☆母の死☆ | 幸せかどうかは自分次第❣️ご機嫌ライフの送り方

幸せかどうかは自分次第❣️ご機嫌ライフの送り方

デュアルライフ歴18年。主に大阪・島根でヨガレインストラクター、ベビーマッサージetc…をしております。

お仕事からプライベートまで、色々な出来事を書いています。

読んでご機嫌になって頂けたら嬉しいです。

土曜日
3回目のヘナに挑戦

上手く出来ているかどうかはわかりませんが
段取り良くなってきた気がします

何事も慣れですね👍

ただ、ヘナ独特の匂いが
若干苦手です😅

孫3号も
「ばぁばからい」←何となくわかる(笑)

と申します💦

数日すると気にならなくなるので
ヘナった当日は
まとめ髪



オープン ザ でこ

にして1ヶ月半ちょっと経ち
前髪も少し伸びて
あげやすくなってきました

あれだけおでこを出すことに抵抗があったのに
慣れとは恐ろしや(笑)

もはや暑くて下ろせません😅

皆さんもそろそろ慣れてこられましたでしょ?松井のでこに(笑)

さてブログの続きを・・・
話は飛びます飛びます

結婚して第2の人生を歩み初めて

夫の会社の経理を手伝うこととなり

商売屋の娘として
夫を支えてきたつもり(笑)

支えていたというか
少し支え方間違えてたんだけど
それは後々わかることでね・・・
ちょっと失敗しました💦

その当時は精一杯の愛だったとおもうけどね😅(笑)

結婚から5年半たった頃
父親が旅立ち
☆第2の人生での悲しい出来事☆
子どもが少し大きくなった頃
代替え保育士としても復活し

それなりに山あり谷あり谷あり・・・崖っぷちあり(笑)←10年に一度大喧嘩してました😁
まっ人並みの人生を歩んでいた訳ですが

結婚から21年・・・

2004年2月から
現出雲市の多伎幼稚園に
常勤で勤務することになりました
(以前から多伎町にご縁を頂いていて、多伎町の3園にも代替え保育士として行っていました。3園が一つになり、多伎幼稚園に)

結婚後
常勤で働くのははじめてでした。
これもタイミング・・・凄く意味があったことに後に気づくわけですが・・・

幼稚園なので、春休みがあります。
その春休みの出来事です

母が大阪にいる私の5歳下の弟の長男の幼稚園の入園式にいく事になりました

孫の入園式ですね(笑)

ならば皆で車で大阪に行こうということになったのです
4月2日に出発予定でした🚙

その前日4月1日の夕方のことです
次男から電話が・・・
「お母さん早く来て。八重ちゃんばぁちゃんが倒れとる」

一瞬
エイプリルフールだし嘘ついてる?
と思いましたが
もし嘘ならたちが悪すぎる
許さない!と思いながらも

嘘であって欲しいと思いながら
車を走らせました

次男が玄関まででて待っていました

嘘じゃなかった・・・😢

部活帰りにお婆ちゃんの家の前を通ったら
珍しく車があったので寄ってみたらしいのです
玄関で呼んでも返事がなく
上がってみたらトイレから
お婆ちゃんの足がみえたと・・・

倒れていた母は
私が到着した時には
一生懸命ズボンをあげようとしていました
多分、立ち上がったとたん倒れたのでしょう
意識はあるものの右半身が動かず
話もできませんでした

直ぐに救急車を呼び
弟に連絡。

あのときほど
救急車の対応にもどかしさを感じた事は
ありません
沢山質問されるのですが
そんなことは後でいいでしょ!
早く病院に連れていってほしい
とかなり苛立ちを感じたことを覚えています

脳梗塞で倒れ
右半身麻痺と共に
言葉を失った母

可笑しい話をすると笑みを浮かべ
話は出来なくても反応はありました

一時は回復の兆しもみえ
家に連れて帰る準備も考えたくらいでした


入院中は弟のお嫁さんと順番に泊まり込み

春休みも終わり
仕事に行きながら病院通い

入院1週間たった頃
何故か夫が発熱😅

いやいや
あなたが発熱⁉意味わからん💦
と思ったものです(笑)

義理の妹が泊まる時は
かわりなかったですよ
というのですが

私が泊まると決まって
夜中に血圧が上がり呼吸が乱れ
ナースコールすることしばしば・・・

何か私に話がしたかったのではないかと思うのです

そんなんで夜眠れず出勤していたので
2週間たったとき、私も疲れがでて発熱・・・

家族に病人がでると
本当に色々大変💦


そうそう
話が戻りますが
4月2日に大阪に行くのを楽しみにしていた母は
車で行くならいつも持っていってやれないものも持っていけると
喜んでいたんですね

1日の夕方倒れた時
キッチンの食卓テーブルには
干物はじめ弟に食べさせたかったであろう、沢山のお土産が準備してありました
母の愛がてんこ盛りでした



たとえ半身不随になっても
話が出来なくなっても
生きていて欲しいという
みんなの願いは叶いませんでした

わずか3週間の入院で
☆元気で明るくて良く気がつくおかあちゃん☆
67歳の生涯をとじました

潔い人だったので、皆に迷惑かけてまで
生きたいとは思わなかったのでしょう

でもね
もう少し生きていたら
孫の入園式、成人式、結婚式、ひ孫がみられたのにね・・・
と思うと残念で仕方ないです

大好きだったお父ちゃんに早く会いたかったのかな?とも思うけど・・・

今でも生きていてくれたらな・・・と思うことが良くあります

母の死は
第3の人生を歩むきっかけとなりましたとさ

続きは次回・・・