鹿児島県の薩摩半島の知覧町に「富屋食堂」というお店がありました。
富屋食堂には出撃を待つ特攻隊員たちがよく出入りしていて、ここの女主人のトメさんを母親のように慕っていました。
トメさんも少年たちの世話を焼き、母親代わりとなって優しく尽くしていました。
昭和20年6月6日は特攻隊員の宮川三郎軍曹の20歳の誕生日。翌日は出撃をひかえた宮川軍曹のために、トメさんは精一杯のご馳走を作り、はなむけとしました。
ところがその途中、空襲警報が鳴ったため皆んなで防空壕へ。
幸い被害はなく、防空壕を出ると漆黒の夜。食堂の横を流れる小川の上を源氏蛍が飛び交っていました。
宮川軍曹は一緒に隊を組む仲良しの滝本恵之介伍長と2人で食堂に来てトメさんに
「オバちゃん、明日も滝本と2人で帰ってくるよ。そうだ!蛍になってね。追い払っちゃダメだよ。」
トメさんは、来る途中どこかで蛍を見かけたのだろうと、その時は気にもとめていませんでした。
「ああ、帰っていらっしゃい」
宮川軍曹は自分の腕時計を見て
「9時だ。それじゃあ明日の夜の今頃に帰ってくることにするから、お店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ」
「わかったよ。そうしておくよ」
「オレたちが帰ってきたら皆んなで“同期の桜”を歌って欲しい。それじゃあオバちゃんお元気で…」
宮川軍曹はそう言うと、暗い夜道へ消えていきました。
翌日。。。
この日は総攻撃の日で、朝から特攻機がどんどん飛び立ちました。
夜になって、宮川軍曹と一緒に出撃したはずの滝本伍長が一人で食堂にやってきました。
「宮川は開聞岳の向こうに飛んで行った。視界が悪く、宮川軍曹の機に何度も引き返そうと合図を送ったが、お前だけ帰れ!とそのまま飛んで行ってしまった」
と涙を流しました。
夜の9時頃。
わずかに開いたお店の引き戸の隙間から、一匹の大きな源氏蛍が光りながらスーっと中に入ってきました。
トメさんの娘さんたちは
「お母さん!宮川さんよ!宮川さんが帰ってきた!」
叫び声に気づいたトメさんが奥から出てくると、娘たちの指差す方に、天井の梁にとまり強い光を放っている一匹の蛍を見つけました。
トメはたいそう驚きました。
滝本伍長や部屋にいた兵士たちも気づき、集まってきて蛍を見上げました。皆んな肩を組んで涙を流しながら「同期の桜」を歌い始めました。
貴様と俺とは同期の桜
離れ離れに散らうとも
花の都の靖國神社
春の小枝で咲いて逢うよ
蛍は長い間天井の梁にとまっていましたが、すっといなくなりました。
~さらにもう一つの蛍の話~
トメさんが亡くなった通夜の夜。
弔問客も落ち着き一段落した頃、どこからか一匹の蛍が光を放ちながら、トメさんの柩のある部屋をスーっと飛んでいったそうです。
〈参考文献 いろいろ〉