東日本大震災から12年〜クロマツの再生〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から今日で12年。


もうそんなに経つのだなぁという気持ちと、いまだすべて夢だったら良かったのに…という気持ちと、色々な感情が複雑に絡み合う日でもあります。


私は宮城出身で、親類縁者が東北地方に集中しています。家が津波に流されたり、逃げようと車に乗ったら津波にのまれ、九死に一生を得た親戚もいましたが、12年の間にそれぞれ別の理由で亡くなった人もいます。時の流れを感じます。


さてさて。

毎年3.11は東日本大震災に関する記事を書いているのですが、昨年は貞観地震についての内容でした。

今年は何か復興について前向きな記事を書こうと思って調べていましたら、私の実家のある宮城県亘理町で防潮林の再生事業が進められているとの情報を目にしましたので、今日はそちらをご紹介しようと思います。





宮城県亘理郡亘理町は太平洋沿岸部にある町で、海岸にはクロマツを中心とする防潮林が設けられており、地元の人たちにとってはお馴染みの風景でした。


防潮林とは潮風の害や高潮・津波などを防止、軽減する目的で維持(または造成)されている林のことで、亘理町に限らず海沿いでは良く見かけますよね。


亘理町の防潮林は、東日本大震災で発生した大津波て約8割が失われましたが、その存在は津波の勢いを軽減し、漂流物が流入するのを防ぐなど一定の効果をもたらしたと評価されているそうです。さらに防潮林の一部は大津波に耐え、残っていたのです。


2015年から、この防潮林の再生事業が進められ、現在に至るまでクロマツを含む様々な種類の樹木が4万本以上植えられています。


仙台平野沿岸部の防潮林の造成が始まったのは、なんと伊達政宗の時代というから驚きです。そのきっかけとなったのでは?とみられる出来事が

『慶長奥州地震』(1611年)

という大地震だったといわれています。

この地震も東北沿岸部を津波が襲い、5000人以上の人々が犠牲になっています。これは東日本大震災と同じくらいの規模ではないかと推測されています。





慶長奥州地震は慶長16年(1611年12月2日)の午前中〜正午頃に発生し大きく3度揺れ、午後15〜17時頃に大津波が襲来したと記録されています。海岸一帯は強い地震はあったものの、それによる被害はほとんどなく、津波による被害が大きかったことから津波地震とされ、津波は大船渡のあたりで最高20m前後の高さと推測されています。


記録からも、相馬領から仙台藩・盛岡藩、北海道の太平洋沿岸部までの広い範囲で多数の死者が出たことが分かっています。


『駿府記』によりますと、伊達政宗に献上する初鱈を獲るために遣わされた侍2人が、潮色が異常だと難色を示したものの「主命を請けて行かざるは君を誣するなり、止むべきにあらず」と出漁したところ津波に遭い、生所である山上の千貫松の傍に流れ着きましたが、家は一軒残らず流失した、とあります。


ちょうど日本を探検中だったスペインの冒険家のセバスチャン・ビスカイノは、奥州沿岸の測量中に地震と津波に遭遇し、その記録を残しています。外国人がこの時代の大地震に巻き込まれていたとは驚きですね。彼は津波に飲まれそうになるも、九死に一生を得ましたが、泊まるところがなかったりと色々と大変だったようです。


この時の津波に由来する伝承は、地名などに残されているのですが、昨日ご紹介しました「浪分神社」はその一つです。





そして本題の防潮林のお話。

伊達政宗の家臣だった武将の1人に「川村孫兵衛重喜吉(1574〜1648)」という優れた土木技術者がいたのですが、この人物は北上川の治水工事や水田開発など多くの実績を残しています。


大地震の後、孫兵衛は塩害で農業には使えなくなった土地を塩づくりに転用し、大成功をおさめます。仙台藩では塩の生産はほとんどされておらず、他領から買い求めていたのですが、孫兵衛が塩の生産を藩の主要産業にまで発展させることとなり、政宗も孫兵衛の功績を讃えたといいます。


私も震災後に実家に帰った際、田んぼなどの被害を見て回ったのですが、土は塩で白っぽくなり独特の臭いがしていました。塩田と聞いて、なるほどピッタリかも〜と感心した次第です。


この孫兵衛には婿養子がいたのですが、その人も土木技術者として活躍しており、田んぼの塩害や潮害で苦しむ人々を知り、数千株のクロマツを植林しました。そのクロマツが東日本大震災まで潮害や高潮を防ぎ、大津波の衝撃を少なからず弱める役割を果たすとは感動ですよね。


防潮林に限らず、現在の復興事業が遠い未来の役に立つ可能性がある。復興ということだけではなく、何事も後世へ繋げていくという大きな視点を持つことが必要なのですよね。



東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福を

心よりお祈り申し上げます



ー合掌ー








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