遅まきながらやっとダンケルクを観ました。クリストファー・ノーラン監督は「メメント」「インセプション」等の「記憶(意識)いじくり系」かバッドマンシリーズみたいな「善悪の境を問う」系の監督と思っていたので、戦争映画は少し敬遠していたのです。
ダンケルク救出作戦は1940年5月に行われたようです。時系列的には「英国王のスピーチ」の少し後(日本は日中戦争中)。


興味を持ったので、この時代の事を何冊か調べました。


1939年9月ヒトラーのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発します。ポーランド自体も善良な小国家と言うよりはソ連に侵攻しては敗れると言う軍事国家だったようですが。


西部戦線(英仏戦線)は、宣戦布告から半年間は仏軍の厭戦意識などの世論によって、武力衝突が無かったようで、「いかさま戦争」などと呼ばれていたそうです。


フランスの新聞には「ダンツィヒ(当時ナチスドイツと係争中のポーランド北部)の為に死ぬ?」と言う見出しが踊っていたそうです。全く自国に関係の無いポーランドとの戦争に巻き込まれるのは馬鹿げている、と言う意味です。


ポーランド侵攻後の1940年5月、ヒトラーはアルデンヌの森を通過するルートによってフランスに侵攻します。ベルギー付近の北東ルートでは無く、侵攻が難しい(それ故フランス軍の守備も脆弱な)アルデンヌの森を抜けたルートによって侵攻します。

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虚を突かれた英仏軍はダンケルク方面まで撤退を余儀なくされます。

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しかし、ドイツ陸軍は装甲師団と歩兵団に進撃スピードに差異があり、戦力が薄くなる事を恐れたヒトラーは先行している装甲師団に進撃のストップをかけます(空相のゲーリングが空軍だけで勝てると主張したが、英軍戦闘機・スピットファイヤの抵抗を受ける)。


この、進軍のストップ(と英軍の抵抗など)が生み出した時間がダンケルクの救出に繋がった、と言うのがこの映画を生み出した背景だそうです。もしダンケルク救出が失敗していたら今見ている現代の景色も違っていたかもしれません。


僕の手元資料によると、連合軍(英仏白加)約40万人、ドイツ軍約80万人。ヒトラーは交渉人及び扇動家としては一時的にカリスマ性を帯びたけど軍略家としては及第点にいなかったと言う事でしょうか。


因みに作中、ダンケルクにいる指揮官としてチャーチルっぽい姿の軍服を着た役者がいましたが、この時には既に首相なので、違う人だと思います。