母卒業宣言します
母親からの卒業宣言は、わたしが母的な立場をしてしまうことへの卒業宣言です!
わたしは、子どももいないのに、ずっと母をしてきました
幼いころ、4才くらいのことです
母は自分のしたいことを子どもを脇に置いてやる面や、他人の感性を受け入れない面があり、わたしは幼いのに母の未熟さに呆れ、母としてダメだとレッテルを貼りました
わたしは、自分の母を母として失格だと決めたのでした
母は母の人生を悩みながら迷いながらも、自分のしたいことをし続け、今も毎日を楽しんでいる、可愛い魅力的な女性です
わたしが大事にしていることで拒否されるものもありますが、話好きなのでいろんな話をすることもできます
映画やアート、小説、そして心理学のことも。
母の体験は、今のわたし自身に良い影響を与えてくれています
しかし、幼いわたしが求める母ではなかったのでした
わたしを、まるっと愛でくるんで安心させてくれるははではなかったから。
「この母ではダメだ」
それは、突然天啓のように幼いわたしの中に閃いたことでした
幼稚園で将来の夢を発表することってありますよね
わたしの発表は「子どもに寄り添ったお母さんになる」でした
すごくすごく自分を理解してくれる母を切望してたのですね
わたしは20代半ばくらいまで、誰も私をわかってくれないと思って生きていました。
それは、母がわたしをわかってくれなかったから。
当時のわたしのことを思うと切なくて泣きたくなります
その時から、わたしは母に母を求めることを諦めました
それは、結果的に子ども時代のわたしの心を守る役に立っていたと思います
母は、わたしの感動したいるものを理解せず、そしてわたしも何に感動しているのかを伝えることが下手だったからです
この決定は、幼ないわたしにとって強烈なインスピレーションだったのですが
そんなことがあったことをすっかり忘れていました
わたしは男女問わず
「母」を求める人に慕われやすい
「母」的な立場になりやすい
という傾向があります
わたしの傾向を「なぜそうなるの?」と、とある方に問われて
はじめて、ずっと母の代わりに自分で自分の「母」をしてきたことを思い出したのでした
自分で母をしてしまうと、自分の子ども時代を失います
子ども時代のわたしは感情を殺して生きていました。
感情を出してもわかってもらえないと、諦めていたからです
わたしは、思春期を過ぎたころから母に感情をぶつけることを何度も繰り返しながら、母に親であることを求め、自分も子どもであることを取り戻してきました。
一度でできたわけではありません。
20年以上をかけて、何度も何度もその時々に浮上してくる問題とともに感情をあらわにし、甘えられなかった子ども時代を取り戻すように、恥ずかしいくらいに泣きじゃくりながら、時には癇癪を起こすように、子どものようなことを伝えてきました。
その度に、出てくる言葉はいつもすごくシンプルな心の声です
「ずっと我慢していたの」
「ずっとがんばってたの」
「ずっと寂しかったの」
「ずっと甘えたかったの」
「抱きしめらたかったの」
「愛してるって言ってほしいの」
「愛してるの」
子ども時代に閉じ込めた言葉たちを大人になってやっと言えました
わたしの本質は「少女」です
子どもの頃のわたしは、わたしの「少女性」を封じていました
「母」で居ようとしていたからです
「母」を卒業することは、自分の中の「母」を出すのをやめることではありません
もう自分の中にしっかり入っているのでいつでも自由に「母」を使うことができます
そして「少女」のわたしを解放して
純粋に、わたしとして生きることを決めた宣言です
わたしは、わたしの少女が楽しみたいことをもっと心を自由にして楽しみます
あなたも、あなたが本当にはどう生きたいのか
教えてください
LOVEEROS∞えるぅか
えるぅか