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混ぜるなキケン!

なかなか減らない荷物、それでも、少しずつ減っているはず。

時々鏡台の引き出しや扉を開けると、「こんなもの、そういえばあったわね」という代物を発見することが多いです。

すっかり忘れ去られていた化粧品類ですね。

 

最近発見したのは、ロールオンタイプのリップグロス。誰かからお土産でもらったものだと思う。見覚えはあるが、何年間もすっかり忘れていました。

さっそく使ってます。というより、減らすために必死で塗りたくっている。

幸いアレルギー反応は起きなかったので、ちょうどエアコンで乾燥しがちだから、この夏で使い果たしてしまおう。

 

それから、これもロールオンタイプの何か。たぶんローズオイルだと思うが確信は持てない。透明だしそれっぽい匂いもするので、そういうことにしてますが、使途がイマイチわからない。何でもいいやと思って、引っ掻き傷に塗布していたら、なぜかとてもキレイに治っていました。それ以来、日焼けで荒れた肌や切り傷などに塗ってます。なんとなく効果があるような。気持ちの問題でしょうね。これも早くなくなってほしい。たしか2本あったはず。目標は今年中に使い切ること。

 

他には、サラサラタイプの乳液(ちょっと高級なヤツ)が出てきた。

大昔に3本セットで買った物の最後の1本が大事に格納されていたようです。

開けてみて、品質は大丈夫そうだったので、使うことに。

でも、サラサラタイプの乳液って、使いにくいのよね。手にとってもダラーっと流れてこぼれてしまうし。それがいちいちイライラの元になる。どうしたものかとその辺を見渡してみたら、ちょうど良いのを見つけた。

残り少なくなって出が悪くなってきたプッシュタイプのボディークリーム。

プッシュタイプもチューブ入りのも、クリームって最後のほうが面倒くさいですよね。出ないし。でもまだ残っているし。

そこで、私は大胆にもまだクリームが残っているプッシュボトルに、例の高級サラサラ乳液をダダーっと流し込んで、混ぜてしまいました。

おかげで、クリームと乳液がいい感じに滑らかに混ざって、プッシュボトルからもスムーズに出てくるようになりました。一石二鳥です。

 

昔、何かのボトルで見た記憶が。

「混ぜるなキケン!」

たぶん、洗濯洗剤とかバスピカとかそういう化学系の洗剤だと思うが。

異なる種類の洗剤を混ぜると、下手すると化学反応を起こして、異臭が発生したり爆発したり、そういう危険がありますよ、ってことでしたよね。

 

過剰反応して、以前はシャンプーなんかでも、詰め替え式の場合は一度使い切って、ボトルをキレイに洗って乾かしてから、新しいシャンプーを詰め替えていたのですが、最近、それはとても面倒くさいし、無駄な労力だということに気づいた。それで、種類が違っていても、もう気にすることもなく、残り少なくなったら上からジャンジャン足しています。香りが混じって変なこともあるかもしれないが、もう気にしない。シャンプーが混ざったぐらいで、化学反応なんて起きやしないんだし。

そして、どんどんエスカレートして、今回の種類の違うボディークリームと乳液の混合液ですよ。

今風のリア充な言い方をすれば、「マリアージュ」ってことですかね。

ははは!

 

味を占めたので、どんどん「マリアージュ」させていこうと思います。

乳液はまだ半分サラサラ状態で残っているので、今度は、ベビーオイルと混ぜてみようかな。今は夏でオイル系はベタベタしてイヤなので、冬の始まりぐらいからだと乳液とオイルの混合剤は乾燥肌に良さそうじゃないですか?

うん、絶対やってみよう。

 

ボトルって邪魔ですよね。特にお徳用サイズの大きいボトルは。

見た目も悪いし。

その手の化粧品がとても目障りなので、どんどんミックスさせて小さく、小さく、ダウンサイジングさせています。

そうすれば、「減った」実感が湧くので。

 

書きながら、気が散ってまた鏡台周辺を眺めていたら、あった。やっつけなきゃいけないものがいくつか。

ヒアルロン酸入りのローション。

これ、ヒアルロン酸が良さそうで買ったは良いが、ふつうの化粧水と違ってちょっとベタベタするのが気に入らない。気に入らないから三日坊主で放置されていた。

こいつも乳液とミックスかな?

ちょうど乳液はパウダー入りだから、ヒアルロン酸ローションのベタベタを緩和してくれそうだ。

 

それから、夏専用の氷を作ってクールダウンするスプレーも出てきた。

これこそ、今シーズンで終わらせなければ。

 

他には、懐かしい「タイガーバーム」も出てきて、このところよく使ってます。

大昔に流行りましたよね、タイガーバーム。で、ついつい乗せられて買ったけど、2回ぐらい使ってそれきり。匂いは強いし、その割にはあまり効かないし。でもいつまでも家にあるのは気に入らないので、ムヒの代わりに痒み止めとして必要以上に塗りたくって、早期解決(早く終わらせること)に心掛けています。

 

あとは、あとは・・・

きっとまだたくさん出てくる、懐かしの残り物商品ばかり。

断捨離は、60代から始めると捨てるしか解決策がなくなるけれど、私の年齢からなら捨てる前に使い切ることがまだ可能。まだ間に合う。

今まで使っていなかったものだから、気を抜くとすぐにまた使わなくなって放置されてしまう。だから、意識的に使うようにしなければ。

おかげ様で、これまでスキンケアなんて面倒くさくてほとんどしていなかったけど、最近は消費することに精力的になっているので、残り物は減るわ、肌の状態は良くなるわで、これまた一石二鳥です。

 

早く大量の物がなくなって、モデルルームのような閑散とした部屋になってくれないかしら。

頑張ろう。

 

時として、本気で姥捨て山に捨ててきたくなる。

しばらく書いていない、というか、サイトすら開く気にもならなくて、もう随分たつかな?と思ったけど、まだ1ヶ月ちょっとしか経っていませんでした。

そんなものか。

そして、私の大嫌いな夏がまた来てしまった。

暑い。

暑くて極力外に出たくない。

3台ある車のうち2台は故障中。

もう1台も瀕死の状態。

こう暑いと、人間も車も死にそうになりますわ。

 

特に書くことがない、というより、書こうと思うことはたくさんあるけど、もう面倒くさくて。

 

最近、続けて受難したことと言えば、相変わらず年寄りに悩まされていること。

年寄りって、どうしてこうもワガママでマイペースで頑固で、しかも被害妄想というか、自分が弱者だと思っているのでしょうかね。

しかも、お金持っているくせに、かなりケチで、ことあるごとに「年金で生活しているから」を言い訳にする。

だからなんだって言うのよ?

年金もらえるだけでもありがたいと思いなさいよ。

私たちは確実にもらえなくなるんだから。

完全に払い損。

政府の詐欺行為に抗うこともできず、黙って指をくわえて搾取されるのを見ているしかできないのですからね、我々は。

だいたい、「年金で生活しているから」を言い訳にする人たちに遭遇するのは、決まって海外旅行の最中です。

海外旅行できるということは、お金がある証拠。

それなのに、現地でお金がかかる場面に遭遇すると、「年金で生活しているから」と言い出す。

だから何ですか?

年金で生活しているから、海外でもケチケチしたいというの?

だったら、一緒についてこないでちょうだい。

年寄りは年寄りどうし、老人パッケージツアーで寄り合いでもしていてくれればいいのです。

お金に対する感覚が違いすぎるので(それだけじゃないが)、年寄りと一緒に行動するのはやっぱり無理だ、と認識した。

どうしても一緒に行動しなければいけない場合は、こちらに負担がかかりすぎるので、その分「世話代」をもらわないとやってられない。

でも、そういう年寄りはケチだから、絶対にお金なんて払わない。

したがって、やはり、年寄りと一緒に行動することは不可能、というわけだ。

 

なんでこんなに年寄りが鬱陶しくなってしまったのかと、先日知人と話をしていました。

結論から言えば、「医学の進歩と共に、寿命が延びてしまったから」。

皮肉ですよね、医学の進歩なんて、素晴らしいことなのに。

原爆と同じで、素晴らしい発明が、自分たちの首を絞める結果を招いてしまうなんて。

 

私が知る限りの大昔は寿命が60歳前後ぐらいだったので、私の一方の祖母は56歳でガンで亡くなっている。

その後、少しずつ寿命が延びたものの、20年前は75歳ぐらいだったと思う。

75歳だったら、まだボケる前だし、亡くなると「悲しい」「寂しい」「残念」など、故人を偲ぶ良い感情が沸き起こったものです。

しかし、現在寿命はどんどん延長中。

いつまでも死なない。

だいたい75歳を過ぎると、本格的にボケ始める。

ボケて手がかかる上に、ワガママで頑固、人の言うことはまったく聞かなくなる。もうそりゃ家族にとって、年寄りなんてお荷物以外何者でもないでしょう。

家庭内の問題だけならまだしも、他人への迷惑も甚だしい。

ボケてどうしようもないくせに、いつまでも車の免許を返上せず、子供を轢き殺すわ、他人の家に突っ込んで崩壊させるわ。

年金だって、いつまでも死なないもんだから政府の予定が狂ってしまい、年金資源が枯渇してしまい、私たちの世代からは年金が破綻する。紛れもない事実。

年を取ったら人格者になるのかと思いきや、公共の場ではワガママやりたい放題。電車に乗れば、我先に走って座席を占領しに行くし(杖ついていたはずなのに、そんな時は走っている!)、座席に座れば周囲の迷惑も顧みず、足は組むわ、座席に荷物を置くわ、混んでも席を詰めないわ。まるで悪い見本市(サンプル)そのもの。子供たちに悪影響しか与えない。

ろくなもんじゃない。

そして、二言目には「年金生活しているから」と「あなたもこの年齢になったらわかるわよ」。

何がわかると言うのか?

その年齢になれば、他人に迷惑をかけるのは老人の特権だということがわかるのか?

いやだ、いやだ。

それを正当化しているあたりが、本当にいやらしい。

 

誰かが言っていたな。

年金は終身ではなくて、期間を限定すれば良いと。

受給し始めてから10年とか15年とか。

それ以降は、泣いても喚いてもあげませんよ、ってね。

 

それから、医療についても、65歳以上は原則健康保険使えないようにすれば良いと思います。あるいは、高齢者の自己負担額を5割とか7割とかに引き上げれば良い。足りない分は、個人的な医療保険でまかなってもらう。

そうすれば、当然医者にかかれなくなる人は出てくるわけで、それは仕方ないと諦めてもらうしかないですよね。

だって、十分生きたでしょ?

それ以上長く生きれば、他人に迷惑かける存在でしかなくなってしまうのだし。

時々、90歳でガンの手術したとか聞くと、反吐が出そうになります。

90歳にもなって、まだ生に執着しているのか?

それとも、今の80歳以上はかなりの年金額をもらっているはずだから、家族としては、150歳ぐらいまで生きていてもらうのが得策だと思っているのか?つまり、生かせておけばお金はもらえる、という「金づる」。

 

とにかく日本は年寄りが多すぎる。

しかも、かわい気のない頑固でワガママで強欲な年寄りばかり。

もう、80歳になったら、年金ストップ、自動車免許は有無を言わさず強制撤収、医療費自己負担は100%にすべきですね。

 

昔はおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなると、みんなで悲しんだものですが、今は「やっと逝ってくれた」と安堵に胸をなでおろすのが常。

 

そろそろ「姥捨て山」解禁にしてみてはいかがでしょう?

 

まじで。

 

 

 

 

 

時間は日に日に減っていく

1ヶ月以上放置していたかと思えば、毎日書いてみたり。これじゃ、情緒不安定だと言われるわけだ。

昨日は、つまらないバカどものせいで自分のやりたいことも出来ず、せっかくの能力を発揮しないのは、時間の無駄だと書きました。
本当にそう思う。

ただでさえ自分に与えられた時間は、刻一刻と減少しているのです。
やりたいことだけやっていても、時間は足りないくらい。

自慢じゃないが、私はかなり器用で、ある程度までは何でもできてしまう。
できるもんだから、興味の対象が多すぎて困るのです。

音楽は聴くのも演奏するのも好き
絵画も鑑賞も自分で描くのも好き
スポーツはテニスもスキーもできる、苦手なのは床運動ぐらい
洋裁も得意
料理は好きじゃないが作ると上手い
日曜大工もやってしまう
読書が好き
映画も好き(伝記モノ、政治経済モノ、ドキュメンタリーなんかが特に好き)
勉強は語学なら喜んでやる、他も必要に応じてやる
旅行が好き
車が好き
あとは…

とにかく、好きな事が多すぎて、どれもそれなりにこなしてしまうから、どれかに絞り込めないのです。
絞り込めないから、どれも専門性に欠けて、残念ながら、ただの器用貧乏。

この歳になってわかったが、一芸に秀でている人は羨ましいな、と。
何でもできるより、何かひとつだけに絞れる方が、目標を立てやすく、その道のプロを目指して努力も集中させやすい。
何でもできると、努力する時間と労力が分散されてしまうから、全部やろうとすると時間がぜんぜん足りないのです。

若い頃、20歳そこそこの頃は、努力すれば自分は何でもできる、やり遂げられると思っていた。時間はいくらでもあると思っていたから。それで、ちょっとずつ手を付けては飽きてやめたり、まだいいやと先延ばしにしたりでした。
ところが、40歳を越え、人生を折り返すと、急にタイムリミットが気になり出し、何も極めていなかった自分に焦り始めたのです。しかし、今さら遅い。器用にできるからと、あれもこれも全部やろうとすると、絶対に時間が足りない事に気づいてしまった。こうなると、仕方ないから、いくつかを諦めて、いくつかに絞り込むしかない。残念だけど、諦めなければいけない状況に陥ってしまった。
まだ、何も極めていないのに…

他人のせいにするわけではないが、子供の頃から何でもできて優秀だったから、親が過大な期待を持ってしまったのでしょうね。何でもできるから、とにかくどんな分野にも手を拡げてみよう、って。結局、親が欲張っていた。
これが例えば、音楽はすごくできるのに勉強はイマイチだとか、スポーツは抜群なのに他はさっぱりだとかだと、親も子供を導きやすい。欲張らずに、音楽なら音楽、スポーツならスポーツだけを伸ばしてあげればいいのだから。
そしてそんな子供が一芸をどんどん伸ばした結果、立派なプロになっているのです。
かたや何でもできる神童は何にも専門性のない平凡な大人になり、かたや勉強は出来なかったがスポーツや音楽など一芸に秀でた子供はプロ選手になったり有名な演奏家になって世界に羽ばたいている。
子供の頃は自分の方が優秀でいつも先生に褒められていただけに、まさかの展開です。悲しくなりますよ。
そして、残された時間はわずかしかなく、無念のまま中途半端に人生を終えなければならない。
こんな事なら、あれもこれも手を出さずに、何かに絞り込んでおけば良かった。
何で、もっと早くに教えてくれなかったのか。何で誰も教えてくれなかったのか!
偏差値の高い高校、大学に入ることだけが価値あることだという、歪んだ教育方針と価値観のせいですね。

そういうわけで、今さら何かを極めて専門家になるのは難しいので、せめて好きな事をもっと深く自分が納得いくところまで追求したい。
そのためには、今さらだが、興味の対象を絞り込んで、諦めるものはこの際きっぱり諦める。
そして、厳選した対象に大事な時間を費やす、人生に残された時間を費やすのです。

40歳を過ぎた人の残された時間は日に日に減っていきます。目に見えて減っていきます。
だから、田舎のアホどものせいで自分を抑えて我慢しているヒマはどこにもないのです。
バカどもに関わっているヒマはないのです。

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