国立西洋美術館といえば!
思い浮かぶのはこの
ロダン『考える人』
ですよね♪
フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン
(1840〜1917年)
「近代彫刻の父」と称されるフランスの彫刻家です。
代表作は「地獄の門」、そしてその一部を抜き出した「考える人」がよく知られています。「考える人」は「地獄の門」の上部にいて、考えているのではなく門を見ているんです。
☆地獄の門
今日のお話は
ロダンは偉大な彫刻家ではありますが、男性としてははてさてどうなんでしょ⁇
という内容です。
☆ロダン
映画にもなっていますのでご存知の方も多いと思いますが、ロダンには23歳年下の美しい愛人がいました。
☆カミーユ
カミーユ・クローデル
(1864〜1943年)
フランスの彫刻家
カミーユは幼少の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していきます。19歳の時にロダンの弟子となり、2人は次第に愛し合うようになりますが、42歳のロダンには20年連れ去った4歳年下の内妻ローズがいました。ローズとの間には子どもがいたので事実婚ですね。その後は三角関係が15年にわたり続いていくことになります。
当時の美術、特に彫刻は男性の世界。女性は絶対に等しいくらい認められませんでした。カミーユはロダンの共同制作者でしたが、愛人としてスキャンダルにもなってしまったがため、どんなに優れた作品を作っても、ロダンのコピーといわれてしまい評価されませんでした。
実際にはカミーユはロダンに大きな影響を与えているようです。「地獄の門」をはじめ、ロダンの作品にはかなりの確率でカミーユの手が入っていると思われます。
カミーユは彫刻家としての才能だけではなく、かなりの美貌の持ち主で、ロダンは彼女に夢中になりますが、優柔不断なロダンはローズとカミーユのどちらかを選ぶことができずに、2人の間で絶えず揺れ動き中途半端な関係を続けていました。
カミーユは20代後半の時にロダンの子を妊娠しますが、ロダンは産むことを認めず中絶を迫り、カミーユは大きなショックを受けます。この出来事により2人の関係は破綻し、ロダンはローズの元へ帰っていきました。共同制作者としても弟子としても、恋人としてもロダンを支え続けてきたカミーユは裏切られた形となり、精神のバランスを崩し多くの作品を破壊したといわれています。
☆成熟した年齢(カミーユ)
しばらくはアトリエに引きこもっていたカミーユでしたが、唯一の理解者だった父親が亡くなったことで統合失調症を発症。弟により精神病院に強制入院させられ、ロダンを憎みながら生涯をそこで過ごしました。
カミーユは
「ロダンが私のアイデアを盗みに来る」
という妄想に取り憑かれていたといいます。
またカミーユは母親とも強い確執があり、1943年に彼女が78歳で死去するまで、見舞いに行くことは一度もなかったといいます。
一方でロダンはというと、1917年に死期が迫ったローズとついに結婚をします。カミーユが亡くなる26年前のことになります。ロダンは77歳、ローズは73歳でした。結婚の16日後にローズは死去。9ヶ月後、その後を追うようにロダンも死去しました。
ローズもまたロダンに翻弄されながらも、ひたすら尽くし続けた女性です。ロダンの元を去らなかったのは奇跡といえるでしょう。
ですが。。。
ロダンの最後の言葉は
「パリに残した若い方の妻に逢いたい」
でした。
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