いのちのバトン
なんのためにいきるのか
こたえは その時そのとき
微細に皆 違いはある
だけど、 苦しみをあじわうためとか
修行をするとか もうそんなんでなくて
うまれたのは 沢山の愛や願いを皆うけてうまれて
先代せんせん代ずっとつながってる
だから
もし 今苦しくて苦しくて 自分で自分の首をしめて 社会でもがいてるなら
周りにあたってるなら
がんばらないと 自分が って 子育て 仕事
頑張ってるなら
頑張りすぎて 我慢しすぎて
手が上がってしまってるなら どうしようもなくて とまってるなら
ね、
命をいきるは どんな人も
人は皆けして1人でどうのこうのできるほど 器用ではないから
命をいきることはそんな簡単なものじゃないから
皆で
命を育てることは 1人が責任とって育てるなんて 難しすぎる
がんばりすぎないで
助けてって叫んでいいし、頼っていい
手をのばしていい
手をあげるまえに
そのあげてしまいそうな手は
ほんとは相手にじゃない
自分にむけたものでしょ
かなしくて くるしくて
そんなんあげなくていい
自分をいじめないで
だきしめて 許して
いきることも育てることも 1人で力まないで
その手や叫びにとどくように 動いてる沢山の人達がいる
かならず いる
私もできることをできる形でしていく
私も助けられてきたから
誰かにならなくていい
でこぼこでいい
皆 1人じゃいきれない 皆 なんかかんかきづいてるかきづいてないかはあっても助けあってる
誰かの手は誰かをすくう
すくうほうもすくわれる
そうして 人らしくなっていく
皆 笑って喜んで 命をいきていい😊
その体験をするために いのちはある
皆が いのちのバトンを ゆずりうけたから、
そこに愛があるから
だからね 1人で 力みすぎないで
そのにぎりしめた手
ゆるめて ひらいて 伸ばしてみて
喜び いのちを いきていこう
皆で
と思った 帰りのできごと
まんまでいーんやで
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