蓮華王院 三十三間堂 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

早速今日から

新潮社ツアー 歴史作家 関裕二先生と行く
奈良京都古代史ツアー

の記事を書き進めて行きたいと思っております(^^)

初日、ツアーに入る前に個人でこちらを訪れましたルンルン




『蓮華王院 本堂』
別名:三十三間堂

天台宗寺院
ご本尊 千手観音
創建 長寛2年(1165)
開基 後白河天皇

洛陽三十三所観音霊場第17番


☆国宝 三十三間堂(本堂)

写真撮影はNGですカメラ

地上16メートル
奥行き22メートル
南北120メートル
の長大なお堂。入母屋造り本瓦葺きです。

お堂は東面して南北にのび、堂内陣の柱間が三十三あるという建築的な特徴があり、「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。中には、同じく国宝に選ばれた千手観音座像を中心として、左右に1001体の仏像がズラッと並んでいます。

※ご本尊の後ろ側にも一躯の千手観音があります




この地には元々、後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があり、三十三間堂は上皇が平清盛に建立協力を命じ、その広大な一画に建てられました。

後白河上皇は長年頭痛に悩まされていたようで、熊野参詣の折に祈願したところ
「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」
と熊野権現からお告げがあり、因幡堂に参詣。




するも上皇の夢に僧が現れ
「後白河上皇は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏教修行の功徳により天皇に生まれ変わったが、岩田川の底に蓮華坊の髑髏が沈んでおり、目穴からは柳が生え風が吹くと髑髏が動くので頭痛がするのだ」 と告げられました。

岩田川を調べるとなんとお告げ通りだったので、千手観音の中に髑髏を納め柳の木を梁に使ったところ、

上皇の頭痛は治ったそうな。


後白河上皇の前世の僧が「蓮華」という名前だったので「蓮華王印」と称されたといいます。


この伝承から「蓮華王院」と称され、またこの伝承により「頭痛封じの寺」「頭痛山平癒寺」

と俗称されました。



☆夜泣き泉



三十三間堂が創建された翌年、一人の道中僧が夢のお告げにより発見したという霊泉で
「いつも冷たく美味しくて、飲んでもお腹を痛めることのない極楽井で、どんなに飲んでも尽きず汲まないときも余ることのない不思議な泉だ」
と記されています。

夜のしじまに水の湧き出す音が人の“すすり泣き”に似ることから「夜泣き泉」と言われるようになり、いつの頃からか傍らに地蔵尊が奉られて、特に幼児の“夜泣き封じ”に功徳があるとされ、お地蔵様の前掛けを持ち帰り子どもの枕に敷けば夜泣きが治るとされ、今もそのご利益を求める参拝が続いています。



☆法然塔


元久元年(1204)、土御門天皇が蓮華王院で後白河法皇の十三回忌を行った際、法然は天皇の特請によって声楽に秀でた僧侶を集めて「六時礼賛」という法要を修し、参集の人々に紙筆を与えて写経を勧めたといいます。


南無阿弥陀仏と刻まれた石碑は、その事跡を記念するものです(鎌倉時代)






蓮華王院には桃山時代に行われ始めた「通し矢」という今日の名物行事があります。


縁の北端に的を置き、緑の南端から軒天井に当たらぬように矢を射抜くというもので、弓術家の名誉となっています。

「通し矢」は“軒下を通す”ことからきています。





☆御朱印


三十三間堂は初めてのお詣りでした音符


修学旅行生が清掃活動をしていたのがとても印象的でした(^^)








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