」政策のアピールに懸命だ。

競い合いは過熱の一途で「ばらまき合戦」の様相を呈す。ただ、各党とも財源論については多くを語らない。赤字国債に依存するなら、負担は将来世代に重くのしかかる。

(以下、クソくだらないので全部略)

 

時事通信の「わかってない」記事を見て、ちょっと前に聞いた話を思い出しました。

アメリカでは(州によるのかもしれませんが)給付金が相当に手厚いので、就労意欲が特段湧かない人々というのが一定程度いるらしく、そこそこの現金をもってのんべんだらりと過ごしているそうです。笑

確かにそれって全面的な善とは言えないのかもしれませんが、一体その何が悪いのか、明確かつ的確に指摘するのは難しいと思います。

客が来ない、酒を出せない、店を閉めるかどうかのギリギリのところだ…。一年たっても二年たっても延々と「苦しい苦しい」言い続けるのと、国から金ェもらってだらだらしてるのって、どっちが幸せなんでしょうね。いつも言ってますが道徳的な観点は抜きにして。というのも、経済は道徳ではないし、まさにその道徳観がしこたま悪用されて今に至っているわけでして、もはやここまで来てもその観点から抜け出せないのは

 

愚鈍にもほどがある

 

というか、

 

罪深い

 

と言っても過言ではないかと…。

(実際、将来の子供たちにクズのような国を遺すのに一役も二役も買ってますので。)

 

ずっとその「のんべんだらり」状態を容認する政策が立派だとは言いません。でも、まあ、いいじゃないですか。

政策はマクロですから、ミクロの我々個々人にとっては波の高低があり、色の濃淡があります。危機的状況があれば「妙にトクしちゃう」人が出ても仕方ないんです。私がいつも言ってる、災害時のボランティア依存はやめろという話もその一つです。ボランティアの代わりにちゃんと国が人を雇って日当3万円出しゃいいんですよ。その人々は「災害プチ成金」みたいになると思いますが、人が嫌がる仕事をしてお金もらって、いったいなにが悪いんですか?

 

そのアメリカの「のんべんだらり」の人たちは、カネ持ってるんでしょう。誰も働いていないというなら危機的状況ですが、だらだらしてる人たちがいれば働く人もいるんです。言うまでもなく、それらの人々が払うカネは働いている人に渡るんですから。カネが移動する(単なる移転は別ですが)ということは、人が働くということです。繰り返しますが波の高低と色の濃淡はあるとしても。

政府も一緒になって節約して、買いたいモノを我慢して、お店は客が来ない来ないと苦しんでいるよりは遥かに上等です。それは全員が歯ぎしりしながら仕事をサボっているも同然です。

いまだに、ハッキリしたこのレトリックがどこにも見られないので少々嬉しくなってきたのですが(笑)、カネを出さないということは働かないということです。経済的に苦しいと念仏のように何十年も言われている状況で、国民が必死に渋面を作りながら全力でサボっているのが日本という国です。

 

>赤字国債に依存するなら、負担は将来世代に重くのしかかる。

 

いやー、ぜんぜん違いますよ時事通信さん…。

将来世代の子々孫々は、私たちに「まともな国を遺すためにちゃんと働いて!」と言いたいはずですよ。

買いたいものはあるけど節約!客は来ないけど我慢!ってのは、なんか妙に努力してる感あるけど経済的な意味では完全なサボりですからね。つまりは働かないってことだから。

 

国民が働かないことの方が、将来世代の負担になると思わない?

時事通信さん。

タイトルは、メンタリストのDaiGoさんとやら(あまりよく知りませんが)が発言された言葉でして、絶賛炎上中とのことです。

私は優生思想だとかヘイトクライムだとかいう観点ではなく、単なる事実だけに触れます。


まず、


「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃない」


という部分ですが、DaiGoさんが払った税はそもそも生活保護の原資になっていません。DaiGoさんが払った税は、格差、景気、インフレ率などの調整、その他様々な政策の「意図」として(「原資」ではなく)徴収され、この世から消滅します。あなたが払った税は生活保護には一円も使われていないのでご心配なく。

もちろん、現在の経済政策においてはその「意図」に大変な誤りがありますが、それはまた別の話です。


「生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、」


この点ですが、生活保護の人々は当然ながら消費しないと生きていけませんので、一般政府からの財産移転として受け取ったお金(繰り返しますがDaiGoさんは一円も負担していません)を何かの形で使います。

その「使ったお金」は、DaiGoさんが納めた税とは違って、生きたまま実体経済を巡ります。

すなわち、誰かの所得になり、誰かの命をつなぎます。この「誰か」とは、私もDaiGoさんも当然含まれています。DaiGoさんも私も、他人に生かされています。残念ながらこれは宗教的観念的なものではなく、事実です。優秀な人ほど認めたくないことかもしれませんが、経済は一方通行ではないので、どうしてもそうなります。


西村ひろゆきさん、堀江さん、そしてDaiGoさんも、例えばコンビニに並んだ「おにぎり一つ」として自分で用意することはできない、ということを知ろうとしません。

全ての人は、他人に寄りかかって生きています。そして、寄りかかられた側の人だって、また別の誰かに寄りかかって生きています。

そのためには消費が必要です。作ったものを誰かが消費してくれるからこそ、他の誰かが寄りかかってくるのを支えることができます。


生活保護費を年間2.6兆円とすると、この人々が(お望み通り)「何も消費しなくなった」場合、全くの単純計算でひとり平均21700円の所得減です。もちろん影響には濃淡があるので、もっと遥かに減る人も出てきます。またマイナス側の乗数効果もあるので、実際はもっと大きくなります。

すると、まあDaiGoさん御本人は安泰だとしても、


「(生活保護とちがって)ぜひ生きてて欲しい人たち」


が一部死ぬことになります。または生活保護を新たに受け始めることになります。これも事実です。認めるかどうかは関係ありません。

すると、DaiGoさんはそういう事情で生活保護を受けることになった人も、


「生きてても僕は得しない」


と言ってのける対象になるわけですから、それらの人々もまたお望み通り「何も消費しなくなった」としましょう。

さて、つぎは国民一人当たりいくらの影響があるのかな、と。これは延々とつづきます。


以上、道徳的なことには何一つ触れていません。事実を思いっきり誤認していますよ、というだけの話です。


とにかく、国家は国民に対して「死ね」という権利はありません。


今回の緊急事態宣言においては、酒類を出す基準を守らない店舗との取引をやめるよう働きかけるとか、その店舗の情報を金融機関に提供するとか、そんな話が西村経済再生担当相から出てきています。


あまりにも酷い。

テレビを見ていても「なんとか踏ん張ってください」などと励ましているコメンテーターなどが多くいますが、日々自分の蓄えが目減りしていき、協力金を担保に銀行から金を借りたいなどという話をしている人々のことが、安全地帯から見ていて理解できるはずがありません。(自分も含めて。)


国民を殺す国家に対しては、どの歴史を見ても民衆は従う必要はありません。言うことを聞け、と胸を張って言えるだけのことをしていない限り。



人口が減る国でGDPを伸ばすことはできない、という話を何度か耳にしたものですから(※リアルで)、少し調べてみました。20分くらいで。
調べたといっても、まことにしょーもない話でして、

①主要35カ国の2012-18年のGDPの伸び率
(※最初は2015年までと書いてました。修正します。すみません。)

②主要35カ国の2010-15年の人口の伸び率

を比較して、相関係数をとるのです。そんだけ。
ちょっと気のきいた子なら小学生でも可能です。おなじ20分でやられたらショックだけど。笑
ちなみに①②の年代がずれているのは恣意的にデータを選んだわけではありません。そんなアホみたいなことしません。たまたますぐに見つかったのを使っただけ。簡単に調べただけなので許してください。

で、係数は「0.34」でした。ちょっと中途半端な数字ですが、明らかに互いに関係があるとはまったく言えません。まあ、全くの無関係とも言えませんね。
ただ、人口がわーっと増えるような国では、人口とは別の要因でGDPが増えやすい環境にはあるでしょうから、0.34というのもそれなりに納得できるような気がします。(←すげえモヤっとした書き方笑)

少なくとも、GDPが増えないことを人口減のせいにはできません。
ついでに書くと、この問題はいつも「符号」が注目されますが、それだけでは不十分です。つまり「人口マイナスとGDPマイナス」「人口プラスとGDPプラス」をひとまず正常とみなしたうえで結論を探る考え方ですが、実際には、人口プラスといってもごく僅かなこともあるし、GDPがマイナスだとしてもほとんどゼロのことだってあります。
だからこの話をするときは、毎回きまって人口マイナスのエストニアとかハンガリーなどが例として出てきますが、別にそれに限る必要もないってことです。

あと、「成熟した国家」という言葉がよく出てきますが、これも怪しいと思います。
アメリカなんて成熟した国家の代表格だと思いますが、人口は+0.72%しかないのにGDPは+27.1%です。イギリスは人口+0.65%ですがGDPは+25.0%です。

単純に、たとえ働く意思はあっても、国民がなんもしなければGDPは増えません。もちろんGDPは付加価値の総計なので、いくら必死に働いてもブラックな条件なら簡単には増えませんが。
繰り返しますが、GDPが増えないことを人口減(あと「成熟した国家」とやら)のせいにすることはできません。ほとんど関係ないと思うよ。
そしてGDPが増えないということは、その際の政策によっては、いざ必要な時にGDPを生み出すもととなる「種籾」をドブに捨てていることを意味します。(←いまここ)

楽天の三木谷さんが新プランでプレゼンやってましたが、

あなた、英語でしゃべらなくていいんですか?笑

こんな「狭い世界」で商売してないで、
はよ「世界に打って出」てこい

10万円の定額給付金について、池上彰さんがおおむね以下のようにお話になりました。

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当然、それだけのお金をどこから持って来るの、ということになれば、もちろん借金で賄うということです。
皆さんに10万円ずつ寄付がされたでしょう。国が借金をして10万円ずつ配っているわけです。ということは、いずれ返さなきゃいけない。
よく考えると、将来からの前借りなんです。皆さん方がこれから一所懸命稼いで税金を納めて、借金を返済してください、という話です。

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池上さんの頭のなかには「"労働力"が湧いてくる泉」みたいなものがあるのでしょう。
政府が配るカネは、その泉の中の小びと?みたいなのから借りてくるのです。借金ですね。
そしてそれを使うと、小びとがわらわら出てきて、食べ物をつくったり、建物をたてたり、教育をしたり、医療を施したり、まあ色々してくれるという。

でも小びとらは、その代金をキッチリ請求してくる。もちろん国民は政府から受け取ったカネを払います。しかしそれは、もともとは政府が小びとの国から借りたカネですから、いつかは返さなければならない。
だから、国民は税金を納めて、政府はそれをもって小びとの国に返済すると。

そういう話なら理解できるのですが。
これで合ってますかね、池上さん。

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親がカネを借りたまま死んだとします。
そして、子はそれを相続し、借金を背負ったとします。
子は、借金の返済が必要です。―――(A)

子にとってみれば「ただ働き」ということになります。
だって、自分は何もしてもらっていないのだから。

単純に考えて、世代を超えた借金の返済とは、後の世代にとっての「ただ働き」を意味します。
では、この定額給付金12兆円(B)という借金は(そのとおり借金であるのは確かです)、我々の子の世代が12兆円の「ただ働き」をしなければならないこと、を意味するのでしょうか。
つまりこの12兆円はすでに使われ(実際に使われた額は遥かに少ないでしょうが)、すなわち、カネを使うことによって得る利益をすでに実現―――たとえばどんちゃん騒ぎや高級車の乗り潰しなど―――し、残ったのは借金だけ、ということになるのでしょうか。


な り ま せ ん 。


その、どんちゃん騒ぎ、高級車の乗り潰し、などを実現するために、

誰がはたらき、そして誰が代金を手にしたのか

という問題です。
働き、代金を手にしたのは小びとではないのですよ、池上さん。おなじ日本国民です。(A)の借金と(B)の借金は、まったく意味が異なるのです。
その、おなじ日本国民は、現に「カネを払ってもらえるなら働くよ」と言っています。ならば、働いてもらえばいと思いますよ。
私は、経済的にまずい状況においては、そして日本のような条件を備えているのであれば、ひとびとが一生懸命に働いたほうが絶対に事態は好転すると確信しています。

でないと、

「そんなどんちゃん騒ぎは、ちょっとウチでは無理。材料もないし料理人もいないし」

「高級車?ないよ。外国で買ってくれ」


という国になります。
ひとびとが働かない、とは、そういうことです。
それが、毎度毎度おなじことを言いますが、後世への最低最悪のツケなのではありませんか。

私が、数学の分野について数学者にかなうところは一つたりともありません。

私が、物理学の分野について物理学者にかなうところは一つたりともありません。

もしあるとしたら、それぞれの分野の「極めて基礎的な部分」限定で、例えば小学生などが分かりやすいように説明することくらいです。(そこそこ得意)
それなら相手が物理学の大学教授でも、まあ勝てる場合があるかもしれない。

で ↓↓↓

「後世の借金増やすのか」 麻生財務相、10万円再支給重ねて否定(産経)
記事はぜんぶ略 笑

これに対して、金融アナリストとやらの久保田博幸さんのコメント。

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麻生財務相が指摘しているように、定額給付金の原資は税金ではない。将来の税収を担保に発行される国債。つまり借金が原資となる。
(略)
それはいずれ国民の税金で返済されことも考えておく必要があろう。

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つぎ、一般の方のコメント。

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新規国債を発行して給付金を出しても、後世の借金にはならない。
貨幣が市場に生まれる仕組みは国債を発行する事しかない。
政府の負債は企業や国民の所得金である。
自国通貨建てで、変動相場制をとっている国は国債を幾ら発行しても何も問題はない。まして日本は長期デフレなので、インフレ率を設定し国債発行による財政出動が経済浮揚の手段である。
PB黒字化目標は国民から所得を搾り取るだけであり、より国民は貧困化する。政府の赤字は国民の黒字であり、マスコミや国賊経済学者、そして財務省はプロパガンダを流し真実を隠蔽している。
国債は日銀が買い取れば終わることを理解すれば「後世の借金」とか「デフォルトする」とかは無い事が理解できるはずである。

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あげ足を取るのは可能ですが、おおむね正しい。
特に大きなツッコミどころはありません。

素人が、経済の分野について経済学者に勝てるところは明確にあります。
これは他の厳密な学問ならばあり得ない話です。
いかに経済学という学問(?)が、グズグズのクソ学問かということが如実に示されています。

久保田博幸さんは、この2021年というクソ学問に多大な間隙のある時期をうまくついてメシを食っているということになります。
ただ食っているというだけならまだしもですが、国民を大いに貧困化に叩き込み、後世に最低最悪のツケを遺すためだというのだから、もはや腹立たしいどころの話ではありません。

あけましておめでとうございます。
正月早々、ろくでもない話から始めます。←

緊急事態宣言が再び出そうな状況ですが、私の周囲の人々は「対応が遅い」とか「全国一律に宣言を出すべきだ」とか言っています。
そうすると困る人々(まあ典型的なところでは飲食店や旅行関連)が当然出てくるわけですが、誰一人として、

補償すればいい

という所までセットにして主張する人はいません。見事に私のみ。いやまじで一人だけ。
自分が直接困る立場にないものだから想像が及ばない、というのはあるでしょうが(まあそれを言うなら私だって同じ条件なのですが)、感染症対策についてはニワカ専門家になる割には、他人や政府の財布の話になると急に輪郭がぼやけて、

そこはまあ、むにゃむにゃ…

という感覚になるわけです。
なんとかなるだろ、ということなのでしょう。現実は何ともならないのですが。
それとも「今は耐えるしかない」とでも言うのでしょうか。現実は耐えきれないのですが。

というか、補償どころの騒ぎではありません。
正月に見た映画として、

https://www.wowow.co.jp/drama/original/oz/

これを紹介されまして、いたく感動したとのこと。
そして「やはり自分の考えは間違っていなかった」と確信したそうです。
いちど観て見たら、などと言うのですが…それってもはや、ベルトルト・フォン・レーゲンスブルクを居酒屋のサイコロ賭博に誘うようなものでして…いや、これも喩えが妥当なのかどうかいまいちわかりませんが。←

うん。まあいいんですよ。草刈正雄の映画で喜ぶのは構わないし、政府の支出を半分にすべきだというのもまあアリです。主張は自由ですから。
で、あなたは、この日本という国に「苦しむ人々を助ける力」がまだあると思っているのか、もう無いと思っているのか、どちらなのか。もちろんここではカネの有無を質問しているのではありません。能力の問題です。すなわち、


できる、のか。

できない、のか。


質問を変えます。
もう百回以上は似たような話をしていますが。

地震で屋根に押しつぶされて逃げられない人がいます。
火災がすぐそこに迫っています。
このままでは、その人は確実に死にます。
しかしあなたは目の前にある重機を運転できる。
それを使えば屋根を取り除き、逃がしてあげることができます。

あなたはその時、カネ(代金)が無いから重機は動かしたくない、この人は死んでも仕方がないのだと、しっかり主張すべきです。それならば私は、あなたと一緒の共同体に属したいとは思いませんが(笑)、そういう考え方もあるんだなあということだけは理解します。
そこから目を逸らしてはいけないのです。あなたが言っているのは、いわゆる「片手落ち」というやつで(これは使うべきでない言葉?らしいのですがバカバカしいので使います)、屋根に潰されている人に向かって「地震対策がなってない」と説教を垂れているようなものです。何の意味もありません。ましてや今回のコロナの場合は、個々人においては対策もへったくれも無かったはずです。
ちなみに私は、国として助けることが可能なのであれば、持てる人的・物的資源を駆使して全員を助けるべきだと考えます。私なら0.01秒で重機を動かします。
一切の躊躇もない。
即断ですよこんなもの。

あなたが属しているのは、キリストの「第十の合唱隊」に相当する堕落者の集団です。ご存じないなら調べてください。

ちなみに私は全くキリスト教徒ではありませんので、念のため。
今回の投稿で使った宗教的表現は単なる比喩のためであり、旅芸人を貶すなどの意味は一切ありません。(むしろ凄ェ人達だと思っていますが)