片隅に馬鹿を置く娯楽

片隅に馬鹿を置く娯楽

小雨の日も 風邪の日も

くだらない事を沢山集めて

熱を出したときには優しくし

お腹が空いていたら満たしてやり

泣いてる友達がいたら笑ってやり

馬鹿だねーと笑われたい

私はそんな人間になりたい

Amebaでブログを始めよう!
お肌の曲がり角の迂回に失敗し

夜はカシスオレンジから焼酎ロックに変わり

中2病を克服した(と思っている)私とはいえ


なんともセンチメンタルな気持ちになる瞬間がある。



『綺麗な夕焼けを見た時』


なんて格好いいことを言うつもりはない。
恥かしすぎる。


そもそもセンチメンタルとはなんぞや。

非常に繊細で気弱な美少女を連想させるその言葉は
ナルシスティックな思惑も感じさせる。

昔の恋人が結婚したり
思い出のアルバムを紐解いたり
夢に出てきたアイドルに思いを馳せたりしたとき
そんな瞬間がおとずれる。

つまり
決して成就できない想いを
ひっそり心に灯し
しんみりニヤニヤすることこそ
正しいセンチメンタル作法である。


それは時に
恍惚のリラックスタイムとなりうるので
私は好んでセンチメンタルを探す時がある。

現代のワーカホリックな人々にとって

リラックスは

いわば生命線であり

上質なそれのためなら

ボーナスを散財することすらいとわない。

リラックスした人生を送る事が
仕事の最終目標であるはずなのに

仕事を継続するためには
リラックスが必要とは
なんとも燃費が悪い。

リラックスは南国の岸辺や

高級ブティックや

足湯の中だけに存在するわけではない。

そういうリラックスは

仕事の報酬として消費すべきで

仕事の継続には
もっと安価なリラックスが理想的だ。

そう、それこそ

「センチメンタル・リラックス」

一人部屋でキャンドルでも灯し
ロックグラスを見つめながら
自伝でも書いてみよう。
あの頃の私は、若かったわ…ふふふ
と、
思う存分センチメンタルを堪能すれば
根拠のない自信に満ち溢れることができるはず。





くれぐれも書き上がった自伝を
他人に見せてはならない。

ナルシストとセンチメンタリストは
紙一重なのだ。