6月4日、岩手県盛岡市渋民村の姫神ホールで石川啄木生誕130年記念講演があり、

「私の啄木と賢治と光太郎」という題名で講演してきました。

前日は盛岡のホテルで朝の五時までドナルドキーンの「石川啄木」を面白く読み、

「一握の砂」を読み返していました。

この写真は渋民村の地元の食材だけで作るレストランでの昼食。

美味しかった!





地元の野菜といわな、大和豚。すべて新鮮で美味しい。

東京でもこういうお店が増えてくれると良いなあ。








森館長さんと。記念館の隣に移築された、啄木が教えていた小学校の前で。


啄木は渋民村を愛していて渋民村という名前がいくつかの短歌に「愛」の象徴のような形

出て来ますね。「石持て追われるごとく」と書かざるを得なかったのには、檀家に黙って山を売り、啄木を東京に連れ戻しに行った父の一偵の言動などもあり、複雑な心境だったと思います。


私は井上ひさしさんの戯曲「泣き虫生意気石川啄木」の中で母のカツを演じさせてもらい、啄木役の稲垣吾郎さんに負ぶって貰ったときに本当に別な意味で三歩歩めなかった、というエピソードを話して、大爆笑だった。本当はカツさんは華奢で小柄で啄木は年老いてさらな痩せた母を負ぶって涙したに違いない。

太った私がカツを演じて、客席は大爆笑だったが、良かったのだろうか・・・啄木に見せたかった。


金田一京助、土岐哀果この二人の啄木の親友がいなかったら、啄木は世に出ることはなかったかもしれない。宮沢賢治には高村光太郎と草野新平が。

友の才能を冷静に見つめ愛し、世に出す勇気を持つ友情が大きな力を持つ。

友人93人に今のお金にして1400万円も借金してほとんど踏み倒してしまった啄木。

しかし、友はみな彼を愛していた。人間的な魅力の強い人だったのだろう。