語るゼ。

芸樹の作品は、僕の感情をある角度からなぶってくれるおかげで、自分の立ち位置、僕の感情の一つのパターンを知るよいきっかけになると思う。

芸術の作品、それはどこにあるだろう?
芸術作品は、あらゆる額縁やケース、段ボールをぶっとばし、『お手を触れないでください』や『これ以上近づかないでください』のボードをぶっ壊しながら、美術館を粉砕して街中に飛び散る、いまや気化した芸術の空気は、街や家や部屋や小箱の中にまで、偏在する。

目に触れぬ、なんということは決してない、眼球の裏側にもそれを発見することはできる、日光のしたまぶたを閉じる、閉じた上と下のまぶたの境目が、うっすらと光のラインを描いてるのを見たことがあるか?

それはど田舎の星空を突っ切る天の川
のごとくに、白昼どうどうとまぶたの裏側に息を潜めている。
それを僕たちは1秒で発見することができる。

類推の頭が、一つ一つの物事を一つ一つの抽象的な記号に置き換えて、脳内をシナプス虫という名前の生物になって走り回る、シナプス虫は似たり寄ったりのものたちが頭の中で勝手に連合したり喧嘩したりする。

天の川シナプス虫は、まぶたの裏の上まぶたと下まぶたの境目シナプス虫と出会う。

これが芸術だ!感動はあるが、なんの意味もない!
けども、ほんの少しの逸脱する勇気をふるいたたすことで、こんなことだって文章にしてしまえる。

自由とはある側面では、やっぱり無責任と同義だ、殺人、姦淫、泥棒、果ては綱渡りにゴビ砂漠横断の自殺行。
人はその精神によって自分の肉体を自在にできる自由を持つ。
それは自分の肉体に対する無責任そのものだと思う。

けれども、僕は東北のボランティアや現実に存在する多くの人物たちとの関係に合掌して、自他の存在を分かち合う、自他の感情を分かち合う、実践の中で。

無責任なる自分の自由よりも、つながりを感覚の裏側で認識できるような「心」というものがずっと気になっていた。

俺は自由だ!そんなことはもうわかってる、つながりを無視した発言や行動、芸術は、寄る辺のない孤独感を僕に感じさせる。

よし、命を自由に使えるということは、インドで簡単に生きそのノリで簡単に死んでいき、そして犬に喰われるインド人とインド人の死体が教えてくれた。

けども、その反面で、、
彼らのこの地球との、人生との、宗教との一体感にきっと日本人は妬みを感じるはずだ。

川から産まれて川へと死んでいく彼らは、始まる前と終わった後を乳の川へと接続することで。人生の焦りと恐怖からすっぽりと解脱する術を知っているような、確信を眼に輝かせているのを僕は感じた。

俺は、自分のことばかり考えすぎて自分のことばかり発言しすぎて、自分を地球から放り出して宇宙の闇にまで送りこんでしまった気分になる、確かにこれが自由。

先を行く、沢庵禅師が、こう言うのを聴いた「たしかに、片方の手にその宇宙での彷徨の感覚を掴み続けろ、でももう一方の手を見ろ、空っぽだ、もう一方の手を満たせ」

木が羨ましくて、同時にかわいそうだった!根を張ることで、大空に広がる枝葉に強さを見た!けども、彼はアメリカに行けない。

僕はアメリカに行った、(行っただけだ)根を張りたい。

根?

木に尋ねる、俺の根はどこに生やせばいいのか?はやす土はどこにある?
僕の身体が応える。
それはお腹の中にあった。

僕はその時にはじめて「心」を感じたんだ。

このお腹の空っぽな部分から、行動を起こせばいいんだな。

「心が豊かな人になりたい」

それが僕のスローガンになった、心を定義付けることを、徹底的に僕は避ける、けれども、心のヒントになるような行動は全て行っていく。

心を通わせる、心待ちする、心を入れ替える、心配する、中心を目指す、心遣い、心尽くし。

心を真ん中に、仮設して、僕はその円周のあらゆる角度から、それを模索し、掘り下げる。

そのカタチは台風に似ていた。
昔僕は歓喜した、ニュースで台風を見ていた時だ、丹田呼吸というものに集中し、自分の中心からパンチを繰り出すといくことをしたくて、悩んでいた時だ!

ニュースで見た台風は、真ん中から広がるような、また真ん中を目指すようなパワーで、すごい影響力を持っていた。

その核心となる部分つまり「台風の目」がないんだ!空っぽなんだ!

そうか!

真ん中なんてない!けども、真ん中へ向かう運動はあるんだ!

僕にとっての心はこれとまったく等しい、それは存在が闇に浮かぶ光の量に比例して色濃く存在するのとは、まったく反対の方程式をもった存在だ。

つまり、マイナス。
ブラックホール、台風の目、暗黒物質に、反物質、無、全て引き算によって存在するものだ。

こないだ僕は、昔の日本画家の展示を見た、その月の存在感はすさまじかった。けれど、よく見るとそれは、描かれていなかった!

よく見ると、月の周りに陰影をつけるだけで、月に月は一切描かれていなかった!月のふちを描くことで月が産まれていた!

昔の日本人の持つ心は、こんな感じの仏教的な「無」の使用方法にあると思う。

線とは、命を模写するものではなく、線と色によって命を浮かび上がらせる、それは存在に対するあまりにも慎ましい尊重の念を感じさせる。

この不思議な世界の中で、このテレビやゲームや本や宗教や機械やルールだらけな世の中で生きるこの身体に、心があると仮定すること。

心を、このグローバルに圧縮して全世界に散りばめられた心の断片を、少しずつ取り戻していくという作業に身を捧げること

一番近いものに向き合うこと。
芸術なんて名のつくものを全て黙らせて、カロリーの全てを生活に注ぎ込むこと。

これ以上なんてきっとないんだ、自分のカロリーを会社の求める、意味のわからない商品や形骸化した過去の概念を守るために燃やすべきではない。

「繰り返しを拒み、毎日の発想に全人生をかけて挑み続けること」

これは僕が尊敬する、綱渡り師のことばだ。

僕はこれからの人生を全てかけて、この腹の内側に「心」というものを動的に編成していく。

心それは一つの引力で、あらゆる言動や挑戦を巻き込んで僕を構成するものだ。



iPhoneからの投稿




9月13日。
台風12号が奈良和歌山を強烈にひっかいてから10日が過ぎた。

僕は5日の日に十津川の知り合いに電話も通じず、ニュースで不安になる報道を見ているよりはと思って、原チャリの「ゲンちゃん」にまたがって十津川に向かうも、どの道も完全に土砂にうもれていて一度諦めた。

一週間連続の宿直で、疲れもたまったので、漫画喫茶で3時間パックを楽しんで笠置の川岸で星空の下で野宿しようと、野宿道具一式をもって笠置手前の漫画喫茶に入っていた時。

一通のメールが、東北で協力して活動してた和歌山出身の人から来る。
内容は、和歌山のほうもやはり被害が大きく、まさか東北で見た景色にこんなにも近くで出会うことになるとは思わなかったということと、他の東北に入っていた人たちも、僕の知っているだけでも3人もさっそく和歌山で活動しはじめているという。

僕は、目の前のマンガに集中できなくなってしまって、決めることにした、決めるしかないじゃないか、だってなんと言おうがあさってまで僕には時間がある。それを無視できない。

決めたら後は楽だ、やるべきことなんてほとんどない。僕は先払いの3時間パックを2時間20分も残して、店を出て、ゲンちゃんに新しいエンジンオイルを買って入れてあげ、家に帰ってメシを食って一生懸命に昼寝することにした。


0時、最近お気に入りの足袋を履いて(山歩きに足袋は最高のアイテムだ!)軍手ワンセットだけリュックにつっこむ、ショベルはでかくて入らないので諦める。
タイヤがツルツルなってしまってて、バッテリーも死んでる、ゲンちゃんに頼むでぇ!ってキスしてから、またがってGO。

目指すのは和歌山県那智勝浦260キロ。
けども、目指すのはあくまでも災害地だ、つまりその手前で手伝えることがあれば手伝うつもりで出発。

相変わらず通行止めが各地で続いているらしく、調べるのがどうもめんどくさい。168号線は前回の突入で心折られた、本線は土砂でアウト、できたての迂回路も後日アウトになったらしい。

そこで169号線に向かう、無理なら違うところから攻めればいいや。

桜井から169号線へ出て後は真っ直ぐに進む、川上村の方に入ると、驚かされる、報道では十津川の方がクローズアップされているけれど、やっぱり川上村の方でも被害は大きい。

道から見える山のほとんどがどこかに土砂崩れが起こっていて川は全てミルクティー色だ。
169でも途中大規模な土砂崩れで迂回を余儀なくされる、夜分に工事用のスポットライトを当てて照らされる土砂が満月の下にあって、なんとも妖艶な雰囲気をただよわせていた。
photo:01



道への祈りが通じたのか、169号で満足なところまで入り込むことができて、途中309号へと乗り換えて海側の尾鷲方面を目指す。

昨日までの宿直での寝不足がたまったのか、途中で居眠り運転をしてしまうほど眠くなったので、途中のバス停小屋でうずくまって30分寝る

スッキリ目覚めて、ようやくテレビでもよく報道されている熊野市に出るともう朝、時間があっという間に流れていく。

熊野市に入るなり、山の奥の方に民家が見える、なにか異様な雰囲気を嗅ぎ取って、国道から外れてそちらへ向かう。五郷というところ。
photo:02


林に隠れているその集落の真ん中を大又川という川が流れていて、そこを中心に瓦礫が山のように民家や畑道路に橋に散乱していた。
photo:03



これだ、僕が一番ショックを受ける光景は、山奥の人目のつかないところでつつましく生きる人々の生活が無造作に残酷に破壊されつくしている。大切に使われていたであろう耕運機がひっくり返り、大切に育てられていたであろう畑が枯れ果て。
石垣が破壊され、代々引き継がれてきたはずの墓地がグシャグシャになって、墓石があたりに散らばっている。
photo:04



もうすぐ収穫であったはずの、重い穂を実らせた稲は全て倒れ伏していて、田のど真ん中に、コンクリートの塊が突き刺さっている
photo:05



早朝6時なのに、村の人たちはもう外に出て一生懸命に片付けている、ほとんどが高齢者だ。
一番奥の方へゲンちゃんを走らせて、一番奥の家で作業しているおじいちゃんに「おじいちゃん、俺もなんか手伝わしてっ」て言うてすんなり入り込んで土砂すくいを手伝う。
photo:06



一緒になって汗だくで頑張れば、少なくとも、野次馬ではなくなる気がして、どこか安心できる部分がある。

僕はどこの所属でなんちゃら、と説明するよりはひたむきな労働が一番信頼を得ることができると思って一生懸命になってする。

数時間もすれば、もうどこか気の知れた仲になれる。
じーちゃんは、昔、膝の靭帯を切ったまんま1年野良仕事に林業をして、医者に行くと半月板が無くなってもうてたというくらい、強い人だ。
photo:07

photo:08



五郷の集落には、自衛隊や行政の重機はまるで入っていないのに関わらず。
土建屋が多いのもあってか、自前の重機で道路を開けたりと、台風翌日からもうとりかかっているらしい。

彼らには行政を待つということがない、自分でやるしかないってことを、もう今までの歴史の中で嫌っちゅうぐらい学んでいるんだと思った。

これが村の人たちの強さだ。
東北での活動ではその点がすごく解った、本当の意味での街の不合理がこういう時に明るみに出るんだと思う。
隣近所とのコミュニケーション、結束力、依存しない自立心、だから村の人たちは物質的にも精神的にもほんとうに豊かなんだと思う。

いくら「おじいちゃん足悪いねんし休んどき」って言っても絶対に止まらないそれが心から嬉しくてもう止めずに一緒に汗をかいた。

最後には逆に、パンとお茶を振舞ってもらい、おじいちゃんと休んだ。
そんで再び出発することにする、連絡先もしっかり聞いて、絶対また来ると心に刻みこんで。

熊野の市街地もやはりひどかった、東北の大街道の通りを思い出す、土ほこりにまみれた街に泥だらけの家々、家の外にずらっと並ぶガレキ。。
photo:09

photo:10

photo:11

photo:12



けれど、全ての家で作業が着実に進んでいるのがわかる。
ガレキの集積場に仮に指定された公園や空き地にガレキが山になっていることからも災害の後の住民による作業と自衛隊行政の対応がいち早く行われていたんだと思った。

きっと、東北と比べると、死傷者があまりいなかったことや放射能やその他の多すぎる不安が、それほどない分。
住民たちには、さっそく「復興」の意識が湧いてきたんだと思う。

ボランティアセンターも各地に用意され、張り紙なども街に貼られているので、いきなり来た志願者もすんなり受け入れてもらえるようになってる。

そのまま様子を見ながら、新宮を超えて那智勝浦へ
新宮の熊野川周辺は一番被害が多かったんじゃあないかな、けれどその分自衛隊やボランティアの車でその周辺が渋滞していた、それほど、重点的にみなが対応してるってことだと思う

那智勝浦の方も人は多く、目につく作業している人などを手伝ったりしながら、福祉センターをボランティア受け入れ口にしているところに顔を出す

みな出払っていたので勝手に入って様子をうかがう、地図上に記された被災した家などを確認する。地図を見て思ったのは、津波被害の横一列の被災に比べて、川や支流付近の氾濫による被害と土砂崩れによる被害それに降雨による被害がであったりと、被災宅は一箇所に集まっていないのでとても把握しずらいようだ。

ある程度様々な物資も集まってきて、ボランティアの方からも配布しているようだった。(それとも炊き出しにするのかな?)

ひどく被災した街を色々と見て、正直思ったのは、僕が今本当に手伝いたいのは、山間部の集落の人たちだということ。

ニュースに名前が出ている街のところは、行政もボランティアも真っ先に集まって来る、個人で動く場合は、小回りの効くゲンちゃんを使って普通行きにくいところへ行った方がいいなぁ

昼過ぎ、僕は、以前失敗した十津川村のことを思い出し、まだ唯一試していない和歌山県側からの突入を試みようか考えた

といっても、翌日は仕事なので今晩中には帰らないといけないので、迷う、けど行くことにした。

168号線を通って向かう、けれどまたもや大規模な土砂崩れに出会う、あぁ、、と思ったらその横に、旧道のトンネルがあったのでそっちから通る、真っ暗なトンネルが1キロほど続いて、果てしなく続く山路をゆく。途中細かい陥没や土砂があるけれども、かわして行ける。
photo:13

photo:14


168で行けば、10分そこらの道を、迂回ルートで1時間半ほどかけて巨大な玉置山をてっぺんまで登って下る。
そしてようやく十津川村の役場につくことができた。

想像してたよりも、大丈夫そうだ、行くまでの道がやられているだけで、村の集落自体にぱっと見てわかるほどの被害は見当たらない、(もちろん場所によるけれど)ガソリンスタンドもオープンしていて、食品などを売ってる店もやっていた。

けど問題はその役場を中心に小枝のように別れた小道やその先の集落がどうなっているかということだ、なんといっても十津川村は日本で5番目に広い村なんだ。

僕が目指す知り合いの家族は、杉清(すぎせ)というとこに住んでいて、行ける道は一本しかない、会う人会う人に「あそこはまだあかんやろ」と言われる、けど、行ってみて土砂に本当に足を止められない限りは諦められない。

行ってみることにする。
道に入ってさっそく土砂に出会う、けども道が通っている、次に橋が落ちているけども迂回ルートが生きてる!
photo:16


また土砂また土砂と続くけれど、さっきできたかのように生々しく道ができている、期待がつのる、まさか、まさか。
走りながら祈りまくる!
お願いします!お願いします!
「みちまど」さん
「みちまど」さん
中をとおらせてください!
(「みちまど」は最近僕がいると思っている妖怪の名前で困難な道のりも気分で開けてくれたりする奴だ)

カーブ、土砂、道が連続する、15分ぐらいその連続が続く、カーブの終わりごとに斜面にあの家がないか見る。
photo:15


崩れてしまってるところが続き、今通り過ぎたところが家だったんじゃないかと不安になって振り返ってみたりもする。

そして、知っているところに出る、最後の橋が現れる、下には3倍にもなった濁流の川が流れている、、けれど、通れる!
photo:17



最後のカーブを曲がったところに、ポツンとあの家の屋根が見える!!窓は暗い、けど、外の小屋の屋根の上に飼っている「鹿殺し」のケンチャンがこっちに吠えてる!!

(彼は鎖を解けば山に走っていって鹿を食い殺して帰ってくる)

オー!胸が熱くなってケンチャンに近づく、けど吠えてるからちょっとビビる、でもよれば両足で胸を押さえつけられ激しく顔面をなめられる。
photo:18

よかった!あーよしよしってやってると、

暗い家からおっちゃんが!
3秒停止して、、

「あーーー!
けんちゃんどぉないしたのぉぉお!?」


感動の再会!家族全員無事だと解る!

下の畑に走っていく!
無事だ!絶壁の斜面に乗っかる家も!畑も!下のいもうとさんの家も、家の下の川はそこまで飲み込まなかった!

田んぼでおばあちゃんと、おばちゃん姉妹ともう一人のおじちゃんが作業してる。
走ってって驚かせる!みんな驚く!

あれぇ!!この子はこわいよぉ!
どぉないしてきたのぉ?

無口なおっちゃんもへっへっへって嬉しそう。

あぁよかったなぁ、本当によかった。
電気もなんもない中を10日近くも過ごしていたらしい。
冷蔵庫がダメになったので、魚や野菜は料理して全て乾燥させて食べていたらしい。

僕は疲れを隠しきれず、逆に心配ばかりかけてしまう、、
お茶やら、配給のアンパンで作ったおぜんざいなんかを食べさせてもらう。

いつものあったかい空気が流れてる、それに気づくたんびに。はーーよかったぁああって胸にせまる。時間がなくて手伝えないから、一生懸命聴いて、一生懸命元気にしゃべる!

おっちゃんもおばちゃんも、ほんとうに嬉しそうによくしゃべる。

最初の配給は、カレーパンが一人7個で消費期限が翌日で、隣のじいいちゃんの配給のパンと交換してもらおうとしたら、隣のおじーちゃんもカレーパン7個やって、二世帯で合わせてカレーパンが35個で食べるのが大変やったってことや。

救護ヘリが飛んでくるという噂を聞いて、はじめてのヘリを人目みようと集落のみんなが見に集まったことや。

雨がひどくなった時に山を登って避難しようと言うてるのに、めんどくさがりのおっちゃんは、「あんなところ二度と登りたくない」ってだだこねたことや

暗いロウソクの中暮らしていたので、暗い中、おっちゃんはおかあさんに隠れてお酒ばっかり飲んでたことなどを、満面の笑みでワクワクしながらしゃべってくれる。

みんなほんまに子供のように、危険な状況を楽しんでいて、もしもの時はしかたがないっていう空気だったらしい。

なによりも、落ち込ませてしまったのは、明日仕事やから今すぐにでも帰らないと行けないってこと。

何度も何度も、無理しぃなや、今晩はカギ開けとくから何時なっても気兼ねせんと戻ってきたらええんやで。と優しい言葉をかけてくれる。
photo:19

photo:20

photo:21



電話がつながらないので、帰った時の報告ができない、絶対大丈夫といっても不安を与えてしまってほんとうに申し訳ない。

さて!帰路につく!問題は168の奈良方面だ!みんな無理って言ってる。
けれど、和歌山方面でまた玉置山を超えて帰るのはとうてい不可能だ。

再び「みちまど」さんに祈りながら、168の奈良方面に帰ることにする。

はぁ!やっぱし大塔村、坂本(前回、奈良方面から来た時に止められたとこ)で通行止めに出会う!
しかも、5時半までは、迂回路でなんとか通れたらしい!

五條建設などに問い合わせてもらって上の人としゃべる、どう訴えてもダメだ、ガードマンにも訴える、時間制限の意味がわからない、いや、全ての言葉が意味わからない。

この人たちは論理で動いていない、Bボタンを押せばジャンプするマリオと同じ構造をしてるんだ。
だから向こうの言い分がまるで頭に入ってこない。どうせダメなんでしょう。

左にゲンちゃんを向ける、ガードマンが前に回って止めてくる、諦めて後ろを向く。。

からのUターンで!
二人のガードマンの間を通り超える!

いい人らやったから、一回止まって振り返って「上の人らに勝手に行ったっていうといて下さい」と言い残して去る。

よかったー

って思ったのもつかの間。
次は鉄のフェンス付きの通行止め!

同じ構造をしたガードマンロボが二人僕を止める。
なんかしゃべっとるけど聞こえない。

ゲンちゃんにうなだれる俺。
向こうから緊急車両が来る、「なんで緊急車両はええねん、、」うなだれて道を開ける、ゲートが開く。

ここでフルスロットル!

緊急車両とフェンスとガードマンロボの間にゲンちゃんをつっこませる。
「あかん!あかんてぇ!」
と怒鳴り声。
緊急車両も車をこっちによせてハサミ込もうとしてくる。ギリギリかわす!

はぁーー!!!やったったぁーー!

ぐしゃぐしゃの土砂の上を緊張感ゼロで走り渡っていく

あ、、、

再びフェンス付き、今度はガードマンロボ5人。

無線から「原付き一台行った!止めて!」と声があふれてる。
歯の抜けたおっちゃんが、切れてる。完全に切れてる。

でーっかいため息をついて、僕は歯向かう「危ないから通行止めやのに危ない道に戻れってどーゆーことやねん!」

ロボに論理。無理だ。
いよいよ諦めムード。がっちりガードマンロボは原付きにしがみついてる。

うなだれる、本当にうなだれる、疲れがドカンと肩にのしかかる。

後ろから救急車が来る、端っこによる。

フェンスが開く瞬間、そこに「みちまど」が見えた!
端っこから鋭角に切り込む。ガードマンの手が当たる、なんか色々当たる。頭をかがめて突っ切る。

「なにしとんじゃぁわれぇー!」

っと聞こえた声は、はるか後ろ。ふぅーーーー
両方のミラーがあさっての方向にひん曲がったのを、戻しながらゲンちゃんに謝る。「ごめんやでぇ」よしよし。

悪気はなかったんだ。
濁った胸の内をなでながら帰路につく。

今回のことで、本当にたくさんを学べた。

山に生きる人間の強さを。

人と人との間にある見えない糸のことを。

仕事という名前の化け物を。

0時に出て1時に家に着く。
18時間ぐらいゲンちゃんにまたがってたことになる、タイヤはまったくのツルツルになってた。ゲンちゃん本当にありがとう

あぁ報告のつもりが、物語りみたいになってしまって本当に申し訳ない

ここまで読んでくれた人にはほんま感謝。

えー要約すると。
被災地では、着々と片付けが進んでおります、山間部では行政の手はないものの自分たちでどんどん進んでいます。なので救援できることはほとんどないかもしれないけれど、手伝うことはいっくらでもあります。

ボランティアの受け入れも、現地で可能です、それに個人で動ける人なら、今なら好きに手伝えると思います。

けれど、なによりも心配なのは、山自身へのダメージです。
自然には本当に恐ろしい変化がおこっているのを感じました。

あれらは、きっともう僕らの世代の間に回復することはないと思う。

ダムが」嫌いな僕の目でみれば、土砂の多くはダムとその支流へと流れ、ダムに併設されてできた道をふさいでいます。

95件の家を沈めてできた猿谷ダムなぞは(十津川で95件というのはいかに広大な範囲を水没させたか!)。
ほとんど発電用のもので、治水用ではありません、水害の際には水を放流し、それ以外の時は水をほとんど発電に使ってしまうシロモノだそうで。地元の人にはダム自身からの見返りはほとんどない。お金はばらまかれたようだけど。

昔に十津川周辺は、街に電気を送られるための電源開発地帯に指定されて以来、発電用のダムが村を沈めて広がっていったのを想像するだけで、あぁ。と思う。

その辺の災害に比べて、不思議と大丈夫だったのが、山奥の孤立した集落。
道も最低限のものしかない、山の斜面に生える木々がしっかりと地面を掴んでいるせいか、集落への土砂はほとんど見かけなかった。
僕にはそれがなんか誇らしかった。

僕は一人よく走り回った、、
山の人たちに、山を諦めて欲しくないという想いが強かった。いい加減街の人間が目覚めて、協力していかなくてはダメだと思った。けど。

あの人たちは、まったく変わらずに、山から与えられたこの宿題を翌日からせっせとこなす、街の援助なんて夢にも思っていない。

なんて強い人たち

そんな強い人たちのお尻にくっついて、その一端を伝えながらも、その強さを自分のものにしていくことが、今の自分には大切だと考える。

道中美しい風景にもたくさん出会った、これらが守らること以上に大切なことなんて、ねえ
千枚田
photo:22

いかずちの滝
photo:23



おしまい

いや

つづく。

iPhoneからの投稿




台風12号が、奈良県南部、和歌山などの山間部を襲った、知り合いもいてる憧れの村、十津川村が完全孤立状態であるというのをニュースで知る。

気になっていたものの、どうしていいかわからず、それにニュースでも情報が不明瞭なので。

僕は、朝4時から奈良県南部の十津川村を目指して原チャにまたがった。

正直、前調べの段階であらゆる奈良県南部、和歌山県北部の山道が土砂崩れによって通行止めになっているのを知っていたので、目的のこうくんの知り合いで、僕も何度かお世話になっている十津川村の奥深くに位置する家族のところまでたどり着けるとは考えていなかったけども

仕事が今日だけ休みってのもあって、じっとしていられずに走って行った
photo:03



奈良県南部に位置する五條市の川は今だミルクティー色で、下流の方にもタイヤや流木が散乱していた。
photo:01



さらに奥168線ぞいに山に入っていく
いつも休憩場所に使う「星の広場」で通行止めに出会う。
photo:02



まだあきらめない、少し手前に戻って富貴というところを通って、大塔村を目指す(十津川村の手前の村)途中、細い林道のようなところを通って、かるい土砂崩れはたくさんあって、砂利を乗り越えてゆく
photo:04



なんとか、星の広場での通行止めの奥の方の道に出ることができて、そのまま168に戻って奥に進む。

大塔村までの道も途中、行政が整地したのであろう小規模な土砂崩れに多数出会うも、特に難なく、大塔村周辺にたどり着く。

一面に広がる熊野川は、増水のせいで、パンパンのダムのような姿をして、不気味な静寂の中にあらわれた。
photo:05



その張り詰めた静寂の具合が、東北の壊滅状態の女川町に訪れた時と似ていることを思い出す

無意識の中で歯をぐっとかみしめていて、後頭部にぴしぴしと緊張の電気が走るのを感じる。

土砂にうもれた歩行者用の橋
photo:06

、怒っているかのように水をほとばしらせる滝。

僕は、正直、ここに来た理由の中に利己的なものが存在するのを認める

山の中で山と共に暮らす人々、山を祈るように生きる人々の身に何が起こったのか?山は人々になにをしたのか?
なにを伝えようとしているのか?

十津川村の人々の慎ましい生き方、に魅了されていた、その人々と山の間になにが起こっているんだろう。

僕には愛がない、足りていない。
僕は人を心配するという能力が欠如している、「気になる」ぐらいで感情は停止してしまう。

どうしても、どうしても、十津川村の安否の確認の裏腹に、未知への好奇心が隠せない

心配している人の行動を真似れば、心配できるといった思い込みがこんなことをさせているのかもしれない

そんなことを考えてる場合じゃないのに、考えてしまう。

猿谷ダムに到着する。
あたり一面の材木、流木、生活道具などのゴミが浮かび、それでいて不気味に静かだ。放水を続けているものの、水位は相変わらず高い。
photo:07



そこから少し行ったところで、初めての大規模な土砂崩れに出会う、本格的な通行止めにひっかかる、それでも生きている道もあるらしく、まれに通る地元の人は通してもらったりしている。
photo:08



そのまま、僕も知り合いがいるのでといって、通してもらおうとしたら、役所の若い職員がどおしても通してくれない、「親戚の方だけだ」とがんとして譲らない、熱くなってしまいしまいに激しく口論をしてしまう。

土砂崩れでダメならわかる、けども、どうしてその手前で、人間関係で、、
どうしてもあきらめ切れない、ここで帰れば絶対に後悔する。

猿谷ダムまで戻って、頭を冷やすべく、昼寝をする

頭は再びややこしい、ここに来てこの災害時に、またしても人間に邪魔される。こちらの安全を考慮して、邪魔されるんだ、じゃあどうして親戚は?、、、
どうしても飲み込めない考えに頭を悩ませているうちにしばらく眠ってしまう。

目が覚めて、頭も冷めた。
間違ってるかもしれないけれど、要はこちらの覚悟なんだと思い。
離れたところから、アクセルをひねり上げて、前をまっすぐ見据えて関門と役所の職員を一切無視して突っ込む。

思いがけず、楽々と通り抜ける、あれほど邪魔だった障害がもう背景になってる。

そのままさらに奥に向かう。
本当に十津川の家族に会えるかもしれない、と期待が胸に広がる。

ほどなくして、大規模な土砂崩れに出会う、一つため息。
photo:09


対岸から同一方向に向かう、大木がひっくり返り、電信柱が木々に押し倒され、垂れ下がる電線をかわしながら、進む、道路が半分欠落している。
photo:10

photo:11


ど真ん中に巨大な穴。
その奥で再び土砂、進めない。

次に対岸の山道を通る、大木をかがんで進む、自衛隊の立ち入り禁止のコーン、そこにいた自衛隊のおっちゃんがすごく優しくて、「行けるかわからへんで?」といいながらも通してくれる

電線をまたいだ際に、原付きの底になにかが引っかかる、原付きから、チューペットの先のような部分が転がって出てくる、エンジンオイルが垂れ流される、あせってチューペットの先をもう一度くっつける。よし

急勾配な山を登る、どの道も行き止まりで、一本、山の頂上へと向かう道を発見する、頂上に、神々しく輝く鳥居が見えてる、そこに天空にぽっかりと突き出た頂上に忘れ去られたような神社と出会う。
photo:12



嵐の被害で、激しくいたんで、杉の木などが散乱している、近隣の住民たちは誰一人いない

後ろに続く道はない、神社から、谷を見下ろす、山が半分ほども、欠落した土砂崩れが、前方に三つぐらいはみて取れる、その第一番目のところで、自衛隊と行政は行き詰まっていて突破しようとこころみている。
photo:13

photo:14



ここは、大塔村、坂本。
十津川村の手前25キロ地点、ここから山は厳しくなる、それに前に見える渓谷を見ると、奥に行くほど大規模の土砂崩れが起こっているのは必定だ。

スパンと集中の糸が切れるのを感じた。
天空に忘れ去られた神社から、呆然と渓谷を眺める。
十津川の家族が目に浮かぶ、十津川村の人々はどうなっているんだろう。
山で何が起こっているんだろう。
地球で何が起こっているんだろう。

道が通るには、一ヶ月ほどもかかるかもしれないと現場の人が言っていた。
もし無事なら、救助はなんとか自衛隊がしてくれる可能性は高い。けども、ここでの生活は、どうなっていくんだろう。

120年ほど前にも、十津川村は水害に襲われたことがあるらしい、そして十津川村に住む半数の人々が、なんと北海道にまで流れ入植し、「新十津川」としてやってきているそうだ。

大塔村の被害も多く、山の中腹で出会ったおばあちゃん二人と話た、片方のおばあちゃんがやっていた床屋と、介護施設が完全に土砂にうもれてしまったらしい。

なんとも、やり切れない思いがする

僕はあくまでも部外者で、さらに野次馬かもしれない。僕が何を考えれる?
東北とはまた違う、感覚に悩まされる。

精神的すぎる話だけれど、その忘れられた神社で、手を合わせている時に、明らかにたくさんの何がしかを感じた。

空っぽの神社の、すたれた境内の閉じた扉に向かって胸の中で毒ずいた。

その扉から出てきて、なんとかしてよ!

そう思ったあたりで、空気の密度が変わったようにそう感じた。それを今でも皮膚で覚えてる。でも理解はできていない

境内には、新しく替えたばかりの「サカキ」が置かれていて、その他、留守の各家の墓地の花も、新しいものばかりだった。

お寺の鐘はきれいに磨かれていて、お地蔵さんのおそなえものは新しかった

けども、その内容たりえる人々が一切消えていた、崩れた山と、ミルクティーの溜まったダムがそこにあるだけだ。

下に見下ろす道路には、カメラをかかげた部外者たちや、特殊な格好をした人たちがせわしく動いている。

でも後ろの境内の狛犬は相変わらず、空に向かって吠えていて。。。

むしょうに疲れてしまって、なんとか168から、24号線まで戻った。
途中、水がチョロチョロと出る岩場で、足の不自由なおばあさんが、水をペットボトルにくんでくれて、飲んだ、雨の後の味がする水だけど、少し癒された。

なんとか、帰ってきたけども、むしょうに疲れてしまったような気がする。
会えなかったというのもあるけれど、

何か、たくさんの山やお地蔵さんや神社や杉の木やダムや、そこに飛ぶトンボや、、行き交う人々の多すぎる感情に当てられたような気がして、、
そういう疲れだ。


「奈良」でこういうことが起こっているということを知っているだろうか?

同県で、大規模な自然災害や、知りもしなかった差別や深すぎる森や、強引なダムの深刻すぎる問題が、ほんとうにたくさんひしめいている。

言うのも恥ずかしいけれど、僕は学園前出身だ。

泥まみれの長靴で学園前まで帰ってくると、駅前にはベンツやBMWが止まっていて、みんな笑ってた。

僕は今回の土砂災害は、人災だと思ってる。
言うなれば、学園前と十津川の温度差が生み出した災害だ。

学園前を涼しくするためのエアコンの室外機が、直接十津川村に向けられていて、学園前の水道の水を、猿谷のダムに貯める。学園前には悪いけど僕のイメージはそんな感じだ。加えるけど、もちろん僕だって学園前が好きだ(大渕公園がなくならない限りは)

金持ちは言う、「生活の向上を」けども、その生活は何の上に立つのか、理解せずに、お金や権利で解決しようとしているうちは、自然のバランスは崩れ続けると思う。

俺たちだって、地球という同じ合理性を持った土の上に生える木々のはずだ。

人が狂ってるから、山が狂う。
そうとしか思えない。

なんとか今日をまとめればそんな感じだ。神社で感じた皮膚感覚を忘れずに明日からも生きよう。

十津川の人たちのことはしっかりと心の糸で結びつけておかなくてはいけないと思った。もちろん大塔村も。以上


iPhoneからの投稿