P O P S × D O N' T × C R Y

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“Not oldies but goodies”

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雨の朝。
テニスコートの受付の仕事なのでこんな天気の日は開店休業状態である。
起きて二時間経っても一向に抜けない寝起きの気怠さに何度もあくびをしながらインスタントコーヒーを飲みボーッとしている。
通っていた幼稚園の庭にあった枇杷(びわ)の木のことを考えたりしているので人間の脳味噌は本当に不思議である。
濃い緑の葉の中にぽつりぽつりと隠れる黄色とオレンジの中間のような色をした枇杷の実を見上げながら過ごしていた平穏な日々。
しかし習い事をたくさんやらされたのはつらかった。
小学校に上がるまで極端に人見知りで臆病で、常に母か姉の後ろにしがみついて隠れながら恐る恐る世の中を覗いていたような性分だったので逃げ出したくなるような場面も多かった。
小学校に上がったとたんワンパクいじめっ子ガキ大将になるのだが…

誰でもそうなのかもしれないが、小学校以前の記憶というのはすごく断片的である。
誰の得にもならないが以下に記しておくことにする。
【園内編】
・幼稚園の先生で覚えているのは4人。40代くらいの水野先生(声が大きく豪快。けっこう子どもに厳しい)、水野先生よりかなり年上の園長先生、若くて綺麗なお姉さん先生が二人。色白でいつも笑顔の先生と色黒で一見怖そうだけど優しい先生。色白の方は顔をハッキリ思い出せるが色黒の方を思い出そうと記憶の網をたぐり寄せるとなぜかROLLYの顔に行き着いてしまってオカシイ。
・幼稚園の花壇の柵は白い木製。ちょうど子どもの脛の位置。
・母の迎えがかなり遅くなった日があって、一人でずっと跳び箱で遊んで待っていた記憶。
・キリスト教の幼稚園だったので教会がある。12月にはキリスト誕生の物語を園児が演じる(偶発的ダジャレ)。教会の中で親も呼んでやる、いわゆる学芸会的催し。僕はキリスト誕生を祝うために遣わされる3人の使者のうちの一人。変な長い布と変な帽子を被らされ、およそ幼稚園児には不似合いな台詞を言わされてひどく恥ずかしく、赤面症なので苦労する。
・運動会で足の遅い女の子を罵倒してしまい泣かせる。(勝負事になるとつい熱くなって男女問わず大声で罵倒して傷つけたり泣かせてしまう癖は中学まで続く。今はそんな傾向が全くないので何故そんな熱い男の一面を持っていたのか、不思議である)

【園外編】
・公園で拾った小さなおもちゃのピストルを『本物だと大変だから』と思い交番に届けたらお巡りさんに褒められた。
・姉と近所の商店にお使いを頼まれるが帰りにふざけていたら買ったタマゴが割れてしまい顔面蒼白姉弟。当時から母はかなり厳しい人なので帰るのが恐ろしく、余ったお金でタマゴを買い直して隠ぺいしたか、素直に謝って怒られたか、結末は忘れてしまった。
・父と母がケンカをするといつも母は泣いたため、ケンカが終わった頃合いを見計らって母のところへティッシュの箱を持って行くのが僕の役割であった。タイミングが重要。
・姉が泊まりがけの合宿で何日か会えないのが死ぬほど寂しく、小学校進学に備えて買ってもらっていた学習机の下にもぐって泣きじゃくる日々。
・近くの公園で巨大なシベリアンハスキー2頭に襲いかかられ(犬側はじゃれているつもり)かなりの恐怖。しばらくトラウマに。
・体操教室で逆上がりが出来ず皆の前で先生に思いっ切りズボンを引っ張られ(先生側は補助のつもり)短パンがおケツに食い込みTバック状態、あまりの醜態に号泣。完全にトラウマとなり私は今でも逆上がりが出来ない。
・休日に父と姉と皇居の周りをレンタル自転車でグルグル走り回るという謎の習慣あり。あるとき父が後ろから僕を追いかけながらふざけて怖い声を出す。最初は僕も喜んで叫びながら逃げていたが途中で本気で怖くなってきて泣きながら中止を要請するも父やめず。泣きながら自転車転倒、膝小僧は血まみれに。これももれなくトラウマとなり、両親が離婚して駒沢に移り住むまで自転車には乗らなかった。
・家族で外を歩いているとピザ屋の前に吐瀉物(ゲロ。汚い話ですみません)を発見。生まれて初めて路上の吐瀉物を見た衝撃でこちらもご多分に漏れずトラウマとなり、幼心に吐瀉物とピザの共通点を(本当に汚い話で重ね重ねすみません)見出してしまいしばらくピザとゲロがイコールで結ばれてしまっていた、という汚話(オハナシ)。(今は全然ピザ好きです。)

最後の方はトラとウマばかりの話になってしまったが、パッと思い出せるのはこれくらいである。
色々思い出していたらなかなか面白いのでまた何か思い出したら幼年記シリーズ、またお届けしたい。