第二次世界大戦の時に武蔵野市に初めて空襲のあった日にちなんで
この日を平和の日としたそうです。
私の父は戦時中、武蔵野市にある中島飛行機工場でゼロ戦のエンジンを作る旋盤工
として働いていました。まだ少年の頃、終戦まで働いていたのです。4万人ほどが全国から集められ
寮に暮らしながら働いていたのです。その時に何度も空襲に会い、奇跡的に一命を取り留めました。
親友は亡くなりました。その時の話をさせていただきました。
本を出版して下さいました。今本の題名を調べようと
書棚を見ましたが、見つかりません。近々題名を
書きます。「武蔵野の空襲」だったかな?申し訳ありません。
また会の実行委員の一人に元劇団員がいるんです。
もう二児の母。お子さんの一人が長崎に研修に行ってきたそうです。
この写真は、その後、神田駿河台の明治大学の
リバティータワーの一室でジャーナリストの土井敏邦さんが監督したパレスチナ
のドキュメンタリー映画を上映する会があったのですが、上映前に、ガザ攻撃がいかに理不尽なものか、話している写真です。
土井さんは今イスラエルにいてそこからガザに入ろうとしていますが許可がおりないんです。
真実を撮影し、真実を語ろうとするジャーナリストが入国できないのはあまりに残念すぎますね。
罪のない子供たちが突然空爆され殺されるのは許し難いです。
24日、第二次世界大戦の空襲と、今、現在の空襲。偶然に講演を依頼されました。
人が人を殺すのに正義などはありません。
二年前、パレスチナ人の医師と栄養士の方が大変な思いをして日本に来られた時、私の誘いに答えて下さり、私の家に来てくれましたが、お二人とも本当に良い方
で、栄養士の方はパレスチナから日本に持ってきて下さったぶどうの葉っぱで料理を作って下さり、
医師は即興で詩を朗読して下さいました。
「何か私たちにできることはありませんか?」と尋ねましたら、
「忘れないでほしい。私たちのことを。私たちが今どんな暮らしをしてどんな状況にあるのか?
このことを伝えてほしい。」とおっしゃいました。
昨年原発事故の後福島に行った時、福島の方たちが私におっしゃったことと同じ言葉でした。