☆第2の人生での悲しい出来事☆ | 幸せかどうかは自分次第❣️ご機嫌ライフの送り方

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デュアルライフ歴18年。主に大阪・島根でヨガレインストラクター、ベビーマッサージetc…をしております。

お仕事からプライベートまで、色々な出来事を書いています。

読んでご機嫌になって頂けたら嬉しいです。

昨夜は
ヨガレッスン後
テレビをつけたら
女子バレーが1セット先取していたので
少し安心して
夕食のお買い物に🏃

このラーメン

あっさりしていて好きで
常備してまして😁

夕食はラーメン食べたくて
もやしやネギ、メンマを買いに行ったのですが



もやし残しても・・・と
このあと追加しながら食べたので
結構お腹ふくれましてね😅

ヨガで深い呼吸沢山して
心地よく
満腹🍀

バレー見ながら
ついつい横になったのよね。。。

最後の最後
5セット目の一番良いところ
やっちまいました

zzz・・・

あちゃ~😱

目覚めたら23時
克典さんまで見逃してしまいました💦💦💦

さて昨日の
☆流行の先端を生きてた⁉(笑)☆

続きが気になるとのお声を頂きましたので
書いてみます(笑)

年の差婚に踏み切り
私の第2の人生を歩む事となった訳です

結婚1年後には長女が生まれ
その2年後には長男が生まれ
そしてその2年後に、第3子が生まれる予定でしたが
その第3子の3ヶ月検診の時、
「心臓が動いていません」
と言われたのです😱

でもね
お腹が痛いとか
出血があるとか
なんの変わりもなかったので
信じられなくて・・・

先生は
「慌てなくてもいいから、様子みましょう」
と言ってくださり
数日後にもう一度受診しました
が、やはり心臓は動いてなくて・・・
でも、私の体はどうもないし💦

翌日、出血があり受診

今回は諦めましょう
という事になり
悲しい思いをすることになりました。
本当に悲しくて麻酔が切れた時に大号泣していたことを今でも覚えています😢


悲しい出来事から1ヶ月位たったころ

父が夢に出てきたことがありました
「お父ちゃん、入院することになったわ」
と言うのです

「えっ?どれくらい?」
と聞いたら

「3ヶ月」との返事

で、夢は終わりました

滅多に夢をみないし
はっきり覚えているのが不思議な感じでした。

その翌日
母から話があると呼ばれました
「お父ちゃん、肝臓癌で入院することになった。余命3ヶ月・・・」

夢が正夢に⁉

父は自分の病気は最後まで知らなかったので本当に不思議な体験でした

父は亭主関白で
目の前に灰皿があっても

「八重子、灰皿」※八重子は母
って感じの人で
子どもに手を挙げたことは一度もありませんでしたが
母への暴力は何度か見ました😢

それでも
仲の良い両親で日曜日になると
映画を観に行ったり、よく、出掛けてました
生涯
「八重子」「お父ちゃん」
と呼びあっていました(笑)

入院中も
父は母を離さず
母はずっと病院に泊まり込みで付き添いをしていました

会社の支払日、給料日だけは
私が代わりに病院へ。

8月に一時退院
父が海に行きたいと言うので
皆で海に行きました

父はなぜかふんどしで(笑)
母は黄色いワンピースの水着

写真撮ってあげる📷
と言いながら
カメラをのぞきながら
涙をこらえるのに必死でした

あの日のことは良く覚えています

その後
再入院
夢のお告げどおり
父は3ヶ月で還らぬ人となりました

52歳
早すぎました

好きなことを散々して(笑)
太く短く生きた父
最後まで病気のことは知らずに逝きました

ありがたいことに
私には家庭があり
二人の子どもの笑顔に救われ
悲しみをダイレクトに感じる暇がなかったので
父は外国旅行にでも行ってるんだと思ってずっと過ごしていました

私が早く結婚したからこそ
二人の孫を見せてあげることができたし

そして、後から思えば
3人目の赤ちゃんは
私が心おきなく
父の看病が出きるようにしてくれたんだな
と思いました

人生
無駄なことは何もないし
上手く回るようになっているのだな
と思います

父の死は
人生いつ何がおこるかわからない
心して生きなさい
と教えてくれたように思います

それから
ちょっとずつ
色々な事をしていくようになる
わ・た・し

27歳になる
少し前のことだったとさ

続きは次回・・・