今日は、お世話になっているお仕事先で
初詣に行きました。

仕事を共にする仲間で一丸となって
お参りというのは、
気持ちを一つにして、お参りするという意味で
とても意義のあることだと思います。

今回、個人的に、お参りするということについて
書いてみたいと思います。

実は、FBのお友達にはお知らせしましたが、
昨年2015年12月、父が他界しました。

2012年からいくつかの病気を乗り越えてきて、
今回も10月末に入院して、
乗り越えて、11月中旬に退院予定だったんですけどね。。。

退院予定日その日に、肺炎になり、
そこからみるみる弱っていき、
12月に息を引き取りました。

そんなわけで、
父が2012年に病気をしてからというもの、
神様に近い場所では、ひたすら父の健康を祈ってきたわけです。

2015年だけでも、いろいろなところで、
お祈りしてきました。

しっかり丁寧に、お参りの教科書にあるように
住所、生年月日、名前などを心の中で唱え、
ただただ、お祈りしてきました。

どんなに祈っても、起きるときはおきるのだと
今の私は思うのです。

お祈りしたからこそ、お別れの形に、
たとえば、看取りの瞬間に立ち会えた、
息を引き取る前2日は、家族水入らずの個室で
過ごせたなどなど、
プラスの要素を見つけることができるのかもしれません。

でも、やっぱり強烈な寂しさは、
私の中にまだまだしっかりあるのですよね。

だから、こんな風にお祈りしたって。。。っていう
ひねくれた気持ちが起きてきます。

きっともうしばらく時間がたって、
気持ちが癒されてきた頃、
今を振り返って、社会人生活ではなんともない風にしているけど
まだまだ悲しみはどっぷりと心の中にあって、
悲しくて悲しくて仕方ない気持ち故に
お参りすることに対して、
そういう気持ちを抱いてしまったのだろうと
思うかもしれません。

ご先祖様にお祈りすることですら、
今の私は、素直になれない。

今回の入院で、父の病状が悪化して、
とにかく苦しそうな父の様子を見るのがつらかった日々。

私は日記をつけていました。

父の苦しみを救ってくださいと。

でも、父は、逝ってしまった。

父とのお別れで、プラスに考えることが
一つもなかったとは言いません。

プラスに考えられることも、複数あります。

でも、やっぱりさみしい。

今も、1日に一回は、父がいない寂しさを
どっぷり味わって涙がどばーって出てくるときが
あります。

だから、素直に神様にお願いするっていう心境に
なれないんです。

ただね、自分の過ごした時間、経験、努力、
これは絶対に自分を裏切らないし、
神様はこれを活かすチャンスはたくさんくれる存在だとは
思っています。

だから、神様に何かをお願いするのであれば、
たんたんと努力する、経験する、時間を大事にする
これにつきると、今の私は思います。

また、とびとびになると思うけれど、
父の闘病生活について、ブログに書き綴っていきたいと思います。

向き合うのは結構つらいことなのだけど、
私自身の記録として。

そして、私が、父の闘病生活をみていて、
何より救われたのは、似たような経験をした方の
ブログだったり、エッセイだったりを読むことで
いろいろな人が通ってきた道なんだと思うことで
かなり気持ちが楽になったこともあります。

だから、1人でも誰かそういう境遇にいる方で
これを読むことで、少しでも心が軽くなるお手伝いが
できるのであれば、という気持ちがあります。

まあ、そんなわけで、今日は、お守りなどは買わずに
招き猫チョコレートだけ、買ってみました。

かわゆくて、癒されます。