奈良を歩く☆天武・持統天皇陵(野口王墓古墳) | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

 関裕二』先生の

🦌奈良を歩く〜歴史感じる日帰りツアー〜🦌

6月17日〜19日



於美阿志神社を出てからずっと歩いていたのですが、途中からずっとこちらの鳥居が見えていて、辿り着くのを楽しみにして歩いておりましたあしあと




到着〜♬





『天武天皇・持統天皇檜隈大内陵』

(野口王墓)



奈良県明日香村にある古墳時代終末期の八角墳。

宮内庁により「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」として、第40代天武天皇・第41代持統天皇の陵に治定され、日本書紀には大内陵と記されています。





672年の壬申の乱に勝利し律令制の基礎を築いた天武天皇。その皇后で次に即位し、天皇として日本で初めて火葬された持統天皇が合葬されている御陵です。


墳丘は現在東西約58m・南北径45m・高さ9mの円墳状で、本来の墳形は八角形・五段築成。周囲に石段をめぐらすとされます。2室からなる切石積みの石室があり、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められているとされます。






この檜隈大内陵(野口王墓古墳)は、天皇が埋葬された古墳として考えてよいとされ、被葬者の実在性も問題がなく、治定が信頼できる数少ない古代の陵墓です。





檜隈大内陵は文暦2年(1235)に盗掘に遭い、大部分の副葬品が奪われました。その際に天武天皇の棺まで暴かれ、遺体が引っ張り出されたため、石室内には天皇の遺骨と白髪が散乱していたといいます。持統天皇の遺骨は火葬されたため銀の骨壷に収められていましたが、骨壷も奪い去られ中の遺骨は近くに遺棄されたそうです。


盗掘について記録した検分録「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」によれば、文暦2年に天皇陵の石室が村人によって盗掘されたこと、墳形が八角形であること、石室の中の構造や副葬品まで記されており、この記録が明治13年に発見されたことにより、檜隈大内陵が天武・持統天皇の陵であることが明確になったとのことです。





歴史上、超有名な天皇の陵を訪れることができ、なんだか不思議な感覚でした♪


これから古代史を学ぶ上で、このお2人が身近に感じられそうです☆





奈良ならではの景色が広がっていました霧





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