ということで、安本美典先生のお話をちょこっとご紹介。
『曖昧な距離感』
魏志倭人伝には「東南に陸行すること五百里にして…」などの里程の記述が多いですよね。この記述をヒントにたくさんの研究者さんが邪馬台国のあった場所を探ってきていますが、いまだ解明出来ておりません。
今回の講義は
「帯方郡より女王国に至るまで万二千里である」
つまり朝鮮半島の帯方郡から、女王国までの総トータルの距離が“一万二千余里”である、という記述から、安本先生が邪馬台国が北部九州にあったという証明をしていくという内容で、あらゆる方面からしっかりと分析されていて、とても納得の出来るお話でした。
そのお話を理解するために避けられないのが「尺・里・町」という長さの単位。ちなみにですがこれら尺貫法などの単位は、人間の身体を基本にしているそうです。
初めて知ったのですが、この尺・里・町の距離は一定していないそうなのです。
まず中国・朝鮮と日本ではだいぶ違います。
中国の一里→約500m
朝鮮の一里→約400m
日本の一里→約3.9km
なんだかかなり違いますよね。
ちなみにですが、古代の日本では中国の基準をそのまま導入したため、一里→300歩=550mくらいでした。現在では日本の一里(3.9km)は町にすると36町で、大人が1時間で歩ける距離となります。
この里や町は、日本では時代によって違ったり、江戸時代でいうなら各藩でバラバラで一定していなかったといいます。
えっそうだったの⁈という感じですよね(^^;;
そして魏志倭人伝には「水行十日・陸行一月」などという語句も出てきますが、これが邪馬台国論争を困難にさせている原因の一つとなっています。これは実際にかかった所要日数ではなく、天候など色々な事情によって遅れたり休養をとったり、ということを含めた上での総日数と考えられます。
さらに水行の場合は船を利用します。安本先生がおっしゃるには、太陽が東から昇ったとして真反対(180度)に沈むわけではなく、当時の人々が海上で東西南北を正確に把握出来ていたかというと微妙とのこと。
結論からすると、魏志倭人伝に書いてある距離そのままではなく、色々な視点で誤差を考慮しなければなりません。その結果、講義では邪馬台国が北九州にある、という十分な裏付けとなったのでした。
尺・里・町などの長さの単位は苦手分野でしたが、非常に面白く勉強になりました!
次回の邪馬台国の会は「狗奴国」についてのお話とのことです☆とても楽しみです♬
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