先週の水曜日は
「目黒学園カルチャースクール」の日✨
関裕二先生の講座を受講してまいりました♬
といいたいところなのですが、先週コ◯ナに罹患してしまい、関先生の講座が始まって以来、初めて講座をお休みいたしました。
次男の会社で流行っていたようで、最初に次男が熱を出し、長男→ゆだぽんと続いたわけです。私と長男は2度目。1度目はちょうど1年前のこれまた9月でした。2度目のせいか2人とも半日ほどで熱が下がり、他の風邪の症状はほぼなく、今は全員回復しております。
講座の方は資料をいただけたので、記事にまとめさせていただきますね✨
『加耶とアメノヒボコ』
〜第3回 脱解王とアメノヒボコとタニハ〜
日本海のタニハにいる怪しい女性とは?
神功皇后の重要性
景行三代は大男⁉︎
ホケノ山古墳の謎
仲哀天皇の系譜
脱解王とは何者⁇
多婆那国はどこにあるのか?
などなど♪
講座の内容の一部を関先生の講座の資料より、ちょこっとだけご紹介いたします。
『脱解王とは何者ぞ』
脱解王(だっかいおう)とは12世紀に編まれた「三国史記」の「新羅本紀」ら13世紀の「三国遺事」に登場する謎の王で、西暦57年に62歳という高齢で王位についています。
その昔、倭国の東北千里の多婆那国(不明)の王が、女人国(不明)の王女を娶って妻にすると、子を孕み7年後に大きな卵を産み落としました。ところが王は卵を“不吉”といって、捨てるように命じました。
そこで妻はこっそり卵を絹で包んで、箱に入れて海に流したのです。箱は朝鮮半島南端の金官国に流れ着きましたが、人々は怪しんで手を出しませんでした。そうこうしているうちに箱は辰韓(後の新羅)の浜辺に打ち寄せられ、老婆に拾われました。紀元前19年のことです。
老婆が箱を開けると、赤児が入っていました。老婆は子を立派に育てました。これが脱解(昔脱解)です。
脱解の評判を聞きつけた南解王は、王女を脱解に嫁がせました。そしてこの後に脱解は王位についたのです。
※関裕二先生の講座資料を
ほぼそのまま使わせていただきました
※写真はイメージです
脱解王のお話、卵から生まれさらに海に流されても平気だなんて、なかなかにファンタジックでしたね🥚海を漂う最中に箱の中で孵化したのでしょうか?
資料では、今回のテーマの一つである
「加耶とはなにか」
で締めくくられていました。
『加耶とアメノヒボコ』はこれにておしまい。
来月からはまた違うテーマになります☆
楽しみです♬
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