5日は私の59歳の誕生日。母の京子は元日に84歳になりました。

二人の誕生日を祝うため、近所のプチフレーズからケーキを買って

お祝いしました。

コンサートの練習があるため5日には東京に戻らなくてはなりません。

あっという間の山形滞在でした。

やっぱり歌詞作りははかどりませんでした。

締め切りがあると胸にひっかかりができて、なかなかはしゃげませんね。

今度は締め切りがない時に山形に戻ってゆっくりしたいです。



正月4日の父。





父と母が数日食べられるように雑煮を作りました。

お餅をお湯で煮てお椀に入れ、この雑煮をかければ

出来上がりと言う訳です。

今日、悪戸の神保さんからいただいた悪戸芋と大根も入れ、

にんじん、ごぼう、鶏肉、きのこ、白滝、ねぎ、セリが入っています。

薄味の醤油味でだしを入れました。我ながら美味しかったです。



入院している叔父を見舞った後、


夜は山形新聞の記者さんと、山形西高の校長先生と新年会

でした。

山形新聞にはもう10年近く、毎月エッセーを書いています。

その担当の記者の方、前回と今回の担当の鈴木雅史さんと古関裕之さん、

そして3年くらい読書欄を担当している阿部和久さんが山形西高の校長なんです。

阿部先生は毎日朝6時40分から8時半まで学校の玄関に立ち続け、生徒を出迎えているそうです。

なかなかできないことですよね?えらいなあ・・・。

今年3月で定年だそうです。

昭和20年の空襲で山形西高の生徒5人、音楽教師一人が亡くなったそうです。

今日阿部先生にお聞きして初めて知りました。山形の高校生で空襲で亡くなったのは西高生だけなのだそうです。山形西高は私の母校です。





新年会のお店で出た、ドライアイスのかかった不思議なお寿司です。

蓋をあけると煙がフアーット出るのです。

驚きました。一瞬で年を取ったりはしなかったので良かったです。

山形新聞の報道部の記者の方たちと今の政治について色々と語り合いました。

震災の復興や、東京と地方の格差について、秘密保護法について、

そして、日本と山形の未来についてです。


実家に帰って両親とこたつに入りしばし歓談。

母が私の肩を揉んでくれました。

「コリコリ。コロコロ」と歌うように話しながら揉んでくれました。

凄く凝っていると言いたいようで、食器を洗った後の冷たい手で

揉んでくれて「冷たいべ?水いじったあとだから」とさらに揉んでくれました。

私は涙がこぼれてしまいました。


正月に来ても慌ただしく、全く親孝行もできずに申し訳ないと思いますが、それでも両親は

私が来るのを喜んで、こうして肩まで揉んでくれる。

なんとかそばにいて尽くしたいが、それもできない。

結局自分の仕事のことばかり考えているのです。

たまに帰った時には両親に尽くせば良いのにね。

後悔してます。でももう東京に帰らなければなりません。

父ちゃん、母ちゃんごめんなさい。