『西谷墳墓群』
出雲市街南東部にある丘陵に存在する古墳群で、弥生時代後期から古墳時代前期(2世紀末〜3世紀)、そして奈良時代にかけてたくさんの墓が作られました。昭和28年に確認され、現在は27号・番外5号までの32基の墳墓、古墳と横穴墓が確認されています。
特に弥生時代後期〜終末期に造られた、特に巨大な規模を持つ6基(1〜4・6・9号)の四隅突出型墳丘墓は、出雲の権力者たちの墓としてよく知られています。四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心とした特徴的な形をした墳丘墓です。
それでは順番にご紹介していきますね(^^)
☆1号墓
四隅突出型墳丘墓で、南側部分のみが確認されており、20m前後と推測されています。墳墓群の中では最小の四隅突出型墳丘墓です。
☆2号墓
方形部が南北35m×東西24mの長方形四隅突出型墳丘墓。斜面に葺き石が施されており、ガラス腕輪が発見されています。
2号墓は内部に入ることができます。
☆2号墓の中心に眠る王
2号墓の中心付近で真っ赤な朱とガラス腕輪が発見されたことから、最も重要な埋葬施設(中心主体)があったと考えられています。朱は当時は大変貴重なものでした。
上の写真の王はボタンを押すと浮かび上がります。
☆3号墓
四隅突出型墳丘墓で、方形部は南北30m×東西40m・高さ4.5m。
墳丘頂上には八つの埋葬施設があり、首長と家族のための墓穴がいくつか掘られていて、その中で最も大きい墓穴の上には4つの柱穴が検出されたことから、何らかの施設があったと考えられています。
☆4号墓
四隅突出型墳丘墓で、方形部は南北26m×東西32m。
2世紀に築造したと推定されています。この墳丘群の中で最初に確認されました。斜面には葺き石が施され、地元産の壺やたくさんの土器、吉備産の特殊土器が発掘されています。
☆5号墓
規模は22m×17m・高さ2m程度の方形、または楕円形の墳墓と推定されており、築造年代は不明です。
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