10月14日(金)〜16日(日)
歴史作家『関裕二』先生
〜神の國出雲ツアー〜
続きましては考古学界を大きく揺るがす
大発見となった、出雲を代表する遺跡へ✨
『荒神谷遺跡』
国の史跡
昭和58年、農道建設にともなう遺跡分布調査で田んぼのあぜ道から一片の土器(古墳時代の須恵器)が発見されたことをきっかけに発掘調査が行われ
弥生時代中期の銅剣…358本
銅矛…16本
銅鐸…6個
が出土したことはあまりにも有名なお話ですよね!
遺跡の南側に「三宝荒神」が祭られている事から荒神谷遺跡と命名されています。
遺跡全体が世に出たがっていた…
古代出雲は確かに存在していたのだよ、と訴えたかったのでしょうね。
こちらでは
地元の学芸員さんにご案内いただきました!
道順にご紹介します(^^)
関先生のお話によれば荒神谷遺跡の棚田は収穫量が多いのだそう。そのことにまつわる祟りのお話もいくつかあるようで、機会があったらお聴きしてみたいです🌾
二千年ハスの種子が、昭和26年4月に千葉県検見川から丸木舟と一緒に出土しました。
こちらのハスは、種子を発見した大賀一郎博士が島根県大田市へ贈られたものを、昭和63年4月に大田市より譲り受けたとのこと。
昭和40年6月15日、大賀博士は81歳で亡くなられましたが、亡くなられたその日に島根県大田市の二千年ハスが初めて花を咲かせたそうです。ハスなだけに、きっと良いところへ旅立たれたのでしょうね✨
今度は古代(大賀)ハスの時期に来てみたいな🪷
荒神谷遺跡の発掘現場へ到着♪
かなり広いと想像していたのですが、意外にこぢんまりしていました。
丘陵の斜面には上下2段の加工段が作られていますが、銅剣は下段に刃を起こした状態で4列に並べて埋められていました。
左から
34本・111本・120本・93本=合計358本
です。
この写真の上半分は複製なので新品です。
下半分の青銅色のものが出土した銅剣です。
銅に錫を加えた合金の青銅を材料としたもので、制作当初は青い色ではなく、金と銀の中間のような光り輝く色でした。銅剣は本来は短い柄をつけた短剣で、突き刺す武器です。それが弥生時代の日本では扁平な大型品になり、祭りの道具に使われるようになります。
銅剣が見つかった翌年
銅鐸6個と銅矛16本
が1つの穴の中に埋めた状況で発掘されました。
銅鐸は中に棒を吊るして鳴らします。弥生時代の農村では、その音が鳴って祭りが進行されたと推測されます。ここで発見された銅鐸は、文様や形などに他にはない独特の特徴をもつものも含まれています。
銅矛は、もともとは柄をつけて槍のように使った武器ですが、ここで発見された銅矛は幅も広く大きく、柄を差し込む根本の穴に鋳型の土が詰まったままで、柄を差し込むこともできません。刃の部分に光を受けると独特の反射をする研ぎかたをしたものもあります。悪を倒す威力をもった祭りの道具だったと推測されます。
銅矛は北部九州を中心に中・四国からも出土し
銅鐸は近畿地方を中心に東西に広がっています。
この2種類が同時に見つかったのはこの荒神谷遺跡だけなのだそうです。
遺跡には古代人の魂をのせたバッタが🦗
こちらでは関先生のご縁で、地元の名士で郷土史家の『藤岡大拙』先生とお会いすることが出来ました♡グータッチしていただき嬉しかったです✊
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