~ GP映画的日々想 ~

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基本的には映画の評論。自身の考察も含めて映画を語ります。
時には、音楽や日々の日常などもUPできれば。
色々なことを、この日々想に込めて。

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第5回 映画的日々想 ~「悪人」~ 
2010年・監督 李相日

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世の中の絶対悪、その周りにある相対的悪。

人の心に潜む悪にスポットを当てて、浮かび上がる真の心情とは。

悪とは何か、、、と考えさせられる良作。
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(あらすじ)
土木作業員の清水祐一は、恋人も友人もなく、祖父母の面倒をみながら暮らしていた。
馬込光代は、妹と2人で暮らすアパートと職場の往復だけの退屈な毎日を送っていた。
孤独な魂を抱えた2人は偶然出会い、刹那的な愛にその身を焦がす。
しかし、祐一は連日ニュースを賑わせていた殺人事件の犯人だった ――。

(評論)

久々の評論。

何年かぶりに書きたくなりまして。思うところを少々。

まず、この映画は小説の原作があるそうだが、読んでないので原作との対比はせず、映画のみの視点で見ていく。

 

全体的なトーンは、終始暗い。

その中での139分は少々長く感じるが、変に明るさを出すとこの作中のバランスが崩れるので致し方無いか。

舞台は九州の田舎町中心に描いているが、その寂しさが主人公祐一と光代の心情とマッチして作中の雰囲気を作り出している。

ある方の評論で、引きの画が少ないとのこと。なるほど、引きの画がもっとあれば作品の寂しさや侘しさをもっと出せたのかも。

 

ストーリーは、出会い系で知り合った女性(佳乃)を衝動的に殺してしまった祐一と、光代の逃避行。

殺人という絶対悪を犯してしまった祐一だが、元々は田舎で育ててくれた祖父母や近所の年寄りの面倒も見る心優しい青年。

光代と祐一との出会いは、これも出会い系で知り合う2人だが、佳乃とは違い光代は、真剣に出会いを求めていた。

心優しい祐一と素朴な光代は瞬時に惹かれあう。

 

確かに殺人をしてしまった祐一は絶対悪で世間からも悪人となってしまう。

劇中、最後の方のシーンでの光代が呟いたセリフが心に響く。

「だって、人を殺したんだもんね」

 

殺された佳乃含めその周りの登場人物は、根底、性格は悪人。ただ上辺を取り繕っているので世間では悪人とならない。

 

いくら素朴で田舎の年寄りの面倒をみるような心優しい青年だったとしても、殺人は悪・・・

根底にあるものや性格がいくら悪でも気付かなければ悪人にならない。

 

こういうのは、実社会でも散見される。

自分は性悪人であるとしても自覚が無ければ、自分でも悪であることを気付かない。

また世間からも上辺はしっかりしているので悪人にはならない。

そういう人たちが、これ見よがしに絶対悪をたたく。

 

最近の時事ニュースなど、まさにそうで当事者が悪いのはそうだけども

叩いてるうちに論点がズレていき、結局何にそんな怒っているかわからなくなる。

 

中には生まれつきどうしようもない悪人も中にはいるかもしれないが

人の悪というのは周りの影響、生い立ちや環境から形成されるのがほとんど。

では、本当に悪いのはそういう悪を作った周りの人たちか、というのもちょっと違う。

 

じゃあ、結局悪とは・・・??

 

もっというと、ここでストーリーにもどるが、万が一祐一が殺人犯では無かったら・・・

 

実は、祐一が佳乃を殺した場面。はっきりと最後まで映していない。

橋の上で首を絞めて動かなくはなるんだけど、佳乃が発見されたのは、7メートル橋の下。

祐一が殺して橋の下に投げ捨てたっていう描写が無い。

 

もし、祐一が殺したと思った佳乃が生きていたとしたら・・・

意識朦朧の中、橋の下に事故で落ちて死んだのだとしたら・・・

他の誰かが、祐一が立ち去った後、トドメをさして落としたとしたら・・・

 

そうなってくると、全ての根底が覆る。

佳乃が落ちた詳しい描写が無いので、実はわからないのだ。

 

絶対悪だと思っていても、本当は違っていたら。。。

 

絶対悪を、本当悪と思わないほうが良いのかもしれない。