☆念願叶って・・・☆ | 幸せかどうかは自分次第❣️ご機嫌ライフの送り方

幸せかどうかは自分次第❣️ご機嫌ライフの送り方

デュアルライフ歴18年。主に大阪・島根でヨガレインストラクター、ベビーマッサージetc…をしております。

お仕事からプライベートまで、色々な出来事を書いています。

読んでご機嫌になって頂けたら嬉しいです。

夫がなくなって間もなく

ふと思い立って
奄美るかちゃん

ブレスレットをお願いしました

オーダーした時点で
物凄くパワーもらっていたのだけれど

毎日身につけていたある日

ブレスがこんなことに・・・


るかちゃんに連絡したら
直してくれるって

で、今日がお約束の日
待ち合わせ

イケメンのおるカフェにしようか?
って(*^^*)

即イエス



ランチ
びっくりするくらい大きな皿で出てくるよ

と、聞いていたけど

本当に大きかったわ(笑)


これに飲み物ついて1000円
お肉、お魚、お野菜バランスよく
乗ってました

お刺身は二切れずつ3種類あったけど
トロがついてたぁ~
lucky美味しかったよ

そして
るかちゃんのいうとおり
イケメン揃い❤ふふふ
目の保養も出来て嬉しかった~(笑)


ブレスはね
かなり頑張ってくれててお疲れモードだったみたいだけど

るかちゃんパワー注入で
また、ピカピカキラキラ✨輝きを取り戻しました



やっばるかちゃん凄いわ

ブレス
もうしばらく助けてくれそうです
るかちゃんありがとうm(__)m

それがね・・・
イケメンにボーッとして
るかちゃんのお茶代持つのをすっかり忘れて
別れてから電車の中で
一人大反省会してました
るかちゃん今度お礼するから
許されよ~m(__)m


さてさて
ブログの続きおば・・・

深夜に倒れ
脳に転移が見つかり
体に麻痺がでたため
自立が不可能となった夫

もはや
私一人では介護が無理な状態となりました

退院は見送り

でも、最後のチャンスが・・・


夫が入院してから
東京の長男と大阪の次男が
月に2回ずつバラバラで帰ってきていましたが

ゴールデンウィークは二人揃うので

3人でなら家に連れて帰っても
24時間交代で介護出来るということで
ゴールデンウィーク3日~5日家に帰ることに・・・

そうそう
人生無駄な事は本当にないな❗
と思うことの一つに

我が家のトイレに関する事があってね

家のトイレ
ずっと無駄に広いと思っていたのです

どれくらい広いかと言うと
息子の友達が酔っぱらって
横になって寝られるくらい(笑)

夫は
最後の最後までトイレでようをたしていました
ポータブルトイレも、勿論紙パンツも断固拒否
(倒れてからは、はかされましたが中にはしませんでした)

倒れてからは
病室のトイレはドアが狭くて車椅子がはいらなかったので

わざわざ部屋をでて
身障者用のトイレに連れていってもらっていたのです

我が家のトイレはドアも引き戸にしていたので
車椅子で連れていくのもスムーズにでき

広いトイレは
夫の為だったんだなぁ~とつくづく思いました

そう言えば
家を建てるとき
間取りや内装については何一つ言わなかった夫でしたが

唯一
トイレにウォシュレットをつけて欲しいと・・・
(家を建てるまではずっと和式の汲み取り(笑))

余談でしたね


ゴールデンウィーク
3日
福祉タクシーにて車椅子のまま乗り
帰宅
途中酸素濃度が下がっていたようで
少し呼吸がくるしかったらしいですが

久しぶりの家に帰り
本当に嬉しそうでした

笑顔もみられ
体調もよさそうでした

食べること我慢して
帰りたかった家に
連れて帰ってあげられて
本当に良かったと思いました

だけど
帰ることが出来てホッとしたのかな

翌日4日は
体は冷たいのに
熱が出たり
少ししんどそうでした

急遽夜
訪問看護の方がきてくださり
痰が出やすくなるマッサージをしてくださいました
(入院中、そんなマッサージしてもらったことも教えてもらったこともなかったです)

その日の夜中は子ども達3人が
ローテーションを組んで
介護してくれました

それを知ってか知らずか
夜中にいつになくなん十回もトイレに行きたいと
言ったようです

子ども達に面倒をみてもらいたかったのかな?
と思えてなりません・・・


5日  病院に帰る日

朝から
親友がのぞいてくれて
冷たい足をずっと撫でてくれていました

往診に来てくださった先生が
「昨日よりかなり脈が弱いです
病院に帰るのに福祉タクシーでは厳しいかもしれません・・・救急車でないと・・・」
と言われました

夫にそのことをつげ
「病院にいく?家にいる?」
の、選択をしてもらわなければなりませんでした

本当最後の最後まで人生は選択し続けなければならないのですよ

夫は病院に戻ると言いました

息子たちが仕事でそろぞれ帰れば
私一人で介護が無理なことは本人も
わかっていたのでしょう

救急車をよんでもらいました

が、隊員の方が
血圧を計ったり、脈をみたりしながら
「近くの病院なら大丈夫かも知れませんが、出雲までとなると途中で・・・と言う可能性もありますが・・・」
と言われました

まだ、意識はしっかりしている
夫の前で・・・

救急車で病院に向かうとして乗れるのは誰か一人・・・

万が一の事があったときのことを考えたら
・・・

「お父さん、病院帰らずにお家におろうか?」と聞きました

夫も
そうだな・・・って・・・

救急隊員さんに
すみません⤵
と私がお詫びをしていたら

夫も不自由な手✋をたてて
すみません  すみません
と謝っていました

いたたまれませんでした
自分の寿命は1時間ないのか・・・と思ったでしょうに、丁寧に謝ったりして・・・

それから
暫くしてから

「お母さん、お父さんが鼻の管を抜いた!」と言う声が・・・

みんな夫の回りにいたのですが

止める間もなく一気に
栄養を入れる為の鼻のチューブを自らの意志で抜いたのです

ずっとうっとしそうで
いつも気にして触っていたので

触ったら駄目だよ~
栄養がとれなくなるよ~
と言っていたチューブ

夫は覚悟を決めたんだ と思いました

それから数時間後
少しずつ
呼吸が弱っていき

朝から連絡していたけれど
なかなか連絡がつかなかった
会社立ち上げ時から働いてくれていた
従業員さんが駆けつけてくれるのを
待って・・・

家族皆に見守られて
静かに息を引き取りました

孫達が
大声で
じぃじ~と叫んでくれましたが
かえってはきませんでした

享年62歳

1年という余命宣告を受けてから11ヶ月

眠ることが怖くて眠れなかったので
やっとゆっくり眠れていることでしょう

晩年
子ども達が巣だってからは
あまり話をすることもなかったけれど

皮肉なものですね
癌になってから
何年かぶんの話をしたように思います

私は甘えることが苦手な人なので
お父さんに頼ることなく
ほとんどのことは自分でしていたので
可愛いげのない嫁だったかもしれないけれど(笑)

でも、お陰で今
困ることが少ないのですよ(笑)
だから
寂しい思いをすることも少なくてすんでいる気がします

私が一人で生きていけるよう
ちゃんと人生上手くいっているんだな
と思います

お父さん
出会ってくれて

33年間
ありがとう。。。

あ~すれば良かった
もっと出来たことがあったのでは?
などとも思うこと多々ありますが
夫の前で
「普通」
に過ごせた自分はなかなか強かったと
自分で自分を誉めたいと思います

母が亡くなってからの第3の人生
夫が亡くなり岐路にきたようです

さてさて
私の人生どうなるのでしょうね・・・

どんな選択をして進んでいくのでしょう

続きは次回・・・