皆さん、こんにちは。
2月も三分の一が経過しました。
前回のブログにて、MLWのテキサス大会(1月11日)の事を書きました。
その後にあった試合は、1月19日の千葉県佐倉大会と、1月31日の後楽園大会でした。
佐倉大会は、永田さんが手掛けた興行。千葉県出身の永田さんがプロモーターとして活躍していて、東金大会と並ぶ素晴らしい大会です。
この日の私は、テンコジvs内藤&ヒロムといったカードで試合しました。
その時の模様は、新日本プロレスのスマホサイトに詳しく書いているので割愛しますが、今現在の新日本プロレスのトップに位置するチームとの対戦は、私にとって大きな刺激となりました。
内藤&ヒロムの凄いところは、プロレスラーとしての総合力に長けているところ。
各々のルックスや動きはもちろん最上級だけど、タッグチームならではの連携とかも完璧。
兎にも角にも、現在進行形のトップグループに位置するチームとして君臨しているんだなと、試合を通じて痛感した次第です。
試合結果も、私がヒロムにフォール負け。悲しいかな、タッグチームとしての総合力の違いをまざまざと見せつけられた格好でした。
そして31日。
この日は、ジャイアント馬場・没後25周年&木原文人リングアナ35周年の大会。
それにプラスして「太陽ケア引退記念大会」と銘打たれていました。
私と太陽ケア選手の関わりは意外と古く、最初に知り合ったのは2000年頃でしょうか。
当時、私は新日本、ケアは全日本に所属している状況。その時期に、新日本と全日本が対抗戦をしていたという経緯があり、その際に挨拶した記憶があります。
私はTEAM 2000、ケアはBATT(バット)というユニットに所属していて、当時は何度も試合しました。
そして2002年に、私が全日本プロレスに移籍し、私とケアの関係は急速に進展しました。
タッグを組んだり、闘ったり、、、当時の私にとっての一番のライバル関係にあたる選手となったのでした。
そんなケアが引退。。。そして、私にもオファーをくれたという感謝。色んな意味で忘れられない大会となりました。
ここ数年のケアは、地元のハワイで生活していたらしく、プロレスラーとしてではなく、違う仕事で生計を立てていたと聞いていました。
なので、引退と言われても、本人も含め、何となく実感が湧かないというか、、、不思議な感覚でした。
だけど試合後、リング上の真ん中に立ったケアが、引退のテンカウントゴングを聞いていた時、それをリング下で見ていた私は何とも言えない切なさに襲われたのでした。
自分より年下のケアが先に引退する現実。
そして来年の頭には、あの棚橋選手の引退も決まっている。
自分自身の現実とか、自分自身の未来とか、いろんな事を考えるようになったのは事実で、、、現状のままで何年も生きていられる訳はなくて、、、正直不安が強いのも偽りのない気持ち。
ただ、前向きに生きるしかないし、前向きに生きる事で先の未来が拓けてくると思ってるので、今はがむしゃらに頑張っていこうと思ってます。
なんか、だんだんと暗い雰囲気のブログになってるので(苦笑)、今回はこの辺で。
2月8日に行われたアメリカ・アトランタ遠征の話は、また改めて書かせて頂きます。
では、読んで頂き、ありがとうございました。