\ねぎとろ in バッグ/
ちまるとねぎとろの村
※後ろが生活感丸出しで申し訳ありません。


タイトルにも書きましたが、今回はいつにも増して長いです!


さて、重い重い腰をあげてこの記事作成に着手することにします。
Super Juniorのメンバー個別紹介記事です。
イトゥクの入隊日が決まった日に以前から温めていたイトゥク編を公開し、
何順で書くか迷った挙句、年齢順という1番ふっつーな順番で書くことを決め、ヒチョルまではすらすらっと書けました。
そして、ヒチョルの次はハンギョン。

正直難しかったです。
何を書くべきか。

どこから書くべきか。
どこまで書くべきか。
むしろ書かざるべきか。

非常に非常に悩みました。

その結果、書けるところまで書こう。

という考えに達し、筆をとった次第です。
(正確には、キーボードをたたき始めた次第です。)

では、早速行きましょう!


ハンギョンハンギョンと言いながら、写真を載せていなかったですね!
これじゃあまるで冒頭のねぎとろがハンギョンみたいだ!
(誰もそんなこと思わないよ)


改めまして、


\ハンギョンです/
ちまるとねぎとろの村

失礼しました

ちまるとねぎとろの村
ヒチョルを紹介したときに、“様”をつけたくなってしまう人だと紹介しましたが、
この方も同様です。

“ハン様”と呼ばれることが1番多いと思います。
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中国語がまるっきしダメだったMメンバー(チョウミ、シウォン以外)につきっきりで教えてくれたハン様。

Mのレコーディング時は、チョウミとハンギョンがスタンバってて、メンバーが発音が分からなくなったときに、すぐに教えてくれていたそうです(ヘンリー談)。


基本的な情報は、毎度おなじみWikipediaより引用。
ハングル表記:한경 英語表記:HanGeng
本名:ハングン(韓庚)
ニックネーム:ハン様
1984年2月9日生まれ。身長181cm、体重66kg。O型。
出生地:中国黒竜江省(赫哲族)
家族構成:父・母・弟
Super Junior-Mのリーダー。
中央民族大学舞踏学院民族舞踏専攻卒業。
2001年、中国オーディション「H.O.T china」で3,000人のうちの1人選ばれたメンバー。
中国舞踊家になりたかったらしいが、友達に誘われ一緒に中国オーディション「H.O.T china」に受けたら、メンバーに選ばれた。
2年で韓国語を覚え、ほぼ完璧。しかし自分が不利な状況の時やメンバーが喧嘩している時だけ韓国語が分からないふりをする。
2008年北京オリンピックの中国聖火ランナーをした。これはアイドル男性で初めてだった。
現在は中国を中心に活動している(KBSとの契約は終了、歌番組やコンサートにも出演が可能になった)。
現在中国でソロ「韓庚」として活動していて、2010年7月17日・18日に北京でソロライブを行い、8月14日・15日には台北でファンミーティングを行った。その他にも映画『大武生』等への出演が決定している。
2010年12月21日、所属事務所SMエンターテイメントを相手に起こした専属契約効力の不存在確認訴訟に関して、原告勝訴の判決を下した。
2011年現在では、生まれ故郷の中国で活躍している。(正式には脱退しておらず、現在もSMと専属契約維持されている)


現在は母国の中国を活動拠点としており、SuperJuniorとしてではなく、個人として活動しています。
先日、日本にMV撮りに来ていましたね!!
すらっとした身長、整った顔立ち、手足の長さを活かした踊り・・・。
そんな奇跡的な逸材だったので「13億の奇跡」(中国の人口に因んで)なんて言われたりもします。
私は幼い時から10年以上クラシックバレエを習っていたので、同じバックボーンのハンギョンの踊りがとても大好きです。
SJとして活動しているときは、ウニョク・シンドン・ドンヘとハンギョンの4人でダンスメンバーでした。
あまり歌うパートはないのに、デビュー当初のMVでは結構センターだったりします。
あんなに歌っている兄さんはほとんど映っていないというのに。
デビュー当時は、ハンギョン・キボム・ソンミンあたりが結構メインっぽい扱いでした。


冒頭述べたように、何をメインに書くか悩みました。
その結果、やはり避けては通れない訴訟をメインに書こうと思います。



ハンギョンによる訴訟とメンバー



誰もが知っていることは、ハンギョンはSMEに専属契約不存在確認の訴えを提起したこと。
それをきっかけにSJ、韓国を去ったこと。
(SJを去ったという表現には語弊があるかもしれません)

でもその詳しい訴訟経過を知らない人は少なくないのでは?と思います。

事の発端はSS2中。

2009年12月21日




ハンギョンがSMEに対する上記訴訟を提起するための訴状をソウル地裁に提出したことにより、明るみとなりました。

SuperJuniorのメンバーもこの日までは何も知らされていなかった様です。
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実は、訴状提出の前日、ハンギョンはMメンバーと共に中国でイベントに出席していました。
さぞかしメンバーは驚いたことでしょう。

ちなみに、ハンギョンはこの訴訟の準備を半年以上前からしていたと言われています。
私もその道の人なのでそれ相応の準備期間がなければならないことは分かります。

半年前というと、2009年6月頃には準備期間(弁護士との委任契約締結、事実関係の確認、膨大な書類の準備など)に入っていたということになります。
そうすると、「Super Girl」が発売された頃(2009年9月24日)はもとより、
「Sorry Sorry」(リパケ)が発売された頃(2009年5月14日)にはハンギョンの心の中は決まっていたかもしれません。
そう思うと、MVを見るのが少し悲しくなります。
特に「Super Girl」に収められている「Blue Tomorrow(明日になれば)」では、草彅レベルの高いリョウクやシウォンはなぜ変な丈のパンツを履かされているのか、なぜNTT docomoの携帯が使われているのか、など気にかかることが続出なのですが、ハンギョンが涙を流しているシーンがとても印象に残るMVになっています(3:13あたり)。
改めて見ると“ハンギョンは何を思って泣いたのかな”と考えてしまいます。


話を元に戻して、訴状が提出された日、メンバーが当惑していた様子が彼らの当時のCyworldから伺えます。


訴状提出の同日

同じMメンバーとして活動していたキュヒョンが以下の英文を書き込みをしました。
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「Even a beast don't bite the hand that feeds one・・・・・
(訳:野獣でさえも餌付けする人の手を噛むことはしないのに・・・)

同じMメンバーのドンヘがウニョクのCyworldに以下の書き込みをしました。
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「답답하다..우울하다..힘이 없다..넌?」
(訳:苦しいよ・・・憂鬱だし・・・力も出ない。君は?)


本当に何も聞かされていなかったんだなぁと思いますし、この時のメンバーの気持ち・ハンギョンの気持ちを考えると胸が痛いなんて言葉では表すことができません。


2010年1月23日(SS2 北京)


訴状提出つまりメンバーが衝撃の事実を知ったときから約1か月です。
それまでSS2に参加していたハンギョンが訴え提起を境にSS2に参加しなくなります。
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SS2のDVDはソウル公演を収録したものなので、ハンギョンも映っています。


SS2上海にて。ヒチョルの涙。
(本人に聞いてみないと分かりませんが、恐らくハンギョンのことを思って泣いているものと言われています)
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2010年2月4日


ヒチョルが自身のCyworldに以下の文章を書き込ました。
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title:水魚之交(意味:水と魚の様に切っても切れない関係の意)

힘들 때 옆에 와서 술한잔 해주던 이가 없구나
즐거울 때 옆에 와서 함께 웃어주던 이가 없구나
슬플 때 옆에 와서 같이 울어주던 이가 없구나
매일 옆에서 티격태격 다투던 이가 없구나

訳:
大変なとき、隣で酒を酌み交わした人がいない
楽しいとき、そばで笑っていてくれた人がいない
悲しいとき、そばに来て一緒に泣いてくれた人がいない
毎日そばであぁだこうだと言い争った人がいない


それから数分後の書き込み

title:客窓寒燈(意味:孤独な旅人の境遇を表す)

혼자 걷는 연습

訳:一人で歩く練習


2010年3月26日

騒動以来初めてハンギョンが中国メディアの前に姿を現しました。
そして、訴訟中であるため今後のことは話せないとしながらも、SuperJuniorの仲の良いメンバーとは連絡を取り合っていること、機会があればメンバーと一緒に仕事をする可能性もある旨発言しました。


2010年4月28日

ヒチョルがCyworldに以下の書き込みをしています。
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title:Rosacea(酒さの意)

나에겐 친구가 하나 있다
한국어는 서툴지만 중국어를 굉장히 잘한다
노래는 그냥 잘하지만 춤은 진짜 잘춘다
나는 고양이를 좋아하지만 그 친구는 강아지를 좋아한다
나는 요리를 못하지만 그 친구는 요리를 잘한다
난 맨날 욕을 했지만 그 친구는 웃어줬다

참..

지나고보니 잘해준게 하나도 없다ㅋㅋ
진짜 미안하게..
옆에 있을 때 잘해준게 하나도 없다ㅋㅋ
별로 궁상떠는 성격은 아닌데..
그냥 취했나보다 눈물이 나는 걸 보니까ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ

옆에 누군가 있다는 건 굉장히 소중하고 행복한 거다
난 나이를 먹고 어른이 되어도 그걸 몰랐었다
근데
뒤늦게.... 이제야 알았다.. 나참..ㅋㅋㅋㅋ

있을때 잘하란 말이 괜히 있는게 아닌가 보다^-^
보고싶다.. 라는 말이 이럴 때 쓰는 건가 보다(-┏)
슬픈 씬 찍을 때도 잘 안나던 눈물이
지금은 너무도 아프게 흐른다

訳:
私には友人が一人いる
韓国語は下手だが、中国語がとても上手い。
歌それなりに上手いが、踊りは本当に上手だ
私は猫が好きだが、その友人は子犬が好きだ
私は料理をできないが、その友人は料理が上手だ
私は毎日悪口を言ったがその友人は笑った

本当に・・・
過ぎてみると、良くした事が1つもなくて
本当に申し訳なく・・・
傍にいる時、良くした事が1つもなくて

別に感傷的な性格ではないんだけど。。
涙が流れてくるのをを見ると、なんとなく酔ったみたいだなㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
そばに誰かいるということは、とても大切で幸せなことだ
私は年を取って、大人になってもそれが分からなかった
でも、
一歩遅れて・・・・ 今やっと分かった・・・・私 本当にㅋㅋㅋㅋ
傍にいる時よくしてあげる言葉は、無駄にあるのではないようだ^-^
会いたい.・・・という言葉は、このような時使う事のようだ(-┏)

悲しいシーンを撮る時も、上手く出なかった涙が
今はあまりにも痛く流れる

2010年5月4日
SuperJuniorの4集(美人 BONAMANA)カムバについてSMEが10人体制でやっていくと公表しました。<
訴訟中のハンギョン、俳優業に専念するキボム、入隊計画中のカンインの3人を除いた10人体制ということです。
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2010年5月13日
4集美人 BONAMANA発売
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2010年5月19日
キュヒョンがCyworldにハンギョンの写真と共に以下の書き込みをしました。
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「U happy, so I happy..Just do it...」
訳:君が幸せなら僕も幸せだ・・・やるっきゃない(やれるだけやれ)・・・
(この“Just do it”がハンギョンに向けられたものなのか、キュヒョン自身にむけられたものなのか、解釈の仕方でちょっと異なってきますね)


2010年5月24日

ヒチョルがインタビューで以下のことを語りました。
ヒチョル自身がSJとして活動する前に既に俳優でビューをしていたものの、歌もダンスも特に自信があったわけではないので、SJにおける自分の役割が分からずデビューしてからも苦悩の日々が続いていたが、自分と何か通じるものがあるハンギョンと出会い、仲良くなることでその苦悩から解放されていた。
そんな風に仲の良かった人が突然いなくなったため、混乱した。虚脱感に苛まれる日々だった。
しかし、今ではハンギョンには成功してほしい(今後について)と思っている。そして、ハンギョンの場所はこれからも空けておく。


2010年7月8日

中国のテレビでハンギョンがSMEについて話しているものです。
ハンギョンが韓国からそしてSMEから去る決意をしたのは、SMEによる扱いのひどさ故だったと言っています。
そのエピソードとして、以前SuperJuniorとして授賞式(何らかの式典)がスケジューリングされていたが、シウォンとハンギョンは体調を崩していて一緒に病院に行くことなった。
点滴をすることになったが、SMEのマネージャーは「時間がないんだよ」と医師を急かし、点滴の速度を速める様に言った。
それでも全て点滴が打ち終わるまで待っていると、授賞式に間に合わなくなってしまうので、点滴は途中であったが針を抜かれ、シウォンとハンギョンは式に出席させられた。


2010年7月13日
裁判の最終弁論期日。
ハンギョン(原告)側とSME(被告)側の主張は平行線を辿るばかりで、裁判所による調停(両当事者の合意による裁判の終局)は不可能となった。


2010年7月17日
ハンギョン北京での単独初ライブ


2010年7月27日
ハンギョン初アルバム『庚心』発売
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日本でも発売されました!

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2010年8月6日
この『庚心』を自身がDJを務めるラジオ番組中にヒチョルが開封している様子です。



2010年8月15日


ハンギョンがアルバム『庚心』の発売を記念して行われるファンミーティングの開催に関する記者会見の際に、ヒチョルがドラマ撮影のため中国を訪れた際に二人で会った事・逆にハンギョンが韓国に訪れた際にもヒチョルに会った事・今度ヒチョルが中国に来るときはハンギョンの家が営んでいる餃子屋さんに連れて行こうと思っていると話しました。


2010年9月22日

ラジオスターにSuperJuniorのメンバーがゲスト出演した際に以下のことを話しました。
イトゥクは、行動する前に僕たちに相談してくれれば良かったのに。それならば僕たちも理解できたのに、と語った。また、イトゥク自身が軍隊に入隊する前にもう1度13人で舞台に立ちたいと話した。
シンドンは、中国のメディアを見て驚いた。ハンギョンは、当時僕たちメンバーが彼に無関心であったり配慮がなかったという主旨の発言をしていたのがとても悲しかった。一緒に酒を酌み交わした仲だったのに、と。

2010年12月21日

ハンギョンが提起したハンギョン・SME間に締結された専属契約などの不存在確認訴訟の判決がでました。
原告、つまりハンギョン勝訴という形でした。
この判決により、ハンギョンとSME間に締結されていた専属契約は、“存在しないもの”と確認されたことになります。
(SMEが即日上訴)


2010年12月31日
ハンギョンが香港メディアに涙ながら以下のことを語ります。
長い間一緒に苦楽を共にしたメンバーに一切相談することなくこの様な手段(訴訟)をとってしまったことは非常に申し訳なく思っているし、メンバーが僕のことを許せないと感じることは理解できる。でも僕は今でもメンバーのことを思っているし、忘れたことなんか片時もなかった。
それでも、事務所の待遇は許せなかったし、芸能人の自殺率が高い韓国にこのまま身を置いていたら自分もいずれそうなるのでは?との恐怖を拭い去ることができなかったのだと。


日付飛びます!

2011年10月13日
ヒチョルが作詞した曲が発売されます。
Orange Caramelの2ndシングル「上海之戀(シャンハイ ロマンス)」
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OrangeCaramelといえば・・・・
K.R.Y.バージョンがありましたね・・・

\K.R.Y.バージョン!/
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出た出た、えるぷ十八番の才能の無駄遣い。




\ちなみに本物はこちら/
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話をもとに戻しましょう。


そう、上海ロマンスの作詞をしたヒチョル。
全文掲載はしませんが、一部抜粋してみます。

Baby Oh~ 会いたい私の人
Baby 私の上海ラブ
何度も現れる
Baby 一体あなたは何なの
しくしく私を泣かせる
私の心 今日も
ドキドキさせる
Baby 私の上海ラブ
近寄り難い
飛行機に乗らなきゃ会えないのに
簡単じゃなくて 泣き出しそうになる
揚子江を越えて行きたくても
お金がなくて辛い

Baby Oh~ 私のものになってくれるでしょ?
Baby Oh~ 会いたい私の人
Baby 私の上海ラブ
何度も現れる
Baby 一体あなたは何なの
しくしく私を泣かせる
私の心 今日も
ドキドキさせる
Baby 私の上海ラブ
近寄り難い

Hey~そこのスーツ着た 上海Boy
どうして私が目を開けた時見えなかったのかしら
何も言わずに消えたあなたは悪い人
あなたは私がたぶん初めて
感じた愛なんだもの
夢だけど 私はあなたのもの
どんなに会いたくても それがうまくいかない
どうしたらいいの 私 どうしたら
忘れなきゃいけないみたい
忘れようと努力しても それがうまくいかない
何度も現れるじゃない 夢に見るじゃない


ハンギョンが提訴した当初は、ヒチョルも混乱していたし(年末の歌謡祭なども欠席していました)、Cyworldの書き込みからも分かる通り、大変苦しい思いをした事が分かります。
でも今は、ハンギョンと連絡がとれる様になったからか、寂しいという思いは抱きつつも彼の動静を一人の友人として見守り、応援しているのだと感じます。

しかし、昨日まで寝食を共にしていた仲間が自分たちに何も言わず訴訟を起こし、母国に帰ってしまったという事実は変わらないですし、ヒチョルはもちろんですが他のメンバーもハンギョンの行動が理解できなかったり、相談も何もなかったことを虚しく思ったり、やるせなかったり、時には腹を立て怒った日もあったと思います。
現在、SuperJuniorのメンバー全員が(心の中で)ハンギョンとの蟠り(わだかまり)が一切ない、なんてことはないと思います(確証があるわけではないです)。
もちろん、イトゥクが“13人で舞台に立ちたい”“ハンギョンの席はきちんと空けてある”と発言することに嘘偽りの気持ちがあるなんて思った事はありません。
また、メンバーを紹介する際にハンギョンの名前を出すあたりからも、昔と変わらずメンバーだと思っているよ!という思いも汲み取れます。

ただ、そういう気持ちと“でも何で?”という寂しさや悲しさ、怒りの気持ちが併存することは可能ですし、そういう複雑な心境だったりするんじゃないのかなぁと思うのです。

そう考えるからこそ、複雑な思いを抱えながらも(←私の考えすぎかもしれませんが)メンバーが今でもSuperJuniorとしてハンギョンを扱うときは、本当に嬉しく思います。


Super Junior―13個の星



SuperJuniorは
イトゥク、ヒチョル、ハンギョン、イェソン、カンイン、シンドン、ソンミン、ウニョク、ドンヘ、シウォン、リョウク、キボム、キュヒョン
の13人である。

5集SuperMan


(イトゥクパート)
하늘에 별을 따다 줄까? 세 봐.
空の星をとってあげようか?数えてごらん。

한 개 두 개 세 개!
1つ、2つ、3つ!

우리는 원래 잃어버린 별을 합쳐 별이 열 세 개!
僕らは元々なくしてしまった星が合わせて13個!
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OPERA日本語バージョン

OPERA日本語verのCDを購入し、歌詞を確認したとき、

\ぷっ!なにこれ?!/
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と思った箇所があります。

ねぇイイから!クールに☆いこうか!
さぁイイから!これが☆イイから!

さぁイイから!ぜんぶ☆イイから!


・・・・この無理矢理感満載な☆の入れ方・・・。
でも良く数えてみると・・・・
“リピート”のところに歌詞を反映させると、全部で☆の数は13個になります。
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6集Thanks to(リョウク)

SuperJuniorのメンバーを年齢順に列挙した後にMメンバーのヘンリー・チョウミの名前を挙げているのですが、ヒチョルの次にハンギョンが来ています。ちまるとねぎとろの村


書き終えて、ハンギョンを想う


今、書こうと思っていたことを全て書き終えたところです。
改めて時系列に直してみると、正直なところ悲しくなります。

ハンギョンが事前にメンバーの誰にも相談できなかったのは何故だろうか。
こんなこと考えても無意味なことは分かっています。
本人にしか分からないことですし、そんなこと考えたところでハンギョンが戻ってくるわけでもありません。
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ただ、ハンギョンの性格からして「言わなかった」のではなく、「言えなかった」のではないかと思ってしまいます。

ハンギョンが訴訟という道を選択するに至ったまでも相当な時間悩み、苦しんだと思います。
でもそうして下した決断が、メンバーに相談したり、打ち明けることでブレてしまうのを恐れていたのではないか、と思わずにはいられません。
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そんなことを相談したら、絶対引き止められるに決まっています。
だから「言えなかった」のではないか、と思うのです。
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ハンギョンが選んだ道は、きっと本人が想像していた以上にハンギョン自身もメンバーも傷つく棘の道だったと思います。
事実、思わぬところに飛び火してチョウミは辛い思いを沢山しました。

まだ乗り越えたとは言えないかもしれませんが、それぞれの中でこの出来事を咀嚼した上で、SuperManを歌い、リョウクはThanks toを書いている。

これがハンギョンに届いていると良いな、と思います。
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そして、皆とは少し離れたところで輝き続けている1つの星を今後も応援したいと思います。ちまるとねぎとろの村