先日の日曜日は『邪馬台国の会』講演会でした✨
♦︎今回の講演テーマ
「西晋鏡」は福岡県を中心に分布する
「邪馬台国北部九州説」六つの証明、その3
今回は実にたくさんの種類の鏡が登場🪞
それぞれの鏡がいつの時代にどこでどのくらい出土したのか、データに基づいた表と照らし合わせながらのお話でした。最終的に、邪馬台国は北九州にあったという証明にも繋がるという、いつもながら筋の通った真っ直ぐなご講義でございました!
ということで、安本美典先生のお話をちょこっとご紹介。
『西晋鏡が示すもの』
日本で西晋鏡が出土するのは北部九州が圧倒的に多く、近畿地方はほとんどありません。埋納された時期は弥生時代・庄内期にかけてのころで、邪馬台国の時代もこの時期のうちに含まれます。つまり中国と外交をするような王や女王がいる中心都市が北部九州に存在したということになります。これは邪馬台国が北部九州にあったことを強く指し示しています。
ちなみに大和朝廷が成立し発展した時代の三角縁神獣鏡などは、近畿地方から多く出土しています。
それでは西晋鏡の中から代表で
こちらの鏡をご紹介🪞
☆夔鳳鏡(きほうきょう)
夔鳳鏡(きほうきょう)とは、向かい合っている二羽の鳳凰が翼を広げ、一本足で立っているようにみえる竜形の文様をつけた青銅鏡をいいます。
「夔(き)」というのは一本足の竜のような怪獣のことで、牛のようで角がなく水に出入りすると風雨あり、その光は日月のごとく、声は雷のようだといわれています。
この夔鳳鏡は中国や朝鮮の墳墓、日本では弥生時の遺跡や古墳で出土されていますが、中国ではこの種の鏡は「対鳳鏡」などと呼び、日本と中国とで命名のしかたが異なっています。
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