歴史的風土特別保存地区『崇神・景行天皇陵』
「行燈山古墳(山邉道勾岡上陵:崇神天皇陵)」
行燈山古墳は4世紀前半頃(古墳時代前期)の築造と推定され、全国では第16位・柳本古墳群(天理市柳本町に所在する古墳時代前期の古墳群)ではこの後にご紹介する渋谷向山古墳に次ぐ第2位の規模の巨大前方後円墳(全長242m)です。被葬者は明らかではありませんが、宮内庁により山邉道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)として、第10代崇神天皇の陵に治定されています。
『渋谷向山古墳(山辺道上陵:景行天皇陵)』
すみません、陵墓の写真が説明板にすっぽり隠れてしまって見えませんね💧看板の後ろのこんもりしたのが古墳なのですが…何でこんな風に撮っちゃったのでしょう(・・;)
渋谷向山古墳は4世紀後半頃(古墳時代前期)の、柳本古墳群では上記の行燈山古墳に続く時期の築造と推定され、2基ともに初期のヤマト政権の大王墓とされます。全国では第8位、柳本古墳群では最大の規模の巨大前方後円墳(全長300m)で、被葬者は明らかではありませんが、宮内庁により山邊道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)として第12代景行天皇の陵に治定されています。
古事記では“山辺之道上”
日本書紀では“山辺道上陵”
延喜式では遠陵の“山辺道上陵”
と記載され、日本書紀と延喜式では崇神天皇陵と同名で記されており、江戸時代には崇神天皇陵とされたこともあったようです。
2基ともに崇神天皇または景行天皇のどちらかである、ということでしょうか。
☆櫛山古墳
行燈山古墳のすぐ東側には全長155mの『櫛山古墳』があります。通常の前方後円墳に短い方形部(作り出し)を付け足したような特異な形状の双方中円墳です。
築造年代は4世紀末頃(古墳時代前期後半)とみられ、柳本古墳群では比較的新しい古墳と考えられています。
この辺りは見るものほぼ全てが古墳といった感じでした。櫛山古墳の写真のように一見古墳には見えない古墳もたくさんあります。ていうか、古墳の上やその一部を歩いていると、全体像が見えないので分かりませんね(^^;;
☆作者不詳の歌碑
山辺の道の古い集落は条里制に基づいて配置されています。この配置と大和棟の農家によって特色のある農村風景が作られているのだそうです。
そんな農村風景を楽しみながら先へと歩きます
大和橘の木がたくさん🍊
なんと自生しているのだそう✨
橘はお菓子の起源とされます。
垂仁天皇と田道間守のお話が思い出されます。
☆神籬
山辺の道の『ひもろぎ遺跡』
ここの地名もヒモロギ。四隅には常盤木(玉垣)🌲
古代の神祭りが行われた場所です✨
額田王の歌碑がありました。
うまさけ 三輪の山 あをによし
奈良の山の 山のまに い隠るまで
道の隈 い積もるまでに つばらにも
見つつ行かむを しばしばも
見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
三輪の山が奈良山の山の際に隠れてしまうまで
道の曲がり角のたびに
じっくりと見ながら行こうと思うけれど
何度も振り仰ごうと思う山を
心なく雲が隠してしまってもよいものか
(反歌)
三輪山を 然も隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや
三輪山をそうやって隠すのか
せめて雲にだけでも心があって欲しい
隠してしまってよいものなのか
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