京都めぐり☆養源院の血天井 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

奈良ツアーを終えた翌日の12月6日音符

少しだけ京都を巡ってまいりました✨


まず最初に向かったのは血天井で知られるこちらの寺院です。実は一昨年の関先生のタニハツアーの前に一度訪れているのですが、その時は修学旅行生が入っており血天井は拝観出来なかったんです。今回リベンジが叶いました♪





『南叡山 養源院』

別称:血天井 宗達寺


浄土真宗遣迎院派

ご本尊 阿弥陀如来

創建 文禄3年(1594)

開山 成伯

開基 淀殿





養源院は、豊臣秀吉の側室の淀殿が、父である浅井長政・祖父の浅井久政の二十一回忌の供養のために、秀吉に願って創建されました。


養源院とは浅井長政の院号で、浅井氏の菩提寺となります。開山は浅井氏の庶流にあたる「成伯法印」という比叡山の僧で、長政の弟とも伝わります。


淀殿の妹の「江」(崇源院)が2代将軍徳川秀忠の正室であったことから、以後は徳川家の菩提所ともなりました。


元々は天台宗でしたが、第二次世界大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗されています。





養源院の廊下の天井は、伏見城落城の際に自刃した武将たちの血のりのしみた板を使った「血天井」として知られています。


養源院は文禄3年(1594)に豊臣秀吉の側室で浅井長政の長女「茶々(淀殿)」が父親の菩提を弔うために成伯法印を開山として創建しました。

元和5年(1619)に一度焼失してしまいますが、淀殿の妹で徳川秀忠の正室「崇源院(お江与の方)」によって2年後に再建されています。


何の因果か、伏見城の戦いで敵味方で戦った豊臣家と徳川家の姉妹によって建てられているとは。


現存する本堂は再建時に伏見城の遺構を移築したものです。客殿の天井には伏見城が落城した際に自刃した人々の血痕が残る板を外し供養のために養源寺に移された血天井が配置されています。足で踏む床板にしては供養にならないので、天井にして供養しているのだそう。


伏見城が落城した際に自刃した家康方の重臣鳥居元忠の刀を差しながら倒れた足や手、頭の位置などがくっきりと残されていました。解説の方の話によれば、見え方は天気に左右されるので、こんなにはっきり見れるなんてツイてます、とのことでした。


また自刃した方々の慰霊のため俵屋宗達が描いたとされる杉戸絵「白象図・麒麟図・唐獅子図」客殿の障壁画「松図」十二面、牡丹の間の可能山楽の襖絵を拝観することができました。



鎮守社:白鷹明神、赤桃明神、白玉明神



ヤマモモがお祀りされています。



白衣弁財天堂



毘沙門天堂



☆御朱印



境内は見事な紅葉🍁🍁🍁





養源院さん🙏

京都では一番心に残りました







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